2001年4月,慶應義塾(以下,慶應)としては初めて首都圏以外に開設した山形県鶴岡市の鶴岡タウンキャンパス(以下,TTCK)が開設されてから,今年で9年目を迎えた。
TTCKには,最先端のバイオテクノロジーとITを駆使した新しい生命科学のパイオニア的研究拠点を目指す「慶應義塾大学先端生命科学研究所(Institute for Advanced Biosciences,以下,IAB)」と,鶴岡市,東北公益文科大学(注1)(以下,公益大),慶應の3者が,1:1:1で知的資産を共有,共同管理,運営する図書館である「致道ライブラリー」が併設されている。この間IABでは,数々の研究成果をあげることができ,近年世界的な注目を集めている。
致道ライブラリーを取り巻く環境も,この9年間で様々に変化している。大きくは,2005年4月の公益大大学院の開設,2007年11月の致道ライブラリー内へのからだ館がん情報ステーション(以下,からだ館)の開設の2点があげられる。
1 東北公益文科大学大学院の開設
2005年4月,鶴岡タウンキャンパス敷地内に,公益大大学院が開設された。公益大は,鶴岡市の隣,酒田市に学部キャンパスを設置しており,キャンパス内に14万冊収蔵規模のメディアセンターを有している。公益大では,致道ライブラリーを公益大メディアセンターの鶴岡サイト(分館)として位置づけ,大学院の研究領域に特化した大学院レベルの資料収集を基本とし,提供することを目指している。
致道ライブラリーは,備品・資料購入費・光熱水費・消耗品費等,運営費用を三者が等分に負担し,各組織から職員を派遣することとしているが,公益大大学院開設まで,資料購入費,職員については,鶴岡市と慶應の二者が負担していた。2005年度から公益大予算での資料購入,職員派遣が開始され,実質的な三者運用体制が開始されることとなった。
(1)選書,購入方法の変化
これまで,慶應,鶴岡市予算では,生命科学を中心とした自然科学分野(慶應研究分野)の資料を,選書基準に沿って職員が選書し購入していた。
公益大大学院の研究分野は,2領域5分野,人文・社会科学系が主な収集範囲となる。公益大の選書は教員リクエスト主体で,現在も変わっていない。
創設期後,三者共に経常費での資料購入が始まり,慶應,公益大予算では,学生,教職員の学習,研究に必要な資料(雑誌,電子ジャーナルなども含む)を購入,鶴岡市予算では,洋書,専門書は購入せず,広く一般の方も利用できる資料を購入することとした。また,鶴岡市予算で購入する資料は,自然科学系,社会科学系の両方とし,購入割合は厳密に決めず,必要なものを購入することとした。
鶴岡市,慶應購入資料の整理は,職員の業務的負担,業務用端末の台数不足,目録業務を行える職員数などの理由から,外部委託:自館整理=8:2の割合で行い,業者も1社に統一されていた。しかし公益大創設期に新しい業者が選定され,それまでの流れを踏襲しつつもデータ納品形式が異なり,事前打ち合わせやデータ検証なども行ったが,大量の二重登録データ,NACSIS-CATへのデータ未登録などの不具合が生じた。この経験から,創設期後の整理委託は,年間整理委託冊数が少ないこと,管理の上の観点から,三者同一業者に整理委託することとした。現在は,委託:自館整理=6:4で,自館整理は慶應,公益大担当者が行っている。
(2)勤務体制,開館時間
これまで,鶴岡市,慶應職員の2者3名で,勤務時間に合わせ,可能な限り最大の開館時間での運用をおこなっていた。
開館時間は以下の通りである。
月曜日〜金曜日 8:45〜18:00
土曜日 8:45〜15:00
日曜日 13:00〜18:00
※第1,3日曜日のみ開館。
公益大大学院は社会人学生が多く,昼より夜の時間帯(6限18:00〜19:30,7限19:40〜21:10)に授業が集中していたため,夜間開館が望まれた。しかし,予算面,人員の問題からも,公益大職員1名を加えた4名での開館時間延長は厳しかった。そこで,一般開館時間は変更せず,公益大所属者に限定した開館(平日18:00〜20:00,土曜日15:00〜18:00,第2,4,5日曜日13:00〜18:00)を実施し,利用者である公益大がその時間帯の開館を維持,高熱水費などを負担することとした。致道ライブラリー一般開館終了後,建物入口は施錠され,ICカードを持った慶應,公益大所属者のみが出入りできることとなり,関係者限定の開館が行われている。限定開館の実績は,一般開館時間延長を検討する際のひとつの資料となる。
(3)相互貸借
公益大大学院が開設されたことで,公益大酒田キャンパスと鶴岡キャンパスとの定期便が運行されるようになり,公益大メディアセンターと致道ライブラリーとの相互貸借も開始された。両館の利用者カードは共通で,利用者は両館を利用することができる。収蔵能力の少ない致道ライブラリー(収蔵可能冊数7万冊)としては,自館資料を補完する意味でも,交通手段が発達しているとは言い難いこの地域では,利用者の利便性が向上したと思われる。相互貸借利用者は公益大所属者が大半だが,最近では市民の利用も増えつつある。
2 からだ館がん情報ステーションの開設
(1)「地域協働型」研究プロジェクト
