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ナンバー14、2007年 目次へリンク 2007年10月1日発行
ティールーム
雑感
竹森 俊平(たけもり しゅんぺい)
経済学部教授
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 5月,6月は締め切りのある原稿を書きすぎた結果,神経性胃炎を患ってしまった。この原稿の依頼のことは忘れようと思っていたが,「死や,税金と同じように,締め切りとはかならず来る(英語の格言)」。ということで,胃に負担とならない,気楽なことを書かせてもらう。
 最近の図書館の利用法としては,もっぱら電子媒体を利用している。ウェッブによる論文の検索など便利なものだ。ほとんど,コピー機のご厄介にならないで済む時代になった。新聞の検索も便利で,どんなトピックでも,にわか専門家になれる。新聞の場合,PDFでないテキスト文書だと,そのままコピーして,自分の書く文章に引用することも簡単だ。といって,引用の使い方は注意が必要だ。昔なら,原文を横に並べ,手書きで原稿用紙に写していくのだから,手がくたびれる。手がくたびれるから,それが自然と過剰な引用の歯止めになる。あまり引用が多い文章というのは読みにくいものだ。
 しかし,昔の文章家でも,徳富蘇峰などという人の文章はやたらに引用が多い。本一冊の5分の3は引用であろうか。あれは,本人が原文を手書きで写したのか。そうであれば,まさに博覧強記である。さもなければ,書生にでも,写しておけと命令したのか。昔の人で,もう一人,引用が多いのが高橋亀吉である。これは,自分で書き写しているような気がする。引用した文章と,自分の文章とがうまくつながっているからである。そういえば,名文をタイプで打って引用した場合,それがきっかけで自分の文章まで良くなることがある。書き写している間に,その文章のリズム,間合いといったものが,自然に身についてくるのである。反対に,英語の文章を自分で訳して引用した場合には,その後の文章が,がたがたになることが多い。翻訳には気を使っているが,翻訳した文章はどうしても翻訳調になる。そのリズムで日本語を書くから,文章がおかしくなるのである。そうであっても,テキスト・ファイルからコピーして,文章に貼り付けるのよりは,自分で打ったほうが,原稿は書きやすい。コピーした場合には,もとの文章のリズムが身につかないから,自分の文体とのギャップが出てくるのである。何でも,かんでも,科学の進歩が良いとは言えないわけだ。
 文明の進歩といえば,最近の学生は電子辞書を使う。あれなども,科学の進歩のマイナス面だろう(少し大げさな話だが)。なぜといって,辞書などというものは,もともと引くべきものではないからだ。分からない単語は,連立方程式の未知数のように,コンテクストから逆に割り出すべきものだ。福澤翁を始めとして,昔の蘭学者が頭脳抜群だったのは,外国語の学習が,同時に連立方程式を解く作業だったからである。
 自慢ではないが,昔から,辞書,とくに英和辞典はめったに使わない。連立方程式が好きだからというより,面倒くさいからだ。たしかに,英和辞典を使わないで困ることもある。魚,鳥,花,木などの名前が分からないのである。「民主主義」といった抽象的な言葉ならば,英英辞典を読んで理解することもできよう。むしろ,英英辞典の説明は語義から始まるから,言葉の意味が良く判る。ところが,「菊」だとか,「白樺」だとかいう言葉が出てきて,それを英英辞典の説明から理解するのは大変だ。幸いなことに(?),自分は日本語でも,花や木の名前をよく知らない。だから,英語の名前が分からなくてもさほど困らない。唯一困るのは,食べることが好きなために,外国に行って魚の名前が分からない時のことだ。そういう時には,まよわず調理場に行く。調理場に行って,この魚だと指す。
 ということで,まったく雑駁で,どうでも良いことを書きつらねながら,規定の字数まで辿りついたようだ。結論を述べれば(!),「電脳」と「自分の頭脳」をバランス良く使って,人生を楽しむべきだということである。

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