昨秋SFCメディアセンター所長に就任した直後に三田でのメディアセンター運営委員会に出席したときのこと,現在の「メディアセンター」という名称を「図書館」に戻す議論があることを初めて知った。「いや,それは困る」と思わず言うと,逆になぜ「メディアセンター」でなければならないのかと問い返された。そう言われても…SFCメディアセンターは最初から「メディアセンター」なので他に呼びようがない。その後,SFC執行部ミーティングでこの「できごと」を報告すると,総合政策学部長,環境情報学部長,政策・メディア研究科委員長がそろって熱く「メディアセンター」擁護論を展開したので,私の感覚は広く共有されていたことを知ったのである。 思えばキャンパスがオープンしたてのころ,その敷地のど真ん中の一等地はまだ工事塀で囲われており,雨の日など,その周囲のぬかるみに敷かれた板の上を長靴を履いて迂回したものだが,その工事塀の中から徐々に現在のSFCメディアセンターが姿を現したのである。「新しい酒は新しい皮袋に」をモットーとしたSFCでは,新しい名称をつけることは新しい価値を生み出してゆくことと同義であった。旧来の図書館ではない「メディアセンター」という命名もそのひとつと聞く。そう名づけることにより,紙媒体の情報ソースを超えた,これからの情報メディアのあり方を模索する使命を自らに課したとも言える。その後,1993年に他キャンパスもすべてメディアセンターと改称された。 私は外国語を教えているが,メディアセンターが「メディアセンター」である恩恵を蒙ったことが二度ほどあると思っている。ひとつは通称MMLS(マルチメディア・マルチリンガル・スペース)というIT機器を装備した外国語の自律学習空間を提案した際,SFCメディアセンターが快く場を提供してくれたことだ。「よりメディアセンターらしくなる」と賛同いただいた。SFCの長所のひとつに教職員のフットワークの軽さがある。良いとなったらすぐに事が動くのだ。このときも,こんな空間がほしい…とふともらした「つぶやき」から実現までに3ヶ月もかかっていない。教員と職員のコラボレーションもSFCの長所であるが,MMLS完成までに,私はメディアセンターとITC職員の方々に大いに揉んでいただき,多くを学んだ。 他のひとつは,外国語の授業に使われる小教室の改修に当たり,建物外にもかかわらず,メディアセンターがリーダーシップをとって関わってくれたことである。オーディオ機器,映像投影装置,書画カメラ,等々の選定はもちろんのこと,机や椅子に至るまできめ細かい配慮とアドバイスをいただいた。メディアセンターが「図書館」だったら,おそらくそのようなことまでやっていただけなかったにちがいない。名称は人の意識も組織も変える。 しかし時代は動き,言葉の中身もそれにつれて変わる。今回全塾的に「メディアセンター」改め「図書館」に戻そうとしている理由は,「図書館」自体のシニフィエ(意味するところのもの)が大きく変わり,広く電子情報までも含むようになったということや,世の中では「メディアセンター」という語が教材センターやプレスセンターなどを指す用語として流布するようになり,紛らわしいからということである。SFC的メディアセンターのシニフィエを全国に定着させることができなかったのは残念であるが,他キャンパスがすべて「図書館」に改称される予定のなか,SFCだけは「湘南藤沢メディアセンター」として残れそうである。 キャンパス創設以来,SFCは教育に研究に常に全塾の,そして時代のパイオニアたらんと努力してきた。SFCに倣って一度は「メディアセンター」に改称した他キャンパスが再び図書館に戻ろうとしていることは,戦列にひとり取り残されるようで寂しい気もする。初夏になると香りの良い小花をつけるメディアセンター脇の菩提樹の木々を見ながら,ふとそんなことを思った。
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