『MediaNet』は,メディアセンターの活動や成果の記録であるとともに,広報誌でもある。最近号では「特集」として,図書館における電子化やリスクマネジメントなどのテーマがとりあげられているほか,スタッフや教員による論稿や報告では,大学図書館が直面している現状と課題についてはばひろくふれられている。しかし,本誌に掲載されている論稿や活動報告が,他のスタッフによってどのように受け止められているのか,またひとつひとつの提言や意見がどのようにフィードバックされ,メディアセンター全体の活動に生かされているのだろうかと考えると,いささかのためらいをおぼえざるをえない。 最近の『MediaNet』で比較的多くのページをさかれているのが,デジタル化をめぐる動きである。デジタル化の波は,もはや否定することのできない国際的な潮流であるし,日々の業務のなかでも実感されていることである。本誌第10号(2003年10月)で,細野公男前所長が「慶應義塾のデジタル環境におけるメディアセンターの役割」と題する短い論稿をよせているが,現在にいたっても解決すべき課題はかわっていない。これは,何を意味するのだろうか。本誌の存在や役割にもかかわる問題であるように思われる。 デジタル資料は,読取装置をはじめOS環境やアプリケーションソフトなど外部環境への依存度がきわめてたかく,技術進歩によってすぐに時代遅れになってしまう。したがって,デジタル化はコストがかかるだけでなく,リスクも大きい。 リスクが大きいのは,ハードウェアやソフトウェアだけではなく,記録媒体についてもおなじことがいえる。中性紙の保存寿命は100年,期待寿命もふくめると500年,またマイクロフィルムの期待寿命は最大500年といわれる。もっともマイクロフィルムの場合,現在までの実績はせいぜい80年程度にすぎない。それに対して,光ディスクや磁気テープなど電子媒体の期待寿命ははるかに短く,品質や保存条件が最適であったとしても10〜30年にすぎないが,この期間でさえメーカーによって保証されているわけではない。 こうしてユーザは,あらたなシステム環境への適応だけではなく,マイグレーションやエミュレーション,あるいはマイクロフォーム化などデジタル資料の保存のために,二重,三重の負担を強いられることになる。しかし,せっかく多額のコストをかけてデジタル化したものの,技術的にも時代遅れとなったデジタル画像や,検索ツールとの融合性に欠けるために有効に利用されずに死蔵されているデジタル資料やデータベースは, いたるところにある。 しかし,デジタル資料の記録媒体としての寿命期間がどれだけ短いとしても,そしてまたデジタル資料が可視性という点で紙媒体やマイクロフォームにどれだけ劣っているとしても,情報の検索や共有や保存などデジタル資料の統合的な利便性は,研究者にとって最大の魅力である。デジタル資料の効率的な利用によって,従来のアナログ的研究では想像もつかなかった知の相乗効果がうまれる可能性も大きい。 こうしてあらたに開拓された人類の知をデジタル形態で蓄積・保存し,人類共通の知的公共財として長期にわたり有効に活用していくことは,これからの人間社会を考えるときの欠くべからざる知的基盤になる。そのためには,たんに現在における機能の向上に眼をうばわれるのではなく,将来の知的基盤の構築という視野から,長期の保存・利用にたえうるオープンソースで互換性をもつ技術の開発がのぞまれる。 今回のメディアセンターのグーグル・ライブラリ・プロジェクトへの参加も,蔵書のデジタル化を通して,インターネットとの融合を基礎にして,慶應義塾が長期にわたり,研究や教育を中心に世界的規模での知の構築に貢献する大きな機会にしたいと考えている。
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