1992年11月,ポパー(Karl R. Popper, 1902〜94)が京都賞を受賞した際の記念講演を聴きに行った時のことである。「西洋文明の起源はビブリオニア(書籍市場)にある」という説をポパーが披露した時の小さな衝撃を,今も時々思い出す。元々哲学者になりたくて挫折を繰り返し,20代最後の瞬間を迎えていた私には,プラトンに挑み,自由な社会の有様を縦横無尽に論じてきた90歳になるポパーの,品格に満ちた振舞いと穏やかな口調から,零れ出るように語られたこの仮説が,憧憬混じりの感動も加わり,じわりと脳裏に染み込んでくる気がした。 ポパーがこの着想を得たきっかけは,「最も美しい哲学書」と称える『ソクラテスの弁明』を読み直していた時だったという。美術・文学・悲劇・哲学・科学・民主主義…を生み出し,地中海文明を介して西洋文明を誕生させた「アテナイの奇跡」は,口頭伝承ホメロス(『イリアス』,『オデュッセイア』)を書物(ビブロス)化したことが好評を博し,これを契機に始まった出版事業に端を発するとみていたポパーは,出版事業を巨大文明に媒介したはずのエネルギー源をなお探求していた。その時見出されたプラトンの一節(H. Stephanus, Platonis opera…, 1578, p.26, D-E)は,ソクラテスが神を認めず,「太陽は石,月は土だ」と主張していると糾弾する訴追者メレトスに対し,それは自分(ソクラテス)ではなくてアナクサゴラスの説で,そうした議論が一杯載っている「アナクサゴラスの書物」は「オルケストラ(市場)へ行けば,せいぜい高くても1ドラクマも出せば買えるものなので,ソクラテスがそれを自説らしく見せかけたりしたら,すぐ笑ってやれるものなのだ」との「弁明」であった。紀元前399年のアテナイでビブリオニアが栄えていた確証を得たポパーには,起こったことの全体像が徐々に見えてきた。 ポパーは哲学者らしく,こうした史実から,普遍性の高い文明の創造プロセスに関する「社会的法則」を導き出す。それは端的にいえば「文化衝突」説である。つまり,「複数の文化が接触する時,人々は,長い間当然だと思ってきた彼らの生活様式や習慣が,『自然』なものでも,唯一可能なものでも,神の命じたものでも,人間性の一部でもないと悟り,自分たちの文化は,人間が,人間の歴史が作り出したもので,人間の,即ち自分たち自身の力で左右することができるものだと気がついた時,新たな可能性の世界が開けます。その時窓が開き,新鮮な空気が流入するのです」(長尾龍一訳「ヨーロッパ文化の起源」比較法史学会編『歴史と社会のなかの法(Historia Juris 2号)』〔未来社,1993〕43頁)。たしかに,古代ギリシャは,東洋と西洋の交差点でもあった。 異文化衝突による普遍性の模索は奇しくも,民法と開発法学(法整備支援論)を担当する私に与えられた現在の仕事のメイン・テーマである。途上国や体制移行国に赴き,民法の内容や法典編纂の方法について議論する場では,たえず小さな文化衝突が起きる。その結果,お互いの理解や説明が唯一のものではなかったことを知らされる。異文化ルールの衝突と普遍的ルールの探求は,グローバル化によって生じた規範の統一化と多文化主義という,一見正反対の傾向が同時発生した理由を説明できるかも知れない。多文化主義は必ずしも価値相対主義を意味しないし,国際平和が危機に瀕する今こそ,異文化間に通じる共通規範が,少なくとも社会の基本ルールに関する「自然法」が求められている。『文明の衝突』を警戒し合うネガティブな思考を乗り越え,文化衝突の創造力を平和裡に引き出しうる「開かれた」社会への明るい展望を切り拓きたいものである。 西洋文明が「書物の文明」(bookish civilization)であったとみるポパーは,テレビ,コンピュータ等の流行によって「書物への愛」が減殺されることを危惧していた。より早く・安く・感覚豊かに・多くの「情報」にアクセスすることを可能にする新媒体は,ビブロスを凌駕するものだろうか。先哲の洞察はそうそう底の浅いものではない。が,そう考えればこそ,新しいビブロスとビブリオニアの可能性にも,「開かれた」目をもちたいと思う。
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