私は2001年より,物理系学術誌刊行協会(The Institute of Pure and Applied Physics,以下IPAP)(参考文献1)の理事をしている。IPAPは,日本物理学会と応用物理学会の欧文誌の編集・出版の電子化の推進と,将来的には米国と欧州に並ぶ学術情報発信の第3極を形成することを目的として,両学会が協力して2000年に設立した組織である。IPAPは学会から独立した組織で,両学会の4つの物理学関係の欧文誌,Journal of the Physical Society of Japan(以下JPSJ),Japanese Journal of Applied Physics(以下JJAP),Progress of Theoretical Physics,Optical Reviewの刊行を行っている。各誌の編集は学会が責任を持ち,JPSJとJJAPの販売にはIPAPが責任を持っている。
本稿では,IPAPにおける学術誌出版の電子化の現状と問題点を紹介し,昨年度より始まった国際学術情報流通基盤整備事業(以下SPARC/JAPAN)(参考文献2)について,IPAPとの関連から紹介する。
両学会の欧文誌のオンライン公開は,IPAP設立以前,海外の競合他誌と比べても比較的早い時期から行われていた。例えば,JPSJではLetter論文全文のdviファイルによるオンライン公開を1996年から行っている。1998年にはLetter論文の,2001年には全論文のPDFファイルによる公開を始めている。過去の論文のPDF化と公開も順次進められ,今年度中には1946年の創刊号からのPDFファイルが完成し,公開される予定である。
IPAPでは,投稿・閲読の電子化も進められている。論文閲読をWeb上で行うシステムが開発され,2001年にJJAPのLetter論文に対して運用が始まった。今年度中にはJJAPの全論文に対して運用される予定である。Web経由で論文を投稿するシステムも2003年からJPSJとJJAPの一部に対して運用されている。今年度中にはJJAPの全論文に適用される予定である。
IPAPのこのような電子化の動きも,競合他誌の急速な電子化により,今や後手に回っているのが現実である。これは,IPAPにおける人手と予算の不足が大きな原因である。
IPAPの論文誌は日本学術振興会から科学研究費補助金の支援を受けているが,これなしでは赤字の状態である。JPSJとJJAPの販売は,これまで紙版を中心としたものであった。名目上は,購読料は紙版とオンライン版の両方に対するものであるとアナウンスしていたが,オンライン版は購読していない人に対しても無料で公開していた。購読料は安く,論文投稿料を比較的高く設定していた。ところが,購読数は年々減り,また国内の研究成果の多くが海外の論文誌へ流出していった。流出を止めるには,論文誌としての魅力を高めることが必要で,様々な努力が行われている。
例えば,JPSJでは,日本物理学会内部においてJPSJのおかれた危機的状況について活発に議論が行われ,編集体制の改革が行われた。その結果,従来ボランティアでお願いしていた編集委員長を専任とすることになった。これにより,閲読の質とスピードが向上するとともに,JPSJをとりまく状況の変化に迅速に対応することができるようになった。論文誌の内容としては,従来扱っていなかった招待論文やReview論文も掲載するようにした。重要なテーマを特集した特別号も検討されている。オンライン版を公開しているWebページを見やすく,使いやすく改善し,編集委員会の注目するLetter論文の紹介も始めた。この注目論文を紹介するパンフレットを作り,学会会場で配るとともに,全学会員に送付した。過去の論文のPDF化と公開も,従来は補助金のみに頼っていたために,毎年数年ずつしか遡れなかったが,前述のように,今年度中に創刊号からのPDFファイルを完成させることにした。
このような努力に加え,遅れている電子化の推進も,論文誌としての魅力と競争力を高めるために非常に重要である。従来のシステムを改良していく短期的な開発計画は現在も進行している。しかし,長期的かつ持続的に電子化を進めていくためには,そのための財政基盤を確保する必要があり,オンライン版中心の収入構造を確立することが急務となっている。2004年より,購読していない人に対してオンライン版を有料化した。さらに購読料,投稿料の体系の見直しを進めている。 海外の商業誌は,投稿料を無料とし,購読料を値上げし続けるという方向に進んできた。この購読価格の高騰が,図書館が購入する論文誌の数を減らし続けるという状況を生んでいる。