私が研究のために最初にお世話になったのは,武蔵小金井にあった藤原記念工学部の図書館である。大学図書館の雰囲気に圧倒される一方で,当時のゼロックスコピーの鮮明さに感激しながら多くの論文をコピーした。代金節約と称して,ページ全体ではなく必要箇所を複数の製本した論文から一度にコピーしようとするが,うまく行かず結局やり直しで高くついてしまった失敗が数々あった。 昔は目を通した文献コピーのファイルの厚さに自己満足を覚えたこともあったが,今では紙ベースから電子情報の時代になった。かつて留学したドイツの大学の教授室で見た整然と並んだ美しいファイルホルダーの列に憧れて,分野別にファイルを作り出したが悲しいかな短時間の内にスペースの容量を凌ぐようになり段ボール箱のお世話に相成った。最近ではひたすら電子データ化に勤しんでいるが,ファイルの行方不明,不注意による消去等と戦いながら苦労して作成しても出来上がったファイルを格納するとき,また開く時があるのか心配になることがある。 別段,懐古趣味ではないがメディアセンターの地下収納庫に並んでいた旧藤原記念図書館の蔵書を見るのが楽しみであった。研究の時間を気にしながら,カビくさい一隅に腰を落ち着けるのも何とも気持ちの良いものであった。時には,自らの修士論文をひもとくと日本語の間違いや研究上の稚拙さが目につき思わず罵り声をあげ,あわてて周囲を見回したこともあった。自分や親の生まれた年の学術雑誌に遭遇すると何とも言えぬ感銘を受けるものである。さらに,その当時の研究の緻密さに驚かされることが多々ある。これまで論文に引用した最古のものは,1855年のドイツの雑誌で研究対象の天然有機化合物(マンゴスチンという果物の薬効成分)の最初の単離報告であった。論文の執筆中にどうしてもこの報告の総ページ数を調べる必要が出てきた。あまりにも古い論文のため身近なデータベースでは追跡できず,仕方なくドイツの友人にメールで依頼をした。驚いたことに極めて短時間の内に総ページ数を記載した返事が届き,必要ならばすぐにでもファックスでコピーを送れるとのメッセージまで追記されていた。友人の大学は,ドイツの工業地帯に位置するため第2次大戦では連合軍の爆撃で壊滅的な打撃を受けており,そのときから長い時間が経過しているとはいえ,ここまで研究基盤を充実させた努力に頭の下がる思いがした。 現在では,SciFinderのおかげで膨大な量の情報を効率よく検索することが可能になり,昔のようにChemical Abstractsの冊子体を一日かけて調べて目的の情報を入手するのとは大きな隔たりがある。ただ,たばこを吸いたい気持ちを我慢しながら求むる情報を掘り当てたときの誇らしさは何とも言えないものであった。この喜びとともに,自らの論文が載った学術雑誌を手にする嬉しさは失敗の連続である研究の苦しさを差し引いても,研究に自らを引きつけてやまない強力な「麻薬」であると思っている。特に,世界中の図書館に自分の名前が印刷された学術雑誌が未来永劫保存されることは誇らしいものである。最近,大学説明会,見学会に参加する高校生や研究室見学の学部学生等の若い方たちに「世界中の図書館…云々」の話をすると,目を輝かせて聞き入ってくれることが多い。日本の教育における対「理科離れ」対策の一つとしてサイエンスの面白さをいかにアピールするか,多くの方々のご提案があるがこのような仕方は邪道であろうか。 しばしば指摘されるようにオンライン検索に比べて冊子体を調べる良さは,近傍のページに偶然見つけることの出来る情報にあった。現在では,研究室から直接データベースにアクセスして情報を引き出すことが多くなり,時間をかけて調べる習慣が失われつつある。あまりにも雑用が増えてきたためかもしれないが,現代の時間の流れが加速することで人間としての大事な時を失いかけているような気がする。 定年になったら,そのような図書館における至福の時を取り戻すことが出来るのか,はなはだ疑問であるが,是非とも余裕のある時間とともにまたあの一隅に帰りたいものである。
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