人体解剖というと,杉田玄白と前野良沢がクルムスの『ターヘルアナトミア』を翻訳した『解体新書』(1771)を思い浮かべる。その100年後に活躍した福澤諭吉は『解体新書』について1883年9月10,11日の『時事新報』において「通俗医術論」という記事の中で言及し,高く評価している。その記事には『解体新書』の付録の一部を転載し,その部分の図書館所蔵の『重訂解体新書』(1826)においては福澤諭吉による「古法迂闊」と読める書き入れが見られる。
人体解剖は別として,植物や小動物の解剖は誰でも小学校や中学校の理科や生物の時間に経験したことがある。安全カミソリやカッターナイフで植物の茎を切ったり,フナやカエル,また鳥をメスで解剖をした経験者もいる。既知の事実の確認である。心臓,肺,胃などの場所や形を観察したりしたが,でも動物好きの生徒は随分残酷だと感じていたかもしれない。解剖も生物学的に人間に近い,高等動物ほど解剖と言う行為をしたくなくなる。農耕民族で四足獣を食べる習慣がなかった日本では,狩猟民族で肉食文化である西洋とは違って,人体を解剖することにかなり抵抗を感じていたと思われる。
西洋における人体解剖の歴史はギリシャ,ローマ時代を経て16世紀から18世紀にかけて確固たる業績を残した解剖学者としてヴェサリウスやアルビヌスなどがいる。日本では江戸中期の1754年に京都の医師である山脇東洋によって最初に本格的な解剖がなされ,『蔵志』という書物が1759年に出版されている。そして日本の解剖学に多大な貢献をした『解体新書』の出版を経て,彩色豊かな『解剖存真図』という手書きの解剖図が19世紀前半に生れている。その原本が義塾図書館に所蔵され,2003年には重要文化財に指定された,極めて貴重な解剖図である。写本は東北大学狩野文庫,京都大学附属図書館,西尾市立図書館岩瀬文庫,武田科学振興財団で所蔵が確認できている。
古書店で有名だった下谷にある文行堂書店から1925年に購入した『解剖存真図』は,山城国淀藩の藩医・画家である南小柿寧一(ミナガキ ヤスカズ1785〜1825)によって描かれた2巻の彩色された絵巻物である。19世紀前半に日本人によって描かれた最高の解剖図と言われ,83の図が掲載されている。クルムス等の西洋解剖学を参考に,40余体から一体ごとに一臓一腑を観察して医者自ら描いたことに意義があるとされている。慶應義塾版には日本に滞在し,日本を西洋に紹介したシーボルトがオランダ語で書いた賛辞がある。「この解剖学的仕事は非常なる勤勉さをもって成し遂げられたるが故に大いなる賞賛を獲得する」と。また重要文化財指定に関する文化庁のプレス発表によると,「江戸時代の実証的解剖図の到達点を示す資料として,我が国医学史上意義深い」と高い評価を得ている。
83の図の中で珍しい解剖図があるという。安田健次郎医学部名誉教授によると,西洋の解剖図では余り見られない図が掲載されている。それは2巻目の巻頭にある「身断首痕」(みのだんしゅのあと)と言う丁度ギロチンで切断した首の断面図である。安田教授は『解剖存真図』について「新しさにおいて古い」,「正確さにおいて現在に通じるものがある」と指摘されている。(図1)(図2)(図3) |
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