2005年度秋学期からSFCのメディアセンター所長に就任しました金子郁容です。よろしく,お願いします。 就任して早々,メディアセンターのオープンエリアの大幅改修というプロジェクトを途中で引き継いだ。SFCには,他の古典的なキャンパスにあるような「古びた時計台」とか「学生運動の拠点となった講堂」とかという「象徴」がない。オープンエリアは,いわば,SFCの「顔」である。その「顔」のフェイスリフト手術をしようということである。全体のレイアウトを決めたり,家具や絨毯の色を決めたりという「仕事」がたくさんあり,大いに楽しませていただいた。照明を明るくし,壁を塗り替え,全体の導線を考えた配置にすることで,昔の「ごたごた」とした雰囲気をすっきりさせることが主眼であったが,幸い,利用者の方たちには,おおむね好評のようだ。 図書館と言わずに「メディアセンター」という呼び名を採用したのは,慶應義塾の中では,SFCが最初であろう。紙メディアの書物だけでなく,インターネットなどを介したデジタルメディアもあるよ,ということだ。近年は,特に雑誌などでデジタルメディアが主流になりつつあり,このままゆくと,メディアセンターはおおきなファイルサーバがひとつあればいいということになるのであろうか。 そうともいえないと思う。 慶應義塾に来る前の十年間,一橋大学で教えていた。一橋大学には,国策として古典を含めた文科系の図書を集中的に蓄積している,古典資料センターというのがある。限られた人しか入れないそのセンターの蔵書をあれこれと散策する機会を得たとき,アダム・スミスの「国富論」の初版本や,シュムペーターが読んだとされるマルクスの「資本論」などに対面し,どきどきとしたものだ。 書物というものは,そのものだけで孤立しているものではなく,読者との関係や,それを見る他の多くの人との関係を創出する,まさに,関係性のメディアなのである。最近,私が力を入れて取り組んでいる研究テーマに,「図書街プロジェクト」がある。人類の知の集積であるところの書物が秘めている,さまざまな関係性を明示的に,バーチャル空間で「街」として表現しようというものだ。そのアイディアの基本には,「街」がもつ三次元の直観的な「場所の情報」=「トポス情報」を利用しようということがある。場所が記憶と想起に根本的に関連しているということは,ギリシャ時代からよく知られていることだ。 同じ書段に並んでいる本は密接に関連している。広い道に沿って配列された本棚は,道を行くにともなって緩やかにジャンルが変わるだろう。情報検索をするのに,キーワード単位ではなく,書段単位や街の「界隈」単位で行うことで,より豊かな連想ができるだろう。そんな街を散策する図書街のユーザは,それぞれの好みや意図や行動履歴というダイナミックな情報を街が作り出すトポスの中で直観的に解釈することになる。このようなトポス情報は,通常の図書館の本の並びとは,意味的にかなり違う。物理的な本が並んでいる書架は,一定の「固い」順番で本を配置せざるを得ない。ネットワーク状の自由さを活用して,さまざまな関係性という衣装をまとった書物にしようというのが図書街である。 オープンエリアの改修の話で思い出したが,1999年に私が幼稚舎長に就任したときも,計画が進行していた食堂を含んだ新校舎の建設を引き継いだのだった。戦後の日本を代表する校舎にはじめて大きな追加をするということで,こちらも,オープンエリアがSFCにとってそうであるように,幼稚舎にとって象徴的なプロジェクトだった。谷口吉生氏の設計による,すばらしいスペースができた。おもいっきりオープンなそのスペースの中で,学年を超えた子どもたちがおいしい食事をしながら,語らい合う姿を見ると,食堂もまた,関係性のメディアとして重要な意味があるものだと思ったものだ。
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