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MediaNet≫No.10 2003≫丸善展を終えて―アーカイヴまたは文化装置としての博物図鑑考
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ナンバー10、2003年 目次へリンク 2003年10月31日発行
 
丸善展を終えて―アーカイヴまたは文化装置としての博物図鑑考
鷲見 洋一(すみ よういち)
文学部教授
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 今年の1月から2月にかけて,恒例の丸善展を担当した。テーマは博物図鑑。「繁殖する自然―博物図鑑の世界」という題を付けた。
 私が丸善展を担当するのはこれで二度目である。一度目は8年前の1995年で,「理性の夢」と題し,フランス18世紀の文化や歴史が中心テーマだった。古い書物ばかりを見せても味気なかろうというので,ガラスケースに並べた古版本のほかに,垂直のパネルを用意して,そこに文字や図版を貼り付けたヴィジュアル系の展覧会にした。図録もなるべく図版を多く印刷して,タイトルページばかりを刷り込んだ,古書店カタログのような体裁をなるべく避けるようにした。たまたま準備中に,塾員の作家,荒俣宏氏が所有する膨大な博物誌コレクションの約半数が,慶應義塾図書館に移管される運びとなった。コレクションに含まれるかなりの図鑑が18世紀のものであったため,「理性の夢」展にも一役買ってもらえたのが幸運だった。彩り鮮やかな貝類,鳥類,花や蝶の銅版画や石版画があるとないとでは,会場の雰囲気はまるで違ったものになるからだ。
 また,その後,2001年の冬と夏に,東京銀座の和光と大阪阪急デパートとでそれぞれ開催された福澤諭吉没後百年展に,アート・センターの一員として参加し,やはり展示に関するコーディネーターのような仕事を担当したことも得難い経験になった。いかに貴重な文字資料や,どれほど重要な福澤思想といえども,ひとたび展示会場で来訪者の目に触れる場合は,やはり視覚に強く訴えるようなしかるべき演出や工夫が必要なのだということを,福澤展の準備作業は教えてくれたのである。福澤が無類の写真好きであった故事は,その点,私たちにとって嬉しい発見であり,また展示技術上,利用し甲斐のある有り難い手がかりになった。
 その時の好意的な反響や,けっして少なくない失敗の経験が,今回の展示に大きく役立ったことはいうまでもない。もとより,「繁殖する自然―博物図鑑の世界」展の中心をなすのは,前述の荒俣宏氏が慶應義塾図書館に譲られた200余タイトルの資料を中心に構築されつつあるコレクションである。200タイトルの中には,ゲスナー『動物誌』ドイツ語訳手彩色版などという稀覯書のほかに,ビュフォン『博物誌』第二版のように,ワンタイトルで126巻というような巨大な刊行物も含まれるので,コレクション全体としてはかなりの規模になる。慶應義塾図書館ではこの荒俣氏のコレクションに,17・18世紀ヨーロッパの辞典や百科事典,さらにそれ以外の博物誌資料などを加えて,近代西欧の「知」を形作る文字と図像による巨大な資料庫を作り上げてきた。それらのうち,少数のものは三田メディアセンター5階の貴重書室に収蔵されるが,大部分は地下4階の特殊書庫(準貴重書室)に収められている。
 今回の展示は,「慶應義塾大学博物誌資料コレクション」と呼ばれるこれら貴重書群の中から,原則として図版を伴う書物,いわゆる博物図鑑を中心に約100点を選び出し,時代と主題に即して並べたのである。その際,私の頭に絶えずあったのは,「博物図鑑アーカイヴ」,または「文化装置としての博物図鑑」というテーマであった。
