近代日本経済史が専門のぼくにとって,30年ほど前の院生時代に比較して大きく変わったのは,資料へのアクセスの状況である。かつて国立国会図書館で読んだ明治期の資料はいまでは近代デジタル・ライブラリーで容易に検索や閲覧もできるし,海外の資料や新聞もマイクロフォームや電子ジャーナルで簡単に読めるようになった。以前にはそれまで利用されていなかった海外の資料を紹介することにそれなりの意味があり,さがしている資料がでてくるかどうかもわからず,あれこれ考えながら資料を読み漁っているうちに思わぬ発見や出会いがあり,感動を憶えることもよくあった。しかし,こうした牧歌的な研究の時代は,もう遠い過去のことになってしまった。いまでは海外の資料を利用するのは当然で,それらを,どのようなコンテキストのなかで,いかに解釈するかなど,研究者としての存在意義そのものをストレートに問われる時代になった。IT環境の整備がすすむにつれて,じっくり考えながらアプローチしていた研究の助走部分があまりにも効率化されてしまい,一方では,研究者のアイデアや思考能力を発揮する場がふえたともいえるが,他方では,成果主義が鼓舞されるようになり,十分なアナログ的思考をめぐらす時間がなくなってしまった。 インターネットの普及やデジタル化の進展は,研究者に対してだけではなく,教員や学生へのサービスを基本とする大学図書館の機能を大きく変化させている。大学や地域や国境をこえた大学図書館間のアライアンスや共同利用・共同保存,さらにはGoogleをはじめとするデジタル・ライブラリーの展開によって,国際的規模での図書館の再編が進展することも容易に予想される。これまではハードとしての蔵書数が図書館ランキングの指標であったが,これからは,伝統的な図書館サービスにくわえて,ITを駆使したオンラインによるレファレンス・サービスなどソフト面での質的な充実度がランキングの指標になることも十分に予想される。それと同時に,機関リポジトリの構築にみられるように,デジタル化による図書館の知的資産の体系的な発信も,これからの図書館の重要な機能をになうことになることは確実である。こういう状況が予想されるなかで,メディアセンター自身が状況にながされることなく,国際的に競争力をもち,しかも特徴をもつ大学図書館として生き残っていくためには,どうしても慶應のメディアセンターとしてのアイデンティティを確立しておく必要がある。その意味で,現在策定中の「中期計画2006―2010」は,メディアセンターの塾内外へのメッセージであるとともに,図書館スタッフへのメッセージでもある。 メディアセンターはながい歴史をもつ図書館として充実したコレクションを所蔵し,また質的にも高い能力をもつスタッフがいる。しかし,これらのメリットが現在の図書館の管理・運営システムのなかで十分に生かされているかというと若干の疑問符もつく。他方,蔵書は5キャンパスに分散し,とくに蔵書数の多い三田での配架状況をみても,ユーザにとって利用しやすいかといえばけっしてそうでもない。たしかに多種多様なユーザのニーズに対応する図書館システムの構築はむずかしいかも知れないが,物理的にむずかしいのであれば,せめてモニター上でユーザ・フレンドリーな配架は実現できないものだろうか。現在メディアセンターがもっているメリットを最大化し,デメリットを最小化することで,日本国内だけではなく,国際的な知的活動にも貢献できる,これまでにないあたらしいタイプの図書館を考えてみることはできないだろうか。精神論ではないが,一つの大きな要素が,こうしたチャレンジに対するスタッフの「独立の気力」にあることも疑いがない。日常業務におわれるなかでも,みんなで議論してアイデアをだしあい,試行錯誤しながらでも,ほかの図書館よりも,一歩でも半歩でも,たえず先を行く図書館でありたいと考えている。
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