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ナンバー16、2009年 目次へリンク 2009年9月30日発行
 
エリザベス・キース『苦笑して我慢して』
―アジアに魅せられた外国人絵師―
山田 摩耶(やまだ まや)
三田メディアセンター
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1 キースと日本
 19世紀後半に,日本の浮世絵版画や工芸品が欧米に流出したことで花開いたジャポニスムは,西洋の芸術文化に影響を与えただけでなく,当時の航路や運河の世界的な交通網の発達により,日本を始めとしたアジア諸国に画家たちが訪れる遠因ともなった。
 本書の作者である,エリザベス・キース(1887〜1956)もそうした画家のうちの一人である。スコットランドに生まれ,ロンドンで自由奔放に育った彼女は,東京で雑誌『新東洋』(The New East)を刊行していたロバートソン・スコット(1866〜1962)と結婚した,姉のエルスペット(1875〜1956)を訪ねて1915年に来日した。そこで日本の風景や風俗が絵画的であるのに惹かれ,以後9年間に及ぶ長期滞在中と,1929年から1933年の再来日の期間に,日本をはじめ,韓国,中国,シンガポール,東南アジアなどを姉と旅し,各国の風景や,人々のごくありふれた日常を作品に残していった。

2 『苦笑して我慢して』
 この度,三田メディアセンターが新たに収集した本書は,麻のキャンバス地の表紙に『苦笑して我慢して』の題と,中央に苦笑いした達磨の顔の木版画があることからもわかるように,中には肖像諷刺画が掲載されている(図1)。
 義兄の出版社である新東洋社から刊行されたこの版画集は,1917年11月22日から24日までの3日間,赤十字社主催のチャリティを目的に,東京の華族会館(現:霞会館)で行われた諷刺画の展示会で,1冊5円で販売された。
 当時,第一次世界大戦の最中で,傷病兵救助のための義援金集めに行われたこの展示会が,キースにとって画家としての初めての展覧会であったが,同時に多くの寄付金を集め成功をおさめた。
 諷刺のモデルとなった人物は62名で,展覧会場の提供者でもあり後に赤十字社社長も務めた,徳川家16代当主の徳川家達をはじめ,ヘンリー8世の姿の後藤新平(図2),朝吹英二の長男であり日本庭球協会創立者の朝吹常吉がテニスラケット姿だったり(図3),『武士道』著者の新渡戸稲造が「お嬢ちゃん」と題され,着物を着た初々しい娘姿だったり(図4)と,国内の名士たちが面白可笑しく描かれている。加えて,酋長の姿になった英国大使グリーン,「青い鳥」と題された米国大使参事官ウィラーなど,当時日本に滞在していた外国人の外交官や実業家も描かれていて,内外の名士たちが諷刺の対象者となっている。彼等の体は,人間だけではなくテニスラケットや本,仏像,トランプなど,様々な姿に変貌していても,顔は酷似しているのは,本書の冒頭にキースが述べているとおり,モデルに依頼して送ってもらった多くの写真をもとに忠実に描いているからである。
 それらが,キースの作品の一つの特徴でもある,鮮やかだが柔らかな色調で印刷されているのは,美術印刷の草分け的存在であった,田中松太郎がキースの要望どおりに色を表現したからであろう。
 キースは,展覧会開催にあたって当時の新聞記者に語っているように,風俗や風景,特に人物画を得意としていたため,これ以降も人物画の版画作品を多数残しているが,諷刺画は珍しく,これほど多数の諷刺画は本書の他には見られない。おそらく諷刺そのものを得意としているよりは,人物の表情や人間性を引き出すことを得意としていたのであろう。諷刺自体も本人を批判するような厳しいものというより,モデルの人物像が好意的に表現されるような諷刺が行われている。

