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ナンバー15、2008年 目次へリンク 2008年10月1日発行
 
マイケル・ドレイトン『ポリ=オルビオン』(1612,1622)
高橋 勇(たかはし いさむ)
文学部准教授
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 英国ルネサンス期の文学といえば,何よりまず「演劇」が念頭に浮かぶ。日本でも知らぬもののないシェイクスピアをはじめ,綺羅星のごとき作家陣(日本ではあまり知られていないけれど…)が劇場をにぎわしていた。しかし西欧の長い歴史のなかで,常に最重要の文学ジャンルであったのは「詩」であり,この時代にも寓意詩『妖精の女王』で名高いスペンサーなど,後世に大きな影響を遺した詩人が多数活躍している。
 マイケル・ドレイトン(Michael Drayton)もそうした詩人の一人なのだが,わが国ではほとんど馴染みのない名前だろう。よしんば知られているとしても,それは十中八九,あの『指輪物語』の作者トールキンによる批判を通じてではなかろうか。トールキンは「妖精物語について」という小論の中で,妖精(fairy)という元来は偉大であった存在を,ひらひら宙を飛び交うようなちっぽけなものにしたのこそ,『夏の夜の夢』のシェイクスピアをはじめとするルネサンス期の文人であると弾劾し,ドレイトンの『ニンフィディア』をその最悪の例として挙げているのだ。これはトールキンの嗜好と論点からすれば正当な非難ではあるが,『ニンフィディア』が英雄詩のパロディとして絶妙な出来栄えを示している作品である以上,この点のみをもってドレイトンの評価とするのはあまりに酷な見当違いといえるだろう。
 ドレイトンはシェイクスピアより一年早い1563年に,同じイングランドのウォリックシャーに生まれ,1590年ごろからロンドンで文人としての生活を始めたようである。彼の詩人としての活動は多年にわたり,1591年に最初の作品集を世に問うと,爾来1631年に没するまで40年もの間,精力的に執筆・改訂を続けた。地誌詩,歴史詩,物語詩などを得意とし,ずっと後年,ロマン派の青年詩人キーツがロマンス『エンディミオン』を執筆する際に下敷きとした『エンディミオンとフィービー』もドレイトンの作品である。
 この精力的な詩人は,しかし決して多作の人とは呼べない。詩人としての力の絶頂期に,持てる力の全てを傾けて一篇の長大な作品に取り組んでいたからだ。これぞ畢生の大作とみずから心に定めて精励すること20余年,結果われわれの手元にのこされたのが,ここで紹介する『ポリ=オルビオン』(Poly-Olbion)である。このタイトルはギリシャ語をもとに作られたもので,おおよそ「あまたの恵みある国」を意味する。
 タイトルにいう「恵みある国」とはすなわち,ドレイトンの愛する祖国イギリスのことだ。銅版画家ウィリアム・ホールによる扉絵にはアルビオン―女性の姿に擬せられた大ブリテン島―が両の手にそれぞれ王笏と豊饒の角を抱えて微笑み,詩のめざすところを視覚的に明らかにしてくれている。詩人はイングランドとウェールズを(想像のなかで)経めぐり,道すがらその土地土地の動物や山川草木を讃えてゆくのである。
 擬人法を多用したこの詩の中ではイギリスの自然すべてが生きており,川が笑い山は泣く。だがこうして描かれるのは,ギリシア・ラテンの古典古代から継承した古きよき文学的世界であり,ドレイトンは現在の(つまり17世紀の)イギリスではなく,それがかつて持っていた誇るべき過去をこそ讃えているのだ。かくて詩人は訪れる先ごとに,その地の記憶するいにしえの伝説や歴史を丹念に呼びおこし,失われた栄光を謳いあげることになる。
 懐古的な音調には理由がある。エリザベス女王の治世,若き詩人として宮廷の愛顧を受けていたドレイトンは,1603年のジェイムズ1世戴冠にあたって同様の恩顧を期待したのだが,これが完全に裏切られたのだった。いまや時代は変わり,栄光につつまれたエリザベス朝はもはや過去のものとなった。前王朝を知る同年代の人々と同じく,ドレイトンの眼には新時代が悪しきものとしか映らなかったのである。「一般の読者へ」と題された前書きには,骨を折って過去の高貴な事跡を探求するよりも「都市の共同ごみ捨て場にも似た」無知の厚い霧のなかに留まることを選ぶ,「愚劣と倦怠」に取りつかれた読者よ,という,ドレイトンのあざけりと怨嗟に満ちた呼びかけが聞かれる。
 だがこうした口調に対する反感も一因となったか,全30歌のうち,まずはじめの18歌が1613年に出版されたとき,その評判はまったく芳しいものではなかった。覚悟の上とはいえ,このとき既に50歳になんなんとする著者にとって,これは大きな失望だったろう。またこの商業的失敗は,それでも挫けず執筆をつづけていた続編の出版元さがしをも困難にし,残る12歌を加えて第2版を世に問うたのは実に1622年のことであった。このたびは「誰でもこれを読んでくれる人へ」と投げやりな題を与えられた前書きで,ドレイトンは自分が「野蛮人のような無知と見下げはてた誹謗」に出遭ったと述懐している。この時点でイングランドとウェールズをおおむね踏破していた詩人は,この逆風のなかスコットランドにも足(筆?)を延ばすと宣言しながら果たせず,作品はひとまずの完結をみた。
 ドレイトン自身,ウィリアム・キャムデンの偉大な地誌詩『ブリタニア』(義塾図書館に初版あり)や数々の歴史書によって得た該博な知識を作品に注ぎ込んだのだが,第一部18歌には当代きっての歴史家・好古家であるジョン・セルデンによる詳しい註も附され,現代でいう郷土史的資料としての価値もきわめて高いものとなった。というより,雄勁な文体ながら長大で通読が難しい『ポリ=オルビオン』が後世に重要な影響を与えたのは,この理由によるところが大きい。例えばここに保存されたウェールズ各地に残るアーサー王ゆかりの伝説は,18世紀の愛国的中世趣味に恰好の素材を与えている。宗教改革により終焉したイギリス中世と,産業化のすすむイギリス近代との間を,この作品はいわば中継したのである。日本に限らずイギリス本国でも現在ほとんど読まれることがないようだが,ドレイトンはその作品にもっと正当な評価が与えられてよい作家の一人である。
 『ポリ=オルビオン』は1622年に第二部が印刷所をかえて出版された際に第一部18歌も再版され,両部揃いで上梓された。義塾図書館所蔵のコピーは,第一部がわざわざ1613年の初版第3刷に差しかえられており,結果として第一部初版タイトルページと第二部初版タイトルページの双方を具えた,かなり稀少なコピーとなっている。装丁はだいぶ後代のものだが,三方の小口に金を施され,保存状態も良好,一見に値する美本といえよう。
 (請求記号)[120X@1188@1]

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