はじめに
今更,と言われるかも知れない。第二次世界大戦の後,荒廃した世の中にあって,大学がどのように復興・発展へと向かっていったのかを想像してみるとき,恐らくは,最も困難を伴いながら,最も力を注いだのは,図書館の復興ではなかっただろうか。
「終戦をむかえた時の慶應義塾はまさに廃墟の感があった。(中略)だが図書館は焼けても図書は無事だった。(中略)教職員の誰しもが図書館の図書が無事だったことを心から喜んだ。それは平生,図書館には厄介にならぬと豪語していた人にとっても,書庫が無事であったことは救いであったであろう。(中略)図書館40万冊の本が無事でいたことは,大学が生きていることを知らせる鼓動が,ここから聞こえてきたといって過言であるまい。」(『慶應義塾図書館史』(参考文献1)から)
明治・大正時代の大学はそれ自体が稀少な価値を持ち,そのアカデミックの象徴であった図書館は絶大な存在力を持っていた。三田の山にそびえたつ義塾の図書館八角塔はそれを物語っている。(写真1)そして,戦争によって全てが失われた時代に,再び文化を取り戻し学問の府を立ち直そうとした時,その原動力となって力を与えたのは,やはり図書館なのであった。慶應義塾に限らず,戦後の大学図書館は,新刊書の購入,閲覧サービスの充実,既存図書の再整理等々,新しい時代に即応した,真に教授と学生の知的要求を満たす試みが重ねられてきたのである。
西洋の大学図書館も同様の歩みによって,戦後の荒廃から復活した。定期刊行物,主要論文,全集叢書などの基本文献から,インキュナビュラや写本類の特殊なコレクションまで,蒐集と整備がすすめられた。英国のケンブリッジ大学など旧来の伝統を忠実に継承する大学や,米国のコロンビア大学のように研究中心の専門図書館を大胆に統括運用する例に見る如く,要は魅力ある図書館を目指す方向へと向かっていった。中国にあってもおなじであった。近代の図書館員は多く,米国に方式を学び,中国独特の古典籍を現代的な管理方法で保存運用しようとした。そして,こうした図書館の充実が求められれば求められる程,図書館自体の専門性と図書館員の専門性が急務となってきたのである。コロンビア大学は戦後,前世紀の半ばにあって,数百人の館員の実に三分の一が専門職の司書であった。(参考文献2)中国では,戦後の中華民国時代,有名な教授が図書館に籍を置くことも希ではなく,その後,共和国になっても研究館員と称する専門教授が司書を指導育成しているのである。
しかし,我が国の大学図書館は,かかる顕著な趨勢は見られず,日本がしだいに経済力を有する一方で,書庫の維持と業務の活性化に力を注がねばならず,個性ある旧来の所蔵も重荷と感じてしまう懸念すら生じるようになってしまった。だが,それは,けして戦後の大学図書館の復興政策が誤っていたということではない。そこには,西洋文献学と漢字文献学,そして更に情報管理学を同時に温存発展させなければならないという厳しい現実が横たわっていたことを念頭に置かねばならない。漢字文献資料に限って言えば,戦後になると,株価の暴落のように,突然,一気に読まれなくなってしまったと言って過言ではない。しかし,大学図書館が抱える一級資料はその方面に多くを占めることも事実である。学問の先端を行く大学図書館の宿命であろうか,常に新しい情報を求めながら,忘れ去られてはならない古い資料の保存研究にも存分の環境が与えられること。こうした命題を全うしなければならぬことを思う時,これまで図書館を育ててきた方々の困難と苦労とは並々ならぬものと察せられるのである。
慶應義塾図書館は,昭和47年発行の『慶應義塾図書館史』に詳細なように,特異な歴史を持つ図書館であることは言うまでもない。それを端的に言えば,塾員など著名人の基金や寄贈本,そして貴重本の充実に支えられた特色であった。例えば,明治・大正の翻訳家馬場孤蝶の馬場孤蝶文庫,電力王松永安左衛門の松永文庫,根津美術館で有名な実業家根津嘉一郎の基金による根津文庫,等々,枚挙に暇がない。義塾はこうした志に優雅な蔵書票を作製して記念の証とした。(写真2)その人々もまたそれを誇りとしたことであろう。
和古書はまた和漢書ともよばれ,旧館の書庫に,また新研の地下に,義塾の歴史を見守るように生き続けている。(写真3)西洋文明吸収の先端であった義塾は,けして東洋文明を忘れていたわけではない。洋と和,和と漢,このバランスが実に良く整っているのも義塾図書館の特長である。和漢の貴重書をみれば,東洋学者田中萃一郎の田中文庫,経済学者幸田成友の幸田文庫,国文学者横山重の赤木文庫,政治家星亨の星文庫など,書物好きには堪らない奥ゆかしいものばかりである。戦後の慶應は,西の天理(天理図書館)に対して,稀覯本購入では東の雄と言われるほど,収納力と鑑識力には定評があった。そこに学ぶ塾員に愛書家が多いのは当然であった。