 そもそも「アーカイヴ」は,「図書館」や「博物館」などが行う総合的,網羅的な収集作業とははじめから一線を画し,特定の主題や人物に特化した,かなり限定された資料体を扱う場所である。慶應義塾図書館は,全国でも指折りの規模と質を誇る研究図書館であるが,そこの貴重書室を中心に構築されている若干のコレクションについて,欧米で「研究アーカイヴ」と呼ばれている「文化装置」が個々に仕掛けられてもいいのではないか,というのが,私の常日頃からの願望であった。今回の丸善展は,「博物図鑑」という主題の下に,新しい研究アーカイヴを考えるための絶好の機会を提供してくれたことになる。このアーカイヴに含まれるすべての博物誌資料は,例外なく慶應義塾図書館の所蔵になるが,OPACによる検索などからは抽出しにくい資料体独自の特質について,別立ての記述を行い,いずれは独立したカタログ・レゾネ(catalogue raisonné)を作成しようとするのが当面の目標である。従って,私が本展示に際して執筆した図録は,近未来に日の目を見るべきその総合的カタログ・レゾネの予告版とでもいうべきものになった。ここでは丸善展における展示会場の設営に関わる話よりも,図録編集に関するさまざまな問題を,「文化装置としての博物図鑑」という観点から若干考えてみたい。
 なぜ一定数の博物図鑑資料が「文化装置」になるのか。それは,博物図鑑が書物としておのずから関わってしまっている分野がきわめて多様であるという事情による。まず,ヨーロッパ書物史の流れの中で,博物図鑑は独自の位置を占めている。なぜなら,博物図鑑とは文字と図版の合体した,いわゆる「絵本」,すなわち複合的な書物だからである。それに加えて,もし図鑑がゲスナーのように古い時代のものであれば,同時代の古版本と同じく,書誌学的なあらゆる分析に耐えるだけの資料価値を備えていることにもなる。造本,来歴,印刷,どれをとっても貴重な手がかりを与えてくれる。
 次に,博物図鑑はそこに印刷された文字テクストに注目するなら,博物学の歴史をおさらいする格好の手がかりを提供してくれる。また,特定の時代に限定・制約された博物誌という「知」の分野に,当時の自然科学の達成がどの程度寄与しえていたかを測定する作業は必須であろう。ただし,博物誌の場合,文字テクストの検討は,哲学書や文学書に見られるような,著者の独創的見解や思想を解明する手がかりとなるわけではなく,往々にして,先人の業績をどの程度踏まえ,かつ模倣しているかという,影響関係の文化史を学習するわけである。周知のように,博物誌の書物では,記述の対象となる植物や動物についての知見や観察は,必ずしも著者オリジナルの文章ではなく,先人からの引き写しである場合が多いのである。
 図鑑を美術史の立場から論じることも可能だろう。文字テクストの場合と同じように,とりわけ古い博物図鑑を彩る図版は,まずは膨大な数におよぶ剽窃やコピーの集積と考えればよいからである。また,図版を制作する技術,さしあたっては版画技術や印刷技術の逐一も考察の対象になりうる。博物図鑑を広くヨーロッパ挿絵本の歴史の中で捉える作業も重要である。さらに,文と図の関わりを,Ut pictura poesis「詩は絵のごとくに」と,Ut poesis pictura 「絵は詩のごとくに」という両方向の伝統的立場から吟味する,やや理論的な研究も欠かせない。社会史の立場からの接近もありうる。このように巨大で高価な書物を求める時代や公衆の趣味の測定から始める「書物と読書の社会史」である。
 このように,一言で「博物図鑑」と呼ばれる書物群には,数世紀にわたる近代ヨーロッパの歴史や文化を読み解くために不可欠な,さまざまの鍵が隠されている。私がこうしたコレクションを「文化装置」と呼ぶのも,その複合的な意味合いの奥行きや深さに着目してのことなのである。
 文化装置としての博物図鑑を対象とする展覧会図録は,従って通常の書誌記述の文法とはかなり異なる方針を採用せざるをえなかった。100点余の書籍の解説には,原則として見開き2ページ,場合によっては4ページをあて,以下の順番で記述を進めた。

