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ナンバー13、2006年 目次へリンク 2006年10月1日発行
 
シーボルトとの邂逅(かいこう)
市古 健次(いちこ けんじ)
メディアセンター本部事務長付
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1 シーボルトとの出会い
 私が初めてフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796〜1866)と出会ったのは,中学の歴史教科書であろう。江戸時代,鎖国政策下において長崎出島に医者として来日し,鳴滝塾を開き,日本人のおタキと結婚して,娘おイネは日本で初めて女医になった,という程度の知識の持ち主が,なぜシーボルトについて言及することになったか,自分自身もいささか不可解である。
 シーボルトへ接近することになったのは,1997年,選書担当をしながら貴重書室担当の兼務につくことになり,西洋古刊本を担当することになったのがきっかけである。それまでは西洋古刊本のカタロギング,所蔵・重複調査の業務に携ったに過ぎない。まず,西洋古刊本についての知識は自分自身でつけなければと思った。
  そこで1998年に米国図書館協会の一部会で,西洋古刊本の情報化交換の場であるRBMS(Rare Books Manuscripts Section)のワシントンDC大会に出席し,翌年にはバージニア大学の5日間短期集中コースであるRBS(Rare Books School)に参加した。さらに教員から薦められ,「古書の世界」という授業も聴講した。授業が終わった後,「自分の関心のある古書を一冊買うと良い。自分で購入したものと図書館所蔵図書とのコンデションの比較,古書店のカタログ価格の比較ができて良い」と説明された。購入する本は,学生時代に学んだ中国政治に少しでも関連させるために,東西交渉史関係を中心とした通称「幸田成友文庫」(混架)の中から選ぶことにした。最初の中国研究書と呼べるアタナシウス・キルヒャー(1620〜80)『中国図説』(1667)に目をつけると,ラテン語初版が所蔵していないことがわかった。15,6点著作を貴重書室で所蔵しているキルヒャーに親近感をもっていたので,古書店ネットでラテン語初版を購入することにした。
 一方,西洋人が書いた日本関係書も見逃せない。多くの図書館や博物館でそのテーマで展示しており,展示図録も刊行されていた。展示図録などを元に「西洋人の描いた日本・中国関係書リスト」をエクセルで作成し,図書館の所蔵をチェックした。ケンペル,ティティング,トゥンベルク,シーボルトと顔ぶれが自ずとあがってくる。

2 福澤諭吉とシーボルト
(1)中津
 貴重書室には西洋古刊本のほか,日本書物文化のきわめである御伽草子はじめ,多くの稀少で,重要な図書を所蔵している。重要文化財にも指定された熊本の旧家の文書である「相良家文書(さがらけもんじょ)」や福澤諭吉(1935〜1901)の書簡・文書である「福澤文書」の一部も所蔵している。
  福澤諭吉は大阪で生まれ,大分の中津で育ち,長崎の光永寺,大阪の適塾で学び,鉄砲洲,新銭座,三田で開塾している。貴重書室で「福澤文書」に関わったためか,中津と長崎に急に行きたくなってしまった。2003年12月,中津駅前では福澤諭吉の立像が出迎えてくれた。商店街のアーケードを抜け,裏通りを通って寺町を行くと,福澤諭吉の旧居,福沢記念館に着く。母屋,福澤が勉強した土蔵,記念館を見学。印象に残っているのは,52枚の福澤諭吉の写真が展示してあったことである。旧居を後に,中津川の岸にある中津城へ。写真が好きな筆者にとって撮り甲斐のある町並みを持った中津であった。
(2)長崎
 長崎へは大分からバスの旅。鳴滝塾があったそばにシーボルト記念館がある。常設展示を生誕から順に見ていくと,第13番目のコーナーには,何と,福澤諭吉書簡がある。タイトルは,「杉孫七郎宛福澤諭吉書簡 1873年7月30日付」で,内容はシーボルトとおタキとの間に生まれた娘で医術を志したおイネを,福澤諭吉が宮中の産婆医に推薦するものであった。福澤諭吉は生涯で1万通もの書簡を書いたと言われるが,この書簡は1980年に重要文化財に指定されたものである。
  長崎のシーボルト博物館でシーボルトと福澤諭吉との関係を知ってしまったので,さらに両者の関係を調べたくなった。『福澤諭吉全集』の人物索引から「シーボルト」を探すと,16箇所あったが,言及したものはなかった。しかし,第20巻520頁に福澤諭吉がシーボルトの書簡を翻訳しているのを見つけたのである。
  シーボルトは,1859年から62年に再び日本に滞在している。江戸滞在は役所の許可が必要のため,オランダ総領事やシーボルト自身の外国奉行宛書簡が残されている。その原文を翻訳したのが,咸臨丸で帰国し,外国奉行支配翻訳御用御雇の職に1860年11月に就いた福澤諭吉であった。この文書は東京大学史料編纂所所蔵であるが,「マイクロ版福澤関係文書」(福澤研究センター編)に収録されている。「シーボルト横浜より江戸に帰任の届出」(1861年9月14日)がそれである。

