サラリーマンの傍ら,週末を競馬場で過ごすことの多い勝負師にとって,予想は大切な技術である。たまさか馬名(競走馬の名前)や枠順による語呂合わせもしないではないが,それは本筋ではない。
ここでは,勝負の世界で培った理論とセンスで,未来予想をしてみよう(あ,与太話です)。
1. 今後の図書館
インターネットの世の中である。そんな時代にわざわざ図書館に足を運んでくるお客様は大切にしなければならない。図書よりもビデオやDVDを借りたい,というお客様が過半数を占めるようになったら,レンタルビデオ屋と提携する必要があるかもしれない。また,飲食したい,楽しく勉強したい(騒ぎたい)というお客様が7,8割近くになれば,「お騒ぎくださいませゾーン」も必須だろう。反対に,静謐な環境を求める利用者も確実に存在するから「癒しの空間」も必要である。
問題はお金である。今後の日本社会は「ゼロ成長」社会である。社会が成長しないので,我々の給与だけでなく義塾の予算も増えることはない。今後は,決められた予算内で何を買うか,何を諦めるかの選択が重要になる。例えば,図書支出・図書資料費である。現在の厳しい予算の中でも「聖域」として現状維持もしくは微増で推移している。しかし,利用の面から見ると,もはや聖域では無いのかもしれない。日吉メディアセンターの1999年1月〜2003年3月の貸出統計を見ると,1回以上を記録した資料が蔵書に占める割合は29.5%である(純粋貸出タイトル数÷単行書)。単行書には参考図書や研究室図書も含まれており,重複タイトルや除籍資料も未調整のため正確ではないが,少なくとも半分近い資料が購入後利用されずに棚に並んでいる。利用環境も資料提供も同じサービスと考えられれば,資料の購入費を削って環境整備に回すという選択肢もありえる。
多様な価値観の時代は何でもアリの時代である。図書館屋がサービスメニューを決める時代から,利用者がメニューを選ぶ時代に対応する必要がある。
2. 労働スタイルの変化
少子化による学生確保の困難,高齢化による社会保障の負担増,不景気,現在の社会はとてもアンハッピーである。この状況は単に経済環境の悪化(やがて良くなる)というレベルではなく,本質的な変化であることを様々な指標が示している。例えば,経済活動と密接な関係にある人口で見た場合,日本の人口は今世紀を通じて減りつづけ,2050年には1億人を切り,2100年には4500万人程度になる(低位値)。国民総生産は国民所得の総和であるから,国民数が減れば総生産も減少する。人口が減る社会なので労働人口も減少し,現役世代により一層の労働力を期待する一方,(1)定年の延長(2)専業主婦や外国人の労働者化という手段が講じられる。また,単純な製品ではコストの安い外国に対抗できないので,(3)生産手段の効率化,付加価値化も求められる。働き手の立場から見ると,より一層の「スキルアップ」と「労働力(総労働時間の延長)」が求められる。このような雰囲気は攻撃的な人間や引きこもりの増加を伴う高ストレス(あぶない)社会でもある。
しかし,人口減の社会は悪いことばかりではない。人間は不老不死でないので2020年以降に発生する多死化社会(団塊の世代に代表される人口の多い世代が死期を迎え,死者が多くなる社会)が状況を好転させるからである。ゼロ成長さえ続けておけば(パイの身が小さくならなければ),分配する人数が減るので一人当りの所得は自然に増加する。棚ボタ式にバラ色の未来がやってくるのである。
2020年頃までの20年が我慢のシドコロである。この20年間は試行錯誤の期間でもあるから,何にでもトライすることが許される。個人レベルでも日常のお仕事(A面)と別のお仕事(B面,趣味・サイドビジネス・ボランティア)を行うことが可能となる。現役世代には負担も多いが,会社や社会に縛られない自由な社会がやってきそうである。
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