著者名(原語)(日本語);翻訳者名;書名(原語)(日本語);叢書名;発行者・出版社・印刷所;発行地;刊行年;版巻号数;総頁数;総図版数;図版制作者;使用言語;序文;目次;図版目次;索引;書籍サイズ;慶應義塾図書館の分類番号

 たとえば,アット・ランダムに選んだ通し番号(33)の鳥類図鑑は,以下のように記述される。

著者名(原語):Vieillot, Louis Jean Pierre Oudart, Paul [1748-1831](日本語):ヴィエイヨ 書名(原語):La galerie des oiseaux du cabinet d'histoire naturelle du Jardin du Roi(日本語):『鳥類画廊』発行者・出版社・印刷所:Constant-Chantpie 発行地:Paris 刊行年:1825 :初版 巻号数:2v. 総頁数:t.1:iii 344p.;t.2:336p. 総図版数:t.1:168;t.2:186 図版制作者:B. W. Hawkins(素描家);P. Oudart(素描家)C. Motte, G. Engelmann, Demanne, R. d'Enghien(リトグラフ)使用言語:仏語 序文:有 出版者序文:有 目次:有 書籍サイズ:225×280×490 慶應義塾図書館の分類番号:120Y-517-2-1〜2

 所定の記述項目で,この書籍に当てはまらないものは,特にシリーズものの一巻ではないので「叢書名」,それから「図版目次」がなく,逆に「出版社序文」が著者による序文の他に挿入されているので,これは採録される。
 ヴィエイヨの図鑑の場合は,19世紀の刊行物なので,現在我々が書物と考えているものと基本的には大差ない性格のものであるが,これがゲスナーやリュコステネスといった古い時代の書物になると,記述項目のいちいちについて,根本的な疑問や設問を立ててかからなければならなくなってくる。著者とは誰のことか? とりわけ博物図鑑の著者とは? 翻訳書の場合,博物図鑑を翻訳するという営みの特殊性とは? そもそもタイトルとは何か? 発行者・出版社・印刷所という項目立ての適否。発行地の地名表記はどうするか? 刊行年表記の問題。版本調査の問題。巻号数を算定する目安は? それからページとは何か? こうした問いは,対象とする書籍が古ければ古いだけ,明確な解答が得られにくい難問である。
 さらに,展覧会場で実際に展示されている図版ページと,それ以外のページでもう一点紹介したい図版についても,別立ての記述を付けた。「展示図版」と「参考図版」である。このヴィエイヨの図鑑については以下のようになる。
展示図版:ダチョウ(実物の1/12)巻号頁数:t.2, p.70,Pl.223 制作者:P. Oudart(素描家)C Motte(リトグラフ)版画技法:リトグラフ(手彩色)刊行年:1825

 本格的な博物図鑑アーカイヴであれば,「展示図版」と「参考図版」についての詳細記述を全図版について行わなければなるまい。これは,正直な話,私一人の力量を超えた作業で、複数の分野の専門家が協力して行うべき仕事であろう。版画技術の確認一つとってみても,門外漢の私にはほとんど不可能なので,専門家に鑑定を依頼せざるを得なかった。木版,木口木版,銅版,鋼板,リトグラフなどを版画各葉について識別していくには,長年にわたるプロとしてのキャリアや勘を必要とする。
 なお,本展示の一つの試みとして,ケースごとにめぼしい図版を選んで,その部分を拡大撮影し,さながらロバート・フックの蚤の絵のごとく,版画技術を細部において観察し,分析できるように配慮したことが挙げられよう。撮影に使用した機器は,キーエンス社製のデジタル・マイクロ・スコープで,本来は精密機械の微細な部品などを検査するために製造されたものであるが,本機を版画作品に応用したのは今回が最初ではないかと思う。
参考図版:オナガオンドリタイランチョウ(実物の7/8)巻号頁数:t.1, p.210,Pl.131 制作者:P. Oudart(素描家)C. Motte(リトグラフ)版画技法:リトグラフ(手彩色)刊行年:1825
図1)(図2)(図3

 また多くの場合,図版ごとにラテン語や近代ヨーロッパ語で表記されている鳥や花の学名または俗称を適切なカタカナ表記に移すのも至難の業と言うべきで,現に絶滅している種であるとか,呼び方が昔と今とで変わってしまっているものであるとか,一筋縄ではいかない。
 最後に,書誌記述とは別に,巻末に「版画制作者索引」を収録した。調べられる限りで,素描家,彫版師,刷り師を区別して記したが,同一人物が制作工程を一人でやってしまう場合もあり,詳細は不明である。
 以上,博物図鑑展の図録作成で逢着したさまざまな問題を、思いつく限り並べてみたが,これらは近未来に構築されるべき「貴重書アーカイヴ」担当者にとっても,避けて通ることの出来ない問いであることは確実である。

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