「無機・錯体化学」という,理工系の実験を中心とする分野が専門である私にとっても,研究を行う上で,メディアセンターは欠かせない存在である。なんといっても,所蔵資料が分野ごとに体系的に分類・整理され, 必要な資料を迅速に入手できること,これに優る便利さはない。
私の場合,主な利用法としては,(1)化学文献抄録データベースであるCA on CDやSci Finderを用いて,注目しているテーマ・化合物・研究者などに関する過去の文献を,網羅的に検索すること。(2)先行研究を歴史的にさかのぼって調べ,そのテーマについて,何が既知で何が未解決か見極めをつけること。(3)冊子体や電子ジャーナルの原著論文や総説をひもといて,既知化合物の合成ルート,結晶構造,物性測定データなどを調べること。(4)新着雑誌をチェックして,インパクトのある新発見に胸を躍らせたり,自分のテーマに近い論文を驚きと焦りをもって見つけ,世界で数人の玄人しか分からない深い洞察に相手が達していないと知るや密かな優越感を覚えたり,競合相手に先を越されて,ひどく落胆したりすること。(5)化合物辞典やスペクトルデータ集で,既知化合物の分光学的なパターンや危険性・毒性を調べること。(6)単行本や古い物性物理分野の論文で,物性の解析計算や,分析手法の原理や基礎理論を勉強すること,などが挙げられる。
ところが,知識やデータを,あえて分野で整理せず,異なる切り口で活用すると,新たな価値を生み出すことがある。いわゆる「学際的研究」である。私の大学院での指導教官は,金属錯体の分光学が専門だったが,一方で,化学史の教育・研究者としても活躍する,マルチな女性助教授だった。錬金術や古代中国・インドを中心とする化学史を独特の物質観から論じた,化学史関係の著書を多数出版していた。無機・錯体化学の自然科学的な専門知識に裏付けられたオリジナルな研究といえよう。日本中の無機化学の院生で,物理学の古典的名著ばかり勉強させられた挙げ句,化学だけでなくロシア語や社会主義経済が専門の先生方まで集めた「メンデレーエフと周期律表のロシアの歴史研究会」のお手伝いをしたのは,私くらいだと思う。博士課程修了の際,「とりあえずの就職は,無機化学でなくてええやろ」との恩師の一言で,私のアカデミック人生が大きく転回した。
初めての就職先は,母校の「構造生物学」の研究室だった。最先端の膜蛋白質のX線結晶構造解析で,主に遷移金属活性中心の構造や分光学的性質を論じる役目である。無機化学には「生物無機化学」というジャンルがあり,金属蛋白質の活性中心の化学的性質を扱う。しかし,同じ金属蛋白質でも,周りは生物学や生化学や医学等を専門とする研究者ばかりで,全くの畑違いの私には,用語や手法,研究スタイルが異なる中での共同作業だった。博士号取得直後,「自分は狭い分野の専門家に過ぎない」と痛感したのは,謙虚さを忘れないためのお灸となった。
現在,矢上で「無機物性化学」を研究している。複合機能材料ということで,有機化学や高分子化学等も必要となる。無機・金属錯体の構造や分光学をメインに研究しているが,物理化学や物理学の文献を多く読むし生物学的な分子設計にも挑戦したい。
分類された資料やデータを組み合わせて活用して,どんな独創的な研究ができるか。甲斐性が問われる毎日である。 |