3 「シーボルト展」企画
 三田メディアセンターでは,年10回,所蔵資料を展示している。過去の記録見ると,シーボルトに関する展示としては,1996年に生誕200年記念展を行っている。そこで今度は福澤諭吉との関係に趣をおいた展示として第215回「慶應義塾に見るシーボルト展」(2004年10月25日〜11月7日)を企画した。
 そこでは,主著である『日本誌』,インター・リーフ形式でシーボルトの書き入れがある『日本植物誌』(Florae japonicae, 1845-6,請求記号:120X@243@1),長崎から江戸に向かう途中の滋賀県で見つけたオオサンショウウオを取り上げた『日本動物誌』,出島で蘭船を迎えるシーボルト親子を描いた『長崎絵巻』,シーボルトの賛辞がある「解剖存真図」(複製)と「福澤書簡」(複製,シーボルト記念館蔵)の5点を展示した。この企画の実現は,過去5年間で最も印象に残るものであった。1年以上もかけて内容を練って,福澤諭吉とシーボルトとの関係をわずかであるが,垣間見ることできたためである。

4 シーボルトの末裔
 福澤研究センター,斯道文庫,三田メディアセンターとの兼務であったために,3機関の間の往復がどうしても多くなる。図書館を入ると,展示ケースを覗きたくなる。ある時,HUMIプロジェクトで活躍していたことのあるステファニー・ナルチクさんと,英米文学専攻大学院生が図書館の展示ケースで立ち話をしていたところに,私が通りかかったのである。ステファニーさんとは久しぶりであったので,話が弾んだ。
 SN:「夏,どこかに行かれるのですか?」
 KI:「オランダのライデンにあるシーボルトの博物館へ行きます。私的な旅行だが,図書館にある本にシーボルトの書き入れがあるのですが,それがシーボルトの直筆かどうかを確認できたらと思って。」
 SN:「その資料,ここで展示していたのを見ました。その資料を閲覧したいのですが?」
 KI:「では貴重書室の担当に話しておきます。その展示は,展示委員会が企画したものです。」
 閲覧日当日は,日独シーボルト・シンポジウム(ドイツ東洋文化研究協会主催)の企画を担当していた大胡真人氏と一緒に来室した。大胡氏の説明によると,図書の形をしてブランク・ページをいれた「インター・リーフ」は時々あるそうで,『日本植物誌』の書き入れはシーボルトによる本物だと思うとのことであった。ライデンのシーボルト博物館は日本で収集した資料を展示しているが,一方ドイツのシーボルト家では代を継ぐ際に遺族が所有していた旧蔵資料が一部市場に出た資料もあるそうである。現在も調査中であるが,『日本植物誌』は,幸田成友教授が1928年欧州留学中に,博物誌関係で有名なハーグのマルチヌス・ナイホフ古書店,あるいはライプツィヒにあるグスタフ・フォク古書店かで購入した本であることが分かった。
 後日,シーボルト・シンポジウムで講演を行うことになっていた文学部高宮利行教授からシンポジウムの案内状(2006年3月1〜3日於ドイツ文化会館)を受け取った。その一方,ステファニーさんが,シーボルトの末裔で,ひ孫にあたるフォン・ブランデンシュタイン=ツェッペリン氏が慶應所蔵の手書き本に興味を持っており,シンポジウムのレセプションのときにぜひ紹介したいと言ってきたのである。シーボルトの末裔との会見を楽しみにしていたので,レセプションが待ちどうしかった。
  レセプション当日,ステファニーさんはシンポジウム企画運営担当者でもあるために忙しく,ブランデンシュタイン氏を紹介してもらえそうもなかったので,タイミングを見計らって直接,ブランデンシュタイン氏に声をかけた。インター・リーフ版で手書きがある『日本植物誌』を見たいが,慶應義塾図書館を訪ねる時間がないということであった。とにかく,自筆を見たいというので,数ページをデジタル撮影して,プリントアウトしたものを後日,届けることにした。翌日,ブランデンシュタイン氏にプリントを見せると,食い入るように見て,「100%,本物」とお墨付きをいただいた。
 夏にオランダを訪ねることを話すと,ブランデンシュタイン氏は,ライデンだけでなく,ドイツのビュルツブルグのシーボルト博物館へも是非と勧められた。2006年夏のたった一人のシーボルト・ツアーでは,シーボルトの末裔との再会も予定している。

図表
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