2005年に「Googleブック検索」の著作権をめぐって全米作家組合(AG)および全米出版者協会(AAP)がグーグル社に対しておこしていた集団訴訟は,2008年10月に両者の間で和解案が成立した。この和解自体は米国内の問題であったが,ベルヌ条約により日本の著作権者にも適用されるために,日本国内で大きな波紋を呼びおこすことになった。しかし,これは,たんなる和解への対応の問題を超えて,これからのインターネット社会におけるデジタル・コンテンツとしての「本」とそこに凝縮された「知」の本質にかかわるものである。いままで日本が世界のデジタル化の潮流に対して後向きにしか対処してこなかった課題が,いま突きつけられているのである。
欧米の学術雑誌はいちはやく紙からデジタルへ移行し,この分野では電子ジャーナルが冊子体の雑誌にかわって主流になっている。多くの研究者は,研究成果を公共財として発信しているにもかかわらず,大手出版社による学術情報の寡占化と商業化・高額化が急速に進行し,学術雑誌のコンテンツはもはや公共財としての性格を失っている。大学図書館や研究機関も発信と保存という視点から,学術情報のデジタル化を推進し,リポジトリの充実をはかってはいるものの,大手の商業出版社に対抗できるまでには相当の時間とコストがかかる。
雑誌論文だけでなく,書籍もひとたび刊行されれば公共財である。すでに音楽や映像はインターネットで配信され,書籍や新聞・雑誌もデジタル化されつつある。事実,アメリカでは,キンドルなどの電子ブック・リーダーで本や新聞を読む姿をよくみかけるし,日本でも,一部のネット小説やケータイ小説の配信も事業化され,国内の電子ブック市場は,2005年度の約100億円から,2008年度には464億円に急成長しているという(『日本経済新聞』2009年7月9日)。
しかし,「Googleブック検索」もふくめ,書籍のデジタル化とはいっても,基本的には紙の書籍がたんにpdf化されているにすぎず,とりたてて目新しい点はない。学術書では,註を読むのに紙の書籍以上に手間がかかり,とうてい読む気にはならない。電子ブックの場合,ブック・リーダーの端末が壊れると情報がすべて失われてしまうとか,まだまだ改良の余地はあるにしても,価格設定はペーパーバック版より安く,いつでもどこでも読むことができる。なによりも保存に場所をとらないのは魅力的である。電子ブック・リーダーも遠からず日本に入ってくるだろう。紙の書籍の発想に引きずられることなく,デジタルの利便性を最大限に追求した電子ブックが登場すれば,利用状況も大きくかわってくるだろう。
今回の訴訟は,たんに著作権だけの問題ではなく,インターネット社会におけるマイナー言語としての日本語コンテンツの流通の問題にも関連している。日本語書籍の流通もグローバル化し,オン・デマンド出版にかぎらず,日本の著作権法にとらわれることなく海外で日本語の書籍が出版される可能性も否定できない。
これからのデジタル環境のなかで,過去に日本語書籍として蓄積された膨大な「知」と,これから蓄積されていくであろう「知」を,どのように世界に向けて発信・保存し,どのように流通させていけば日本が国際的な知的活動の一端をにない,かつ貢献しつづけていくことができるのだろうか。EUや中国や韓国のようにデジタル化に対して政府レベルで積極的に取り組んでいる国々と,今回の「Googleブック検索」騒動をめぐる日本側の反応をみていると,今後,世界と日本とのギャップが開くことはあっても,縮まることはもはやないのではないかという懸念をもたざるを得なかった。
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