こうした古書は,『和漢書分類目録』(昭和11年〜)や『図書館月報』(昭和29年〜)等に部分的に紹介され公表されてきた。そして, 慶應義塾が創立150年を迎えようとするこの時,加藤好郎三田メディアセンター(以下,三田MC)事務長の立案により,図書館員自らが古典籍の再整理,冊子の編目を企図し,慶應義塾図書館の歴史を振り返りながら,貴重な資料を電子化によって全世界に再発信しようと励んでいる。この館員の志と能力の高さを誰よりも喜んでいるのは,図書館を支えてきた数多の塾員であり,書庫の中で生きている書物たちであろう。
1. プロジェクト発足の経緯
慶應義塾図書館で所蔵する古典籍の数は3万タイトル以上もあり,その中には文庫などのコレクション資料や貴重書なども多数含まれている。しかしこれらを検索しようとすると,OPACには収録されておらず古典籍の独立した冊子目録もない。利用者は図書館に来て,冊子体の大部な蔵書目録を調べ,それに収録されていないものは他の目録も探さなくてはならない。また古い目録には書誌情報が不完全なものも多く,資料を同定することも難しい。
三田MCでは,慶應義塾の創立150年に向けて慶應義塾図書館所蔵和漢古書目録を出版することで塾内外の研究者に図書館が所蔵する古典籍の情報を提供し,同時にフォーマットを統一することで将来的にOPACにデータを反映させることを目標としたプロジェクトを立ち上げた。プロジェクトは慶應義塾150年記念慶應義塾図書館所蔵和漢古書目録作成委員会(以下,和漢古書目録作成委員会)として準備期間も含め2001年7月から活動している。以下,経緯と現在までの進捗状況を簡単に紹介する。
2. 和漢古書目録作成委員会
和漢古書目録作成委員会メンバーは2000年から2001年に行われた和装本目録研修に参加した図書館員と附属研究所斯道文庫の教員を中心に構成されており,作成する書誌情報が図書館学と書誌学の両面からみて高水準なものになるように検討を重ねてきた。特に冊子目録に記載する項目とOPACのみに載せる項目を分けることにより,それぞれの特性を活かし互いに補完できるように工夫した。冊子目録はシンプルで見やすく主題分類による一覧性を持たせ,OPACでは冊子目録には記載しない版式や蔵書印,書入れなどの資料の同定に必要な情報を注記に盛り込むこととした。
3. マニュアル・データシートの作成
目録作成用のデータシートはOPACへの反映を考慮しつつ,研究者も十分活用できるような目録にするために複数の書名,刊写年の明記,刊写注記,装丁,書型,旧蔵者などの項目も設定し,和漢共通のシートを作成した。(図1)データシート作成に必要な目録規則についてのマニュアルは,国書と漢籍のそれぞれに分けて半年以上をかけてデータシートを各項目ごとにまとめ,問題があればその都度改訂を加えている。また,今回の目録には正確な刊写年が不明の場合でも刊写年欄に目安の年代を入れるようにしたため,独自の時代区分表も作成した。
4. ワーキンググループとサンプル版目録
実際のデータシート作成作業は国書と漢籍の2つのワーキンググループを発足させて,教員の協力のもとで行っている。現在は,貴重書・準貴重書を中心にデータシート作成作業を進めており,2003年5月には実際に完成しているデータシートからアルバイトにデータ入力作業をしてもらい,冊子体目録のサンプル版(図2)とOPACのサンプル版(図3)を作成して公表した。冊子目録のサンプル版は和漢あわせて115タイトルおよび2点の図版を収録し,分類と索引をつけたものである。
5. 今後の計画
慶應義塾図書館が所蔵する古典籍は和漢あわせて約33,000タイトル(国書約19,500タイトル,漢籍約13,500タイトル,内貴重書・準貴重書約7,500タイトル),学部図書を加算すると全体で約40,000タイトルにものぼり,現在の作業人員で2008年までにすべての古典籍を対象とした目録を作成することはとても不可能である。このため,2008年をひとつの区切りとして冊子目録の具体的な構成や目録の収録範囲などは以下のように計画を進めている。
・収録範囲 貴重書・準貴重書の目録を2008年度に出版し,その後貴重書・準貴重書を含めた江戸時代以前の和装本を対象とした総目録を出版予定。
・構成 国書と漢籍とに分冊する。
・分類 内閣文庫の分類を元に独自分類
今後も目録作成には漢字コードや索引の問題,OPAC登録のための作業など課題が多く,それらをクリアしないと完成にはたどり着けない。また作業人員の確保などマンパワーについても不足している。それらを乗り越えて,国書と漢籍の特色を踏まえ,冊子目録とOPACが相互に補完関係を保てるような目録が完成すれば理想である。
6. データシートの入力とOPACへの登録
6. 1. 入力の実際
フォーマット
慶應義塾大学MCでは,書誌フォーマットとしてMARC21を採用している。和漢古書目録をOPAC登録するにあたっては,このMARC21でのデータ作成が必須となる。MCで採用しているMARC21は,和書(主に日本語の図書)の入力・検索をするためにMC独自の拡張を行っているが,現在刊行されている図書と江戸時代以前に刊行された古書ではまた事情が異なる。さらに長期に渡るプロジェクトのため,入力担当者の交代などを考慮し,使用するタグを限定して,より簡便な形の仕様を作成した。