例えば,1989年と2001年を比べると,日本の図書館が外国雑誌の購入に使った費用は約80%増加しているにもかかわらず,そのタイトル数は約40%減少している(参考文献3)。このような状況が学術情報の流通を阻害していることは明白である。このような学術誌の価格高騰による問題を解決するために,1998年米国の研究図書館連合によって設立されたScholarly Publishing and Academic Resources Coalition(以下SPARC)(参考文献4)と呼ばれる大学・研究組織と図書館の連合組織が活動を行っている。学術団体による学術誌の出版を支援し,競争を生み出すことにより,学術情報の健全な流通をめざしている。これに呼応して,欧州では2002年にSPARC Europe(参考文献5)と呼ばれる連合組織が活動を始めている。
日本では2003年に,国立情報学研究所によって,SPARC/JAPANと呼ばれる事業が始まった。これは,日本の学協会が刊行する学術誌の電子化,国際化を強化し,財政的基盤の確保のための事業モデルの確立を支援し,日本の優れた研究成果の海外への発信を推進する事業である。科学技術振興機構の開発したJ-STAGEと呼ばれる投稿・閲読・公開システムを利用して,電子化を支援する。そして,国内の大学図書館と連携して,コンソーシアムの形成や価格モデルの提案等を行い,日本の学協会の発行する電子ジャーナルの導入を進めることが重要な活動として謳われている。
SPARC/JAPANの2003年度の公募に対し,40学会・機関の刊行する51誌の応募があり,16学会の21誌が選定された。生物系,物理系,数学系,医学系,化学系,工学系,人文系という分野ごとに,様々な活動が行われた。JPSJとJJAPは物理系の学術誌として選定された。両誌は,電子化,国際化については,他の国内の論文誌と比較して高水準にあるため,当面,事業モデルの確立のための支援を受けている。具体的には,国内の大学図書館とサイトライセンス方式の契約に向けた交渉が始まっている。
大規模な機関に対してサイトライセンス方式を導入することは,オンライン版を考慮した収入構造を確立する上で非常に重要である。例えば,IPAPが扱っているある論文誌の2002年の購読とオンライン版の利用状況をみると,A国立大学では9セットを購読して,別のB国立大学では,3セットを購読しているが,オンライン版の全文PDFをダウンロードした論文数はB大学がA大学の1.7倍であった。ダウンロードした論文あたりのコストに限れば,B大学の負担はA大学の5分の1以下であることがわかる。このような事態を防ぐには,オンライン版の利用も加味した機関購読価格体系を確立することが必要で,そのためにもSPARC/JAPANの支援が重要である。
SPARC/JAPANの支援により,IPAPの財政基盤の強化が実現し,JPSJとJJAPの電子化が進展し,多角的な努力によって魅力と競争力のある論文誌となり,日本の優れた研究成果の海外の論文誌への流出傾向に歯止めがかかることが期待される。
参考文献
1)The Institute of Pure and Applied Physics.“IPAP WEBSITE”.(オンライン),入手先<http://www.ipap.jp/>,(2004.7.20参照).
2)国立情報学研究所.“国際学術情報流通基盤整備事業 HOME”.(オンライン),入手先<http://www.nii.ac.jp/sparc/>,(2004.7.20参照).
3)国立情報学研究所.“国際学術情報流通基盤整備事業リーフレット日本語版”.2004年5月版.(オンライン),入手先<http://www.nii.ac.jp/sparc/doc/sparc_leaf200405.pdf>,(2004.7.20参照).
4)The Scholarly Publishing and Academic Resources Coalition.“|SPARC|The Scholarly Publishing and Academic Resources Coalition|”.(オンライン),入手先<http://www.arl.org/sparc/>,(2004.7.20参照).
5)The Scholarly Publishing and Academic Resources Coalition Europe.“Welcome To SPARC Europe”.(オンライン),入手先<http://www.sparceurope.org/>,(2004.7.20参照).
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