1. Web of Science接続不能
2002年8月下旬から,Web of Science(以下,WoS)への接続ができないという事態が頻発した。WoSの検索プラットフォームがWeb of Knowledgeへ移行した直後であった。最もひどい状態は11月の半ばまで断続的に続き,接続不能時間は計232.5時間にも及んだ。
慶應義塾大学におけるデータベース(以下,DB)や電子ジャーナルの導入は,各キャンパス・メディアセンターのDB担当者からなる全塾DB委員会にて決定される。WoSは1998年6月にサービスを開始した。当時のネットワーク環境の状況からイントラネット版でのスタートであったが,2001年7月,インターネット版への切り替えを行った。2002年春学期には,1日平均セッション数は約150件と,塾内で最もよく使われる文献DBの1つとなっていた。
2. 契約更改交渉
トラブルが終息しないまま契約更新の時期を迎えたため,契約更改のための条件交渉をInstitute for Scientific Information(以下,ISI)と行った。話し合いに先立ち,慶應以外でWoSを導入している大学に対し,同様のトラブルが発生していないか,また,トラブルの事実を示すために,アクセス不能を発見した日時,解決した日時,接続不能時間,問題箇所,状況を記録した報告書を作成しておいた。他大学に対する聞き取りでは,慶應と同様のトラブルを経験したところは例がなかった。
補償請求については当初から難航が予想された。交渉にあたり,補償を求めることが可能であるかを確認するために契約書を再度じっくり読みなおしたところ,慶應側の弱点を認識するほかないという状況であった。第1に,慶應ではイントラネット版からインターネット版に移行したにも関わらず,契約書は,イントラネット版のまま契約期間のみを改定したAmendmentによる追加で契約更新を行っていた。第2に,その契約書では慶應側から補償を求めることはできない内容となっていた。契約書中の「保証」に関する条項において,ISI側に由来するアクセス不能やサーバの停止などの障害が発生した場合においても,何ら慶應側から補償を求めることができない内容となっていたのだ。付け加えていえば,非常に難しい独特の表現を使って書かれている英文の契約書を,国内外の法律知識をほとんど持たない,いわば素人が読みこなすには大変な労力を要し,完全に理解することは不可能であると思い知らされた。
結局,初回の交渉においては,補償についての話は結論を得ることができなかった。
その後ISI側からインターネット版契約書の雛型が届いた。さらに2003年の契約について,契約書の内容を書き改めるのではなく,主に価格面での条件を基本とした提案書が送られてきた。この間,慶應ではやはり契約書の内容を少しでも慶應側,すなわちDBを利用する側に立った内容へと改めることを目標にリーガルアドバイザー(弁護士)とも相談を重ねた。その結果をISIに対し「“Web of Science”契約にかかわる申し入れ(通知)」として提出することにした。申し入れの主たる内容は,サービス提供を受けられなかったことに対する補償を求めることと,契約書の条項に障害発生時の保証を行うことについての条文を盛り込むことであった。
この申し入れの提出から2ヶ月を経て,ISIより2003年契約書案が届き再度ISIと会合を持った。契約書は先に入手した雛型を基本としていたが,それまでの交渉をある程度評価できる条文が盛り込まれていた。その条文とは,使用不能期間が10日以上に及んだ場合にはテクノロジーフィー(注1)のアクセス不能期間の日割り分を慶應に返金するというものである。この契約書案について再度リーガルアドバイザーとの面談を行った。そこでのアドバイスをもとに,この10日間という期間が長すぎるのではないか,1日(連続して24時間)を超えた場合にも日割りで返金されることが,実態に即しているのではないか,さらに,返金対象はテクノロジーフィーのみでデータベースフィーが対象となっていないことについて,ISIに回答を求めた。その結果は残念ながらこちらの思惑通りに行かず,2003年契約は先に示した条文が含まれたことで,契約を更新することとなった。
そもそもこの契約は,快適なサービスを受けることが前提にあり,それを得るために対価を支払うということである。したがって対価に見合うサービスが得られない場合に補償を求めることは当然であろうという意識で交渉に臨んでいた。しかしながら,契約書の条文では,アクセスを維持することはISI側の努力目標でしかない。さらに,アクセスを保証してほしいということであれば,イントラネット版を利用してもらうしかないといったISIからの返答もあった。このほかにも,慶應側にとって不利な条文が存在するという指摘をリーガルアドバイザーから受けたが,話し合いには至っていない。結局のところ,この契約書にサインしない限り,トラブルが再度発生しても前の契約書が効力を持つため,慶應側としてはサインせざるを得なかった。ただ,結果的に100%満足とはいかなかったが,ISI側の保証に関する項目を条文に加えられたことは成果であり一歩前進と感じている。
3. 経験から学んだこと
契約書は単なる覚書ではない。内容を吟味して少しでも不利な条件を取り去るよう努力すべきである。2003年の契約を終えた直後の6月初旬,平成15年専門図書館全国研修会に参加された,イエール大学図書館東洋部長であり,北米日本研究資料調整委員会電子情報委員会会長であるエレン・ハモンドさんおよびハワイ大学バゼル山本登紀子さんを迎え,電子資料契約に関する意見交換会を開催することができた。この会において,エレンさんは米国において日本の電子資料を契約する際の問題点を列挙し,米国における契約の際に一般的に排除すべき事項を指摘した。この内容はまさに,日本でも外国のDBや電子ジャーナルを契約する際に起こっている共通の問題であった。そして,今回慶應がISIに主張した内容は,多くの米国の契約において条文化されているという。
今回の交渉にあたり,契約という行為の裏にある様々なことに気づかされた。幸い,慶應義塾にはリーガルアドバイザーという法律専門家に相談できる体制が整っているが,大企業や外国企業における契約業務を専門にする部署の存在は日本国内の図書館においては皆無であろう。学内において少なくとも研究教育支援を主たる業務とし,知的所有権などの法務を取り扱う部署,あるいは法律を学んできた職員や法律を専門とする教員の援助を受けられるようにしておくべきであろう。 DB委員会はこれまで契約料金を下げることに力を注いできた。また,国立大学図書館協議会や日本医学図書館協会・日本薬学図書館協議会で行っているコンソーシアム活動も,価格交渉が中心であるように見受けられる。もちろん,予算の確保は最重要であり,困難な状況ではあるが,契約に関するノウハウの蓄積もまた重要な課題である。ライセンス契約の条項には「(1)ライセンス製品とそれに関する条項の定義,(2)ライセンス商品の利用上の条件と保証,権利の範囲,(3)ライセンス商品の一部を中止した場合の措置,(4)電子的なドキュメント・デリバリ,(5)利用上の違反に対する法的責任,(6)保存・アーカイブの責任,(7)利用統計の収集と利用の範囲,(8)契約期間やライセンス費,支払方法」などがあると済賀は整理している(注2)。欧米では既にいくつかのライセンスモデルが発表され契約実務に効力を発揮しているようである。私立大学図書館においてもコンソーシアム活動が動き出した今,ライセンスモデルを作る動きへと結び付けたい。
注
1) WoSの契約料金は,データベースフィーとテクノロジーフィーからなる。
2) 済賀宣昭.“図書館コンソーシアムと学術情報コミュニケーション”.情報の科学と技術.Vol.52 No.5,2002,p.258.
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