1 はじめに 平成20年3月21日,慶應義塾図書館所蔵の対馬宗家文書895点が「対馬宗家関係資料」の名称で国の重要文化財(歴史資料の部)に指定されることが決まり,7月10日の官報告示を経て,正式に義塾図書館の蔵書として5件目の重要文化財となった(他4件については本稿末尾を参照)。本稿では,対馬宗家文書について紹介するとともに,指定調査の様子や管理者としての今後の課題について記すこととしたい。
2 対馬宗家文書とは 対馬宗家文書は,江戸時代に対馬藩(現長崎県対馬市)の藩主であった宗家に伝来した古文書・古記録である(参考文献1)。宗家は室町時代から江戸時代・明治初頭に至るまでの長きにわたり,日本と朝鮮の間の外交・貿易を独占的に担い,日朝関係の歴史において非常に重要な役割を果たした。外交交渉では故事先例が重視されるため,宗家の活動拠点であった対馬の藩庁,朝鮮釜山の倭館,江戸の対馬藩邸において非常に多くの文書が作成され,保存されてきた。そのため,文書の内容は国際色に富み,総点数も十数万点といわれる膨大なものとなっている。 明治5年(1872)に朝鮮外交の管轄が外務省へ移ったのち,対馬宗家文書は種々の事情により分散し,現在は7箇所の機関で保管されている。慶應義塾では,明治45年(1912),かつて江戸の対馬藩邸に保存されていた記録類約1,000点を有償で譲り受けた。現在は図書館5階の貴重書室に所蔵されており,今回の指定対象はそのうちの895点である。内容は『朝鮮通信使記録』が最もよくまとまった状態で伝存し,他に『朝鮮往復書』,対幕府・他大名関係の記録,多岐にわたる文書を集めた『雑集』等の記録類が含まれている。江戸時代の外交を知る上で価値が高いと評価され,重要文化財の指定を受けることとなった。 特に『朝鮮通信使記録』(417点)は質量ともに充実した記録となっている。江戸時代に12回来日した使節のうち,徳川綱吉の5代将軍就任を祝う天和2年(1682)の通信使から,最後となった文化8年(1811)までの後半6回分の記録と,実現しなかった天保期(1830年代)の来聘計画の記録等が含まれる。その内容は,通信使来聘の計画段階から来日・帰国に至るまでの様子を詳細に伝えている。応接の儀礼,国書の書式,贈答品,馬上才(馬芸)の披露,饗応料理の献立,参向・下向道中での通信使の動向,先例問い合わせへの対応など,事項ごとに分類整理され,対馬宗家が機会あるたびに参照しながら実務を行ったことがうかがえる記録である。 なお,対馬宗家文書の重要文化財指定は,平成17年指定の九州国立博物館所蔵「対馬宗家関係資料」(14,033点),平成19年指定の国立国会図書館所蔵「対馬宗家倭館関係資料」(1,593点)に続き,慶應義塾は3件目である。
3 重要文化財指定のための調査 文化庁文化財調査官による指定に向けた本格的な調査は,主として平成19年9月下旬から11月上旬にかけて実施された。その間,調査官が連日のように貴重書室に来訪し,目録作成等において学内の古文書室の協力も得ながら,約1,000点の悉皆調査が行われた。 調査の眼目は指定の対象となる文書を確定し,指定目録を作成することである。歴史資料の指定基準においては,「歴史的又は系統的にまとまって伝存」したものを一括して保存してゆくことに配慮がなされており(参考文献2),来歴も含めた文書内容の検討に多くの時間が割かれ,混入文書を除く作業が慎重に行われた。また,作成年代についても,平成17年に指定された九州国立博物館の時と同様の基準が採用され,原則として対馬宗家が朝鮮外交を担った明治5年までの文書が指定対象となったため,とりわけ明治初期の文書については,慎重な年代確定が行われた。 筆者は貴重書室担当として,調査に立ち会いながら,対馬宗家文書を所蔵するに至った経緯やこれまでの利用状況等を確認する作業に当たった。受入の頃に作成された古い目録や原簿を紐解きながら,資料の来歴や整理過程を調べていく作業は,文書の内容や全体像について,予想以上に多くのことを知る機会となり,このような本格的な文化財調査に立ち会えたことは,文書を管理する立場の担当として,大変貴重な経験となった。 調査は無事終了し,文化審議会より重要文化財指定の答申を受けると,東京国立博物館で開催された「特別展観 新指定国宝・重要文化財」(平成20年4月22日〜5月6日)において一部の資料が展示され,一般公開された。『朝鮮通信使記録』を中心に,朝鮮国王の国書を写しとった部分(図1)や贈答品の様子を伝える部分(図2)など,対馬宗家文書の特色がわかる8点が展示された。
4 おわりに ―今後の課題― 対馬宗家文書が重要文化財に指定されたことにより,所蔵者としての慶應義塾図書館の責務はよりいっそう大きいものとなったといえる。資料公開により研究の進展に寄与しながら,貴重な文化財を保存し後世に伝えていかなければならない。それゆえに残された課題も大きい。 まず何より資料の保存・修理に関する問題があげられる。対馬宗家文書のうち,特に『雑集』に含まれる文書は,虫損による劣化が多くみられ,一部には開披不能のものもある。所蔵者としてはこういった文書を修復し,閲覧者に提供していかなければならない。幸い重要文化財の修復には国や東京都から一定の補助が得られ,所蔵者の負担は軽減されるが,専門技術と繊細な作業を要する文化財補修作業には,長い期間とともに莫大な費用がかかる。状態が悪いものは1冊数百万円にも及び,今後継続的にその費用を捻出することが,大きな課題となっている。 また一方で,利用環境の整備も課題となろう。重要文化財となっても,原本の閲覧提供は継続すべきであるが,必ずしも原本に拘らない閲覧者に対しては,デジタル画像も準備することが利便性の向上になる。同時に,複写の依頼に対してもデジタル画像は大変有効である。すでに市販のマイクロフィルムが製作されている『朝鮮通信使記録』以外の文書について,利用度の高いものからデジタル化していくことが課題となろう。歴史資料である古文書は取り扱いに注意しながらの撮影となり,またデジタル化自体にも多大な費用が掛かるため,全点デジタル化の実現はなかなか容易ではないが,資料に含まれる豊かな内容を生かすためにも,少しずつでも実現させたい事業であると思われる。
慶應義塾図書館所蔵の重要文化財
(下記に対馬宗家関係資料を加え,計5件となる.)
後鳥羽院御抄并越部禅尼消息 一帖
観応2(1351)年写(書跡・典籍の部 昭和49年
指定)
大かうさまくんきのうち(太田牛一筆)一帖
慶長年間写(書跡・典籍の部 昭和49年指定)
相良家文書 千二百五十三通,三十巻,八十四冊,一
帖,二十一鋪 附 鎧小札残欠(伝相良長頼所用)
二百九枚 鉄二枚銅具足残欠 二枚
鎌倉〜江戸時代(古文書の部 昭和52年指定)
解剖存真図(南小柿寧一筆)二巻
江戸後期写(歴史資料の部 平成15年指定)
参考文献
1)対馬宗家文書については,田代和生.“改訂『対馬宗家文書』について”.マイクロフィルム版 対馬宗家文書 第III期倭館館守日記・裁判記録 別冊 下.東京,ゆまに書房,2006,p.7-43.を参照した.
2)松本純子.“歴史資料部門の創設と展開”.月刊文化財.530号,2007,p.9-13.
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