その際,OPACでは使わないが,印刷データとしては必要な項目,また逆に印刷データとしては出力しないが,OPACには登録したい項目があるということで,それぞれが区別できるように別タグを用意した。前者は主に印刷目録でのソートに使用する項目,また所蔵そのものである。印刷目録ではOPACでは入力していない分類をソートに使用するため,ソート用分類番号のローカルタグ(992)を設置した。同じくOPACでは不要となる作品の成立年代についても,ローカルタグ(993)を設置することにした。また,印刷目録には,通常書誌には記述されない請求記号が必要になるため,請求記号も852に記述することにした。これらのタグについては,OPACに登録する際,一括して削除される。
後者にあてはまるものは主に注記になる。印刷では欄が限られていることもあり,必要かつ簡潔な注記のみを出力し,細かい記述についてはOPACで補完するという方式を採用することになったが,そのためにOPACへのみ出力する注記と印刷媒体へも出力する注記を分ける必要が出てきた。MARC21では注記の項目が非常に詳細に分けられているが,OPACへ出力する一般的な注記は500へ入力し,他のタグが無いために一般注記となってしまう刊写注記,装訂に関する注記,その他印刷目録に出力すべき注記については,それぞれ595-597のローカルタグを使用することにした。また,印刷媒体に出力するが,個別のタグが存在する旧蔵者に関する注記は,既存の541へと入力することにした。また,実際にOPACへ登録する前に,595-597については一括して500へと変換を行う。
最終的なデータフォーマットはタブ区切りのテキストファイルである。書誌の一括登録は通常作業でも行われており,その登録方法をそのまま使える方式を採用した。ただし,テキストそのものへの入力を手で行うと,必要なタブが入らなかったり,不要なスペースが入ってしまったりと,一見してはわからないミスがどうしても出る。実際,入力したデータを目録へと整形しなおした際,ミスの修正に手間取った。入力方式については,今後の課題となる。
文字コードの問題
非アルファベット圏の文字を扱う際に必ず問題となるのが文字コードの選択である。今回,試験的にUnicodeを採用することにした。既にMCでは,中国語・韓国語の図書に関してUnicodeで目録を作成しているという実績があり,また扱える文字も既存のシフトJISなどに比べて飛躍的に多いことから,特殊な文字や日本語に無い文字の多い和漢古書については,現時点ではUnicodeでの入力が適当であると判断した。
しかし,今後長期にわたって行われるプロジェクトであるため,今後の動向によっては,文字コードについて更なる検討が必要となるだろう。
6. 2. 登録
登録する際の問題点
実際にMCが採用する目録システムに登録するには,まだ様々な問題点が存在する。まずは所蔵の問題である。今まで和漢古書に関しては,書誌はもちろん,登録された所蔵データと現物とのつきあわせが十分に行われていなかった。そのため,所蔵データ登録の際に必要となるBOOK-IDが不明なもの,また所蔵データそのものが無いものが多数存在する。所蔵データが存在しないものをOPACに登録することは不可能であるため,所蔵とのつきあわせや所蔵の再登録等の作業が必要となる。
また,使用する文字コードに登録されていない文字の処理もある。印刷目録では最終的な校正の段階で外字をあてることが可能だが,汎用性が求められる機械目録で外字を使用することは避けたい。今回Unicodeを採用したことで扱える文字数は増えてはいるが,それでも入力できない文字に対して,どの文字をあてるか,あるいは〓にしてしまうか,といった問題は残る。
最後に,標目が異なるという問題点である。印刷目録として使用する際に探しやすいような著者表記を採用することになったが,そこで使用される標目と,現在MCの書誌データベースに登録されている標目が異なる場合がある。それを統一する作業をするのか,それともそのまま登録するのか,今後の課題となる。
OPACのサンプル
以上をふまえた上で,現時点のOPAC(Unicodeテスト版)へ,数件の登録を行った結果は上記のとおりである。(図3)
おわりに,このプロジェクトを全般的にご理解,ご指導くださっている,関場武担当常任理事,細野公男図書館長,加藤好郎三田MC事務長に感謝申し上げるとともに,今後も事業完遂に向かって叱咤激励をいただきたいと願う次第である。
参考文献
1) 慶應義塾大学三田情報センター編.慶應義塾図書館史.東京,慶應義塾大学三田情報センター,1972,p.182-184
2) アンドレ・マソン,ポール・サルヴァン著.小林宏訳.図書館.東京,白水社,1969,154p
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