2007年11月に致道ライブラリーの一角に開設した「からだ館がん情報ステーション」(注2)は,一般市民や患者・家族に,がんに関する情報を多面的に提供するIABの研究プロジェクトである。大学が,地域の医療機関や行政と連携・協働して住民のニーズに応えていく『地域協働型』研究プロジェクトと位置づけられ,いわゆる医療図書館とは一線を画した取り組みを行っている。
開設にあたって,住民ニーズ調査,地域の医療者ヒアリング調査,国内外の患者図書館や医療図書館の視察等を行い,オープン前1年間をかけて,ミッションおよびプログラムの策定,収集する資料や書籍の選定,そしてがん情報ナビゲーターの育成等を行った。
(2)多面的な情報提供の試み
「からだ館」の最大のミッションは,患者や家族の意思決定のサポート,地域住民のQOL(Quality of Life)向上である。このために,医学的なエビデンスに基づく診療ガイドラインや解説書の他に,患者や家族の闘病経験の情報を揃えることにも力を入れた。所蔵する書籍は1200冊,このうち闘病記は150冊で,この他に全国各地の40余りの患者会の会報を取り寄せファイリングして提供している点にも特徴がある。患者の闘病経験を社会に生かすことは,からだ館の重要な役割であり,2009年度は,地域のがん患者や家族が出会い,おしゃべりできるサロンも企画している。
市民向けの勉強会,出前講座といったイベントを,地元の医療者や行政担当者と協力しながら企画・開催している点もからだ館の特徴である。2008年度開催した主なイベントを表1に記すが,いずれも地元メディアに取り上げられ注目されている。2009年度は,庄内保健所長,医学部教員にも協力をいただき,がん検診をテーマにした勉強会を開催した。また地元の旬の食材を使った料理教室も季節毎に開催し好評である。からだ館の活動を伝えるニューズレターも隔月で発行し,行政等さまざまなルートによって広く発信している。
(3)からだ館の貢献
からだ館は,地域住民にとって,『がんに関する様々な情報にワンストップでアクセスできる場』であるが,それを実現するためには,情報提供できる人材の育成が不可欠であった。現在からだ館は,スタッフとして嘱託職員3名(常勤換算で1.6人)を雇用しているが,いずれも医療司書等の資格や経験はなく,がん情報の提供に必要なスキルアップを継続的に行っている。
2008年度は,からだ館の蔵書貸し出し件数534冊,来館者から情報探しについて受けた相談は108件であった。主な内訳は,治療法30件,不安13件,食事・栄養9件,補完代替療法7件,セカンドオピニオン6件,医療者との関係5件等であった。相談件数および書籍貸し出し数は,イベント開催の直後に増える傾向があり,今後も地域の文化会館やコミュニティセンター等,図書館の外に出かける企画を継続的に行う必要があると考えている。
からだ館の活動は,市民の自発的な学びの場づくり,がん情報を提供する人材育成等,地域貢献に直結している。利用者は,病院や行政区の枠を越えており,病院には行く機会のない一般市民,医療関係者も含まれている。今後も,病院の外に中立的な医療情報支援機関を置き,リアルな場で人,書籍,ネット等を組み合わせて多層的に情報提供することの有用性を社会に対して発信していきたい。なお,このプロジェクトから得られた知見の一部は,信濃町メディアセンターが推進する大学病院の患者向け情報提供サービス「健康情報ひろば」にも提供された。
3 今後の課題
自然科学に特化した蔵書構成が,公益大大学院開設により,人文・社会科学系の図書が大幅に増え,蔵書に広がりも見えた(図1)。また,からだ館では,闘病記や患者会資料なども多数そろえ,がん情報ナビゲーターを配置するなど図書館的な魅力も加わった。
また,公益大大学院開設後には公益大所属者の利用が増え,からだ館開設後にはからだ館利用や,イベント参加をきっかけに,これまで来館したことのなかった市民が来館し,利用者登録数が増え,全体の利用者も増加した印象がある。
三者運営体制も整い,スムーズに業務が行われているが課題もある。からだ館資料は,利用者の利便性を優先したため,NDC分類後,各部位別に再分類して配架している。OPACでは部位別分類は表示されないため再度調べる必要がある。対照表を作成し,代行検索も含め職員が対応しているが,利用者自身がOPACから書架にたどり着けるよう検討が必要だ。からだ館の運営は,IABの研究プロジェクトに割り当てられた予算で行っており,継続運営のための安定した資金源の確保も課題である。
三者運営の利点として,資金を持ち合うことで,限られた経費で多くの資料購入,職員配置ができる,3つの違った視点から様々な発想が得られるなどがある。それに加え,今後は利用者目線からも,単一の大学図書館,公立図書館とは違った魅力が感じられる図書館作りを目指したい。大学として,専門知識の提供によって高度な学習や学術研究をサポートする役割を果たすことはもちろん,大学での研究成果を市民に還元するという,からだ館開設の試みは,その1つの例になるのではないかと思う。
注 1)“東北公益大学ホームページ”.(オンライン),入手先<http://www.koeki-u.ac.jp/>,(参照 2009-08-01). 2)“からだ館がん情報ステーションホームページ”.(オンライン),入手先<http://karadakan.jp/>,(参照 2009-08-01).
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