子供の頃から何となく興味のあった中国。その興味は高校時代に学んだ漢文や中国史によってさらに深まり,「世界一の人口を持つ国の言語を学んでおけば必ず何かの役に立つに違いない」という信念を抱き,大学では中国語と中国文学を専門に選んだ。中国の面白さは私の想像をはるかに上まわるもので,果たして私は中国マニアと化してしまった。中国語の音の美しさ,布地や中国雑貨に見られる伝統的文様と配色の美しさ,食べ物の美味しさ,素朴な風景,壮大な文化財の数々,そして一方では,日本では考えられない厚かましさ,いい加減さ,大胆さ等等,プラスもマイナスもすべてが魅力的に思える。 首都北京は,行く度に変化している。中心部はもとより,伝統的な住居である四合院,安くて可愛い雑貨が売られている市場,そして人々と触れ合うことができる屋台が集まった一画などが次々取り壊され,高層ビルが建設されていくのである。中国ならではの文化が消えていくようで大変寂しい。 今年3月,4年ぶりに北京を訪れた。オリンピックを控えていることもあり,その変化には目を見張るものがあった。圧巻だったのは,地下鉄新設に伴い建設されたという高層ビル。2つの紡錘形の建築物が高速道路の間にそびえ立つその光景は,さながらSF映画を見ているようだった。 もう一つ,中国に行くたびに驚かされるのが,人々の個性の強さである。そして,中でも北京の人たちは一際強烈な個性を放っている。 今回一番強烈だったのが,バスの中の切符売りのお姉さんだ。北京のバスには必ず切符売りの人がいて,乗車時に行き先を伝えて切符を買う。初心者は乗る前に切符売りのお姉さんに「○○には停まりますか?」ときちんと確認するのが賢明だ。なぜなら,北京のバスは種類によって車内アナウンスがないものもあり,その場合はお姉さんが「次は○○だよー!」と叫ぶのだが,これが早口で,よく注意していないと聞き逃すことも多いからだ。しかも,北京の一般市民の主要な交通手段はバス。車内はいつも大混雑。当然日本人の財布を狙うスリも潜んでいる。常にスリルで満ち溢れている北京のバス。乗るには相当の覚悟が必要だ。 4年ぶりの北京。もしかしたらバスにも何か変化があるかもしれない。ここは多少の危険を冒してでもバスに乗り,自分の肌で直に感じ取る方がよいだろうと思い,停留所に向かった。 目的のバスがやって来てドアが開き,出てきたお姉さんに「北京大学には行きますか?」と早速私は聞いた。すると,お姉さんは不機嫌そうに冷淡かつ怖い表情で「はあ?!」と私を一喝。この問答を3度繰り返し,私は泣きそうになりながら最後に大きな声で一語一語叫んだ。「ぺ,き,ん,だ,い,が,く,い,き,ま,す,か?!」(日本語で表すとこんな感じ)。するとお姉さんは「ああ,行くよ。乗りな。」とあっさり。私は一気に脱力してしまった。バスはどんどん進む。混雑が増すばかりの車内で,私はお姉さんの叫び声(アナウンス)と停留所の看板に細心の注意を払っていた。目的地にたどり着かないまま思いのほか時間が過ぎ,不安が高まっていく。突然,お姉さんが私を睨みつけながら「こっちへ来い!!」と叫んできた。逆らえるはずもなく素直にドアの近くにいるお姉さんのもとに行った。するとお姉さんは「次が北京大学だから」とつぶやいた。何と,私が降りる停留所を覚えていて,ちゃんと降りられるように誘導してくれたのだった。私は降車際に「ありがとう」とお礼を言った。しかしお姉さんは,私をチラッと見た後,「ふん」とそっぽを向いてしまった。全く,怖いんだか優しいんだかよく分からないお方である。何だかんだ言っても心根の優しい北京の人たちの人情を再確認した出来事だった。 タクシーに乗れば運転手のお兄さんとの楽しい会話があり,買い物をすればお店の女の子と値切りのバトルが始まる。これを体験してやっと,「ああ,私は今北京にいる!」と実感できる。急激な発展の最中にある北京だが,人々の心は変わっていなかった。それを思うと大変感慨深い。北京の最大の魅力が失われておらず,ほっ,と胸を撫で下ろした。私の北京に対する熱は今後も当分冷めることはなさそうだ。
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