1 はじめに 日吉図書館は慶應義塾創立125年の記念事業の一環として1982年に計画され,1985年4月9日に開館し,2005年には満20年を迎えた。 慶應義塾の周年行事は25年を区切りに行われるのが一般的であり,2010年がその年になるが,現在の日吉メディアセンター所長の伊藤行雄教授が新図書館建設のために発足した「日吉図書館建設委員会」のメンバーであったこともあり,在任中の2005年に開館20年記念行事を行うことにした。 記念行事として,日吉図書館の設計者であり,慶應義塾の他の建築物にも多くに関与された,世界的に著名な建築家,槇文彦氏の講演会を開催することにした。それに伴い当時の写真のパネル展示を企画した。予算的に可能であれば,記念誌の小冊子を刊行したいと考え,それに向けて行動を起こした。ここにその経過を記しておきたい。
2 経費 2004年秋の予算申請時に,日吉メディアセンター本予算での経費捻出は困難という判断があった。そこで経費獲得のために,教養研究センター日吉行事企画委員会(以下,HAPP)の公募企画に応募することを決めた。HAPPでは毎年,新入生歓迎行事のための企画を公募している。6月に「日吉図書館開館20年―槇文彦と慶應義塾の建築物」というタイトルで講演会とパネル展示を企画して応募,無事採択された。補助額の上限の金額が認められたが,これでは予算不足のため,さらに10月には日吉キャンパスの「予算管理部門内調整費」合同調整会議に「日吉図書館開館20年記念行事」に併せて,さらに記念誌作成費用などの名目で予算申請を行い,それらを滞りなく行えるだけの予算を得ることができた。
3 講演会・パネル展示 予算を獲得し,講演会の企画をつめる段階に至り,伊藤所長が「都市の風景」という自由研究セミナーを開講されていることに配慮し,伊藤所長との対談を追加し,「都市と建築」をテーマに,講演会と対談の二本立てで行うことにした。 広報のためのちらしは,HAPPのちらしとは別に独自に学生にデザインを依頼,印刷会社に2,000枚発注した。ポスターは塾内のプリンターで作成,ちらしとともに各キャンパスに送付し,学生の目につきやすい場所に置いてもらった。また塾内の各ホームページなどで広報活動を行った。その結果,11月29日の当日は日吉の学生だけでなく,特に建築に関心のあると思われる矢上やSFC,さらには三田からも学生が来場,他にも教職員や近隣の市民などで会場の来往舎シンポジウムスペースは150名を越える来場者となり,質疑応答も盛んに行われ,大盛況のうち閉会となった。 一方,パネル展示は11月28日から12月1日までの4日間,来往舎ギャラリーで行った。日吉メディアセンターでは開館当初から,館内で様々な企画展示を行ってきたが,図書館外では初めての大がかりな企画展示となった。 日吉図書館の設計に直接関わった,槇総合計画事務所副所長の若月幸敏氏のご協力を得て,あらかじめ展示会場を下見していただき,そのうえでパネルにふさわしい写真を選定,さらに慶應義塾の他の建築物を足し,18枚の写真と4枚の説明のパネルを作成してもらうことになった。 専門家が作ったレイアウト図を元に前日から準備を行い,当日の朝9時から専門家に展示方法,照明の具合などを指示されながら,職員と学生アルバイトで会場設営を行った。展示会場の入口付近には槇氏の著作や当時の資料も展示した。 初日は12時から,残り3日間は10時から18時まで開場し,受付係は学生アルバイトに依頼した。講演会当日の来場者は70名を越え,学部学生がふだん入室できない図書館4階部分も見学を可能にした。参加者からは,写真でしか見られなかった部分を実際に見られて良かったという声を多く聞いた。 展示会終了後,日吉メディアセンターのギャラリーに場所を移して12月一杯パネル展示を続行,今は地下倉庫で次なる展示の機会を待っている。
4 記念誌発行 記念誌は当初,講演会や展示会などの「記念行事の記録」を中心とした内容を考えていた。その後,20年記念誌ということを明確にするため,前半部分は,開館当時の記事の採録,関係者からの原稿,「開館20年記念行事」の記録とし,後半部分に現在の日吉メディアセンターの中核をなす「情報リテラシー」に関する論文や「20年の歴史」を収録する,という構成を考えた。写真を多用したビジュアルで気楽に読める40ページ程度の小冊子の概要と割付が出来たのは12月に入ってからだった。 その後,関係者への執筆依頼を行った。開館当時の中心的存在だった小川治之氏の原稿以外に,思いがけず「日吉図書館建設委員会」の委員長だった田村茂名誉教授から寄稿していただけることになり,とても光栄に感じた。天野,市古両氏の「日吉における情報リテラシー教育」の論文も歴史の流れを感じさせるもので,20年誌にふさわしい原稿となった。 20年史やコラムの部分はスタッフが分担執筆した。コラムは日吉らしさが表現できる「閉館音楽」「バルコニーコレクション」「美術品・日吉ギャラリー」の3本に決めた。開館以来同じ閉館音楽を使用していること,日吉ギャラリーが開館10年を記念して開設されたこと,各所にデザインの遊びがあることなど,再認識させられることがいろいろあった。 「企画展示」,「統計」,「年表」,「書誌」は,担当者が標準統計や『KULIC』を中心に各種資料からデータを収集することから始めた。その後「読む歴史」を目指して,文章で肉付けしていった。 「統計」ではデータをグラフ化し,いろいろな側面から日吉図書館の20年の変化を分析した。特に相互貸借依頼件数の増加は,データベース導入などによる大きな変化に伴うものだと考えられた。 年表は「トピックでみる日吉図書館」とし,日吉図書館の変化が著しい項目を抜き出していった。いくつかの出来事については,読む年表にするため,当事関わったスタッフに思い出を書いてもらった。 ビジュアルなものに仕上げるために,日吉図書館の現在をカメラマンに撮影してもらった。シンボルとなる「あずまや」のペンキの色がくすんでいたため,これを機に塗り直し,鮮やかな赤と青のコントラストの写真が出来上がった。もちろん,講演会の写真やパネル展示会場の写真も記念誌に収録した。 記念誌の巻頭部分の「写真で見る日吉図書館」をはじめとした,開館当時および建築デザインの写真はセピア色でまとめて「静」のイメージを醸し出させた。それとは対照的に,本文の随所に散りばめられたカラー写真は,現在の日吉図書館の賑わいを表現しており,それらの対比はとても良いアイディアだったと感じている。
5 おわりに 2006年3月末,待ちに待った『慶應義塾日吉図書館開館20年記念誌』が2,000部発行された。出来上がった小冊子はシンプルだが,とてもスマートで都会的なものになった。数回の打ち合わせでこちらの意図することや希望を汲み取り,期待以上のものを制作してくれたデザイン・制作会社の尽力は多大であると痛感した。 出来上がった記念誌は,日吉図書館に在籍したことのある塾内スタッフのほか,すでに退職された日吉図書館関係者などに最初に配布した。その後,各地区メディアセンタースタッフや塾内関係者,さらには早稲田大学,神奈川県内や横浜市内を中心に,他大学図書館関係者にも配布し,様々な感想を得ることができた。 慶應義塾創立150年の2008年に向けて,日吉キャンパスは大きな転機を迎えようとしている。これから日吉メディアセンターも大きく変わっていくことであろう。そのような時期を前に,20年の歴史を振り返り,資料をまとめ上げることが出来たことは本当に良かったと思う。日吉図書館開館に携わった職員として,20年後の今,このような素晴らしい記念行事に関われたことを心よりうれしく思う。
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