不思議と冒険に彩られた「いにしえの英雄」は,世界各地の文化に見られるものだ。日本人が古くはスサノオやヤマトタケル,近くは義経などを愛してきたように,イギリスには誉れ高きアーサー王がおり,魔法と闘いにあふれる伝説を遺している。他の英雄と同様に,彼もまた歴史上の人物としての言い伝えと,より驚異に満ちた物語的人物としての造形をもち,複雑で魅力的な英雄像を形づくってきた。 アーサー王に関して面白いのは,その事跡のほとんどすべてが全くの作り話であるという点である。歴史上の王としてのアーサーが,そもそものはじめから創作なのだ。その責任は12世紀,想像力を駆使して本当はいない王の一代記をでっちあげた,モンマスのジェフリーという聖職者に帰せられる。ラテン語で書かれたこの「歴史」は,翻訳・伝播を繰り返すうちにいつしか「伝説」となり,現在のフランスやドイツでは早くからアーサー王やその騎士たちに材をとった冒険譚が書かれた。発祥の地であるはずのイギリスはといえば,その点に関しては他国の後塵を拝している。このいわば「国家の恥」を雪ぎ,イギリスをしてついに「アーサー王伝説の保存庫」たらしめたのが,ここにご紹介するトマス・マロリー卿の『アーサー王の死』(Le Morte Darthur)である。 この作品は,おそらくは薔薇戦争における党派間闘争のあおりを受けて様々な汚名を着せられたマロリーが,最晩年の1468年から70年にかけてロンドン塔の中で執筆したものだ。とはいえ,じつは現代の意味で「マロリーの作品」ということはできない。8つに分けられるパートのそれぞれには(一部を除き)はっきりと分かる原典が存在し,マロリーはこれを忠実になぞっているからだ。彼の最大の業績とは,それまで互いに緊密な関係を持たず流布していた物語群を,「アーサー王の一生」という明確なテーマを経糸とする一幅の絵図へと織りなしたことだ。今では『アーサー王の死』として知られているが,著者本人はこれを『アーサー王とその高貴なる円卓の騎士たちについての完き本』と呼び,その目指すところを明らかにしている。アーサーの神秘な生まれやローマ遠征,悲劇的な死に加え,王妃グェネヴィアと騎士ランスロットの不義の恋,トリスタンとイズールトの悲恋など,主要なアーサー王伝説すべてがこの中に見出せる。 このマロリーによる集大成によって近代イギリスはアーサー王を受け継いだ。1485年に印刷業者ウィリアム・キャクストンが初版を発行して以降も着々と版を重ね,1634年にはウィリアム・スタンズビーが慶應義塾図書館所蔵のコピーを含む版を出版した。エリザベス朝期の詩人ベン・ジョンソンのすぐれた作品集で知られるスタンズビーだが,マロリーについてはかなり手を抜いたようで,彼の工房の印刷工たちは参照した版にある誤りを引き継ぐばかりか,みずから多くの誤りを導入する始末であった。このなおざりぶりと鮮やかな対照をなすように,新たに附された序文はアーサーが歴史上実在したことを熱心に主張しつつ,現在の読者に相応しくない言い回しを丹念に除去したと誇らしげに語る。 意気込みは結果的に本文中には反映されていないものの,この序文には当時の政治的事情が透けて見えてたいへん興味深い。チャールズ1世の御世にあって,ブリテンにかつて存在した帝王の事跡を「歴史」として上梓することには重大な意味があったからである。ジェイムズ1世以来,スチュアート家は議会に対する王権の絶対的優越を主張し,アングロ・サクソン時代から受け継がれたとされる普通法――王権にすら優越する国民の普遍的権利――を掲げる議会派と対立していた。キャクストンからこのかた定着していた『アーサー王の死』に代えてスタンズビーが採用したタイトルを記せば,その意図は余すところなく理解できるだろう。いわく,『ブリテンの王たる誉高きアーサーの古くまた世に知られし歴史。ここに語られるは彼の生と死,ならびに(その祖国の名誉のために)成し遂げしサクソン人,サラセン人,異教徒との戦い,さらにまたその勇敢なる円卓の騎士たちによる高貴なる行いと雄々しき勳である』。アーサー王はサクソン人と戦った英雄として歴史上に位置づけられているのである。 スタンズビー版のもう一つの特徴は,150年前のキャクストンによる初版に比べ,その想定する読者層が広くまた低くなっていることだ。序文中に受け手の読解力を低く見積もるような文言を記す一方,それまでの重厚な二折版(folio)から,より取り回しのよい小四折版(small quarto)へ判型が変更されている点からも印刷業者の意図が伺えよう。 かなりの後版であるスタンズビー版の重要性は,これらの興味深い特徴だけにはとどまらない。何よりも,こののち200年ちかくに亘って,スタンズビー版こそがアーサー王伝説を保存する唯一の媒体となったのである。様々な理由がからみあってアーサーへの熱がいっとき冷めると,マロリー作品の出版もぱったりと途絶える。そして次にマロリーが日の目を見るのは実に1816年のことであった。品質とは裏腹に,その文化的重要性はいくら強調してもしすぎることはない。 慶應義塾図書館所蔵のコピーは,おそらく19世紀にモロッコ皮で装丁しなおされ,小口に金を施すなど比較的豪華な作りとなっているが,欠損した木版画やタイトルページを他のコピーより補っていたり,製本の際に四方がかなり裁断されていたりと,古書としての価値は若干落ちる。しかしこれは同時に,もともとこの本がどれだけ「利用」されていたかの指標でもあるわけで,今となってはむしろ意義深い歴史の証人なのだと断言してよいだろう。 (請求番号)[120X@962@1]
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