はじめに
2003年8月1日から半年間,カナダのトロントで研修するというチャンスをいただいた。インディアン語で「人々の集まるところ」という意味を持つその名のとおり,世界各国からの移民も多く,多言語・多文化社会が形成されている。2003年は春のSARS騒動や夏の米国東部大停電などの災難に見舞われたが,トロントはオンタリオ州都で,カナダ随一の大都市である。比較的治安もよく,空気がきれい,空がきれい,花がきれいな街である。
トロント大学
トロント大学は1827年に創立されたカナダ最大級の大学である。学生数は約63,000人で,ダウンタウンに位置するSt.George Campusは街全体が大学と言える規模をもつ。全体像を把握するために組織図のようなものはないかと尋ねたところ「見たことがない」と言われてしまったのだが,とにかくいくつものCollegeやUniversity,研究センター,病院,博物館などから成り立つ集合体である。また,現カナダ首相のPaul Martinをはじめ,多くの著名な卒業生を世に送り出し,過去には6人のノーベル賞受賞者を輩出している名門大学でもある。
そしてその図書館もまた,北米屈指の蔵書規模を誇っている。蔵書数は冊子形態のものが約970万冊,契約している電子媒体の資料は5万タイトル近くにのぼる。オンタリオ州内のコンソーシアムでも,中心的な役割を担っている。
このトロント大学とは,以前にも慶應のスタッフが訪問・見学したり,こちらから図書の寄贈をしたりというおつきあいがあったが,スタッフの交換研修の実現は,慶應義塾大学が2002年に研究図書館連合Research Libraries Group(RLG)へ加盟する過程で,トロント大学を訪問したことがきっかけとなったと聞いている。2002年の夏に両大学図書館間で交わされた合意書では,交換研修によって学術的・文化的交流を図り,スタッフの専門的スキルを研鑚し,その結果が双方にとって有意義なものとなることを目指すと謳っている。今回の私の研修は,この協定に基づいて初めて実施されたものである。
研修内容
私が主に研修をしたのは,約40館ある図書館のうちのメインライブラリーであるRobarts Libraryである。主に人文社会科学系のコレクションを収蔵しているこの図書館は地上14階で,遠くからでもすぐに見つけられるほど巨大な建物である。
私は図書館の中と外で提供するサービスとその時間帯などに興味をもっていたことから,Robarts Library内の閲覧やレファレンス,Information Technology Services(以下ITS)などの部署をメインに研修をおこなった。
図書館の外からアクセスできるサービスの代表格ともいえる電子ジャーナルやデータベースは,全キャンパス契約,学外からのID・パスワード認証によるアクセス,自館サーバーでの管理などにより,利用者に提供されている。これはサービス対象のだれもが,どこからでも,永続的に利用できるようにするというポリシーによるものである。図書や複写物の取り寄せも,Web上からスタッフを介さずに直接学内の所蔵館やコンソーシアム内の他大学へ申し込めるシステムが導入された。こうしたサービスの仕組みを整える部署がITSである。オンタリオ州のコンソーシアムの業務を含めて,ITSのスタッフは総勢約20名。電子図書館サービスの展開に伴って増えてきたそうである。ほかにもInformation Commonsでは利用者向けにパソコンやデジタルスタジオなどを提供しており,Resource Centre for Academic Technologyでは教員へコンピュータ技術を用いた教材作成支援などを行っている。
一方,入館者数は減少傾向にあるものの,図書館の建物内にはいつも多くの利用者が行き交っている。平日夜9時までオープンしているレファレンスデスクには,いつも順番待ちの列ができている。随所にある返本棚には利用された本が山積みである。1,2階のパソコン席と閲覧席は,学期期間中は24時間開館している。夜11時以降は階上の書庫へはアクセスできないものの,翌朝8時半までの入館者は年間延べ3万人にのぼり,静かな勉強部屋としての需要も強いことがうかがえる。2004年は,トロント大学図書館が隔年で実施しているアンケート調査の実施年であった。その結果はWeb上で公開されているが,利用者が非常に重要と考えているもののベスト5には,「目録」や「電子資料」とともに,「(冊子体の)図書」や「勉強スペース」などがランクインしている。レファレンスにしろ,夜間開館にしろ,スタッフの人手に余裕があるわけではないが,オフキャンパスからのアクセスを中心とした電子図書館サービスだけでなく,従来どおりの館内・対面サービスも大切に考え,利用者の声をサービスに反映させようとする姿勢も強く感じられた。
このほかにも,自分の興味範囲を広げるような経験も数多くあった。学術機関リポジトリ(Institutional Repository)もその一つで,トロント大学ではマサチューセッツ工科大学の図書館とヒューレット・パッカード社が共同開発したDSpaceを実装し,TSpaceとして運用を開始している。日本でも注目されているこうした動きを目の当たりにするよい機会となった。
また,コレクションのデジタル化にも力を入れている。比較的新しいものには,16世紀から19世紀の人体解剖図の「Anatomia 1522-1867」や,ノーベル賞を受賞したインシュリン発見に至るまでの資料「Discovery and Early Development of Insulin, 1920-1925」などがあるが,トロント大学としてのブランドを意識したインターフェースと,誰にでも楽しめ,かつ専門家にも有用なものを目指すという姿勢を学ぶことができる。
Robarts Library以外にもいくつかの図書館を訪問したが,図書館のそれぞれの部署でどのようなサービスを目指すかというポリシーを持ち,それを共有していること,意思決定が速いこと,学内での図書館の存在が大きいことなどの印象をもった。
おわりに
一定期間滞在したことで,現場の雰囲気を垣間見ることができ,これまで雑誌記事や先輩方の研修レポートを通じてイメージしてきた海外の図書館を,リアルなのものとして認識することができたと思う。多くの方々と知り合い,ご支援いただき,刺激に満ちた半年間を送ることができた。今後はこの経験を活かしていけるよう努力したいと思っている。研修についてはもちろん,生活面でも大変お世話になったトロント大学図書館のみなさまや,長期間の不在を許してくださった三田メディアセンターのスタッフに,深く感謝したい。
トロント大学図書館ホームページ
http://www.library.utoronto.ca/
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