3 「新版画」の出会い,アジアとの出会い
 キースはこの作品を発表後,1919年に水彩画の個展を開き,そこで,当時江戸浮世絵を外国人に販売していた画商であり版元の渡邊庄三郎(1885〜1962)と出会い,木版画の道を勧められる。
 明治時代末頃の日本の版画界では,自画,自刻,自摺の創作版画運動が広まりつつあったが,画家自身の彫りや摺りの技術には限界があった。そうした中,庄三郎により,江戸時代の伝統的手法であった,版元の下での絵師,彫師,摺師の各専門家の協同作業が復興されることによって,より質の高い作品を制作する「新版画」とよばれる運動がおこっていた。制作手法は江戸からのものでも,江戸時代の浮世絵を複製するのではなく,若手画家による新たな題材で制作され,新しい版画の表現が試みられていた。
 浮世絵や,日本,アジアの風俗,人物に魅せられ,それまで主に水彩画の作品を手掛けていたキースは,庄三郎と出会ったことで,日本の版元や職人たちともさまざまに係わり,近代日本の版画界でおこっていた「新版画」の運動とあいまって,姉と一緒に訪れた中国,韓国,シンガポールの風景画や共感を込めた人物画など,個性を生かした木版画作品を次々と制作した。
 同じ「新版画」の流れを組んでいた,伊東深水(1898〜1972)が描いた『キース嬢の肖像』が残されていることからもわかるように,当時の「新版画」の画家たちとも交流を深め,写実にとらわれない木版画の特徴を生かした表現に熱心に取り組んだ。
 日本から帰国後もパリやロンドン,アメリカで個展を開催し好評を博するが,第二次世界大戦の中,欧米で反日感情が高まるにつれ,キースの画家としての立場も不安定なものとなり,失意のうちにロンドンで1956年に没する。
 日本で活躍した外国人絵師の中でも,百点以上もの多くの木版画作品を残しているのはキースただ一人であり,現在では,東京国立近代美術館はじめ,ルーブル美術館,大英博物館,アメリカの主要な美術館にキースの作品が所蔵されている。
 本学では,高橋誠一郎浮世絵コレクションや,George S. Bonn浮世絵コレクションなど,多数の浮世絵版画を所蔵し,それらの価値が過去の展覧会や数々の文献などで紹介,評価されているが,コレクションを形成しているのはどれも日本人の絵師たちの作品である。
 それらとはまた別の視点で,近代浮世絵の構築の大事な役割を担っていた,外国人絵師の作品として本書を所蔵する意味は大きい。
 本書は,当時の国内外諸名士の容貌や人間性を知るとともに,はるかかなたより海を渡り,新鮮で温かいまなざしでアジアを自由に見つめ,表現してきた絵師キースの,西洋と日本の画風や技法の融合が垣間みえる初期の作品として,興味深い資料といえるだろう。
 (請求記号)[1BB@221]

参考文献
1)Keith, Elizabeth. Grin and bear it:caricatures. Tokyo, The New East Press, 1917.
2)Keith, Elizabeth;Keith, Elspet;Robertson, Scott. Old Korea:the land of morning calm. London, New York, Hutchinson, 1946.
3)Miles, Richard. Elizabeth Keith:the printed works. Pasadena, Pacific Asia Museum, 1991, p.80.
4)横浜美術館.アジアへの眼:外国人の浮世絵師たち.横浜,横浜美術館,1996, p.256.
5)“新版画―渡辺庄三郎の業績/新版画の近代性/新版画のたそがれ/最初の新版画家・橋口五葉/美人画を得意とした伊東深水/旅の版画家・川瀬巴水/役者絵の耕花・春仙/自らの表現法を追及した吉田博(清親と明治の浮世絵)”.日本の美術.no.368, 1997, p.71-80.
6)“諸名士の似顔を漫画とし”.読売新聞.大正6年11月10日.ヨミダス歴史館.(オンライン),入手先<https://database.yomiuri.co.jp/rekishikan/>,(参照2009-05-21).
7)エリザベス・キース.“寫實から脱化したい”.読売新聞.大正11年5月26日.ヨミダス歴史館.(オンライン),入手先<https://database.yomiuri.co.jp/rekishikan/>,(参照2009-07-09).
8)猿渡紀代子.“浮世絵を愛した外国人絵師たち十選6”.日本経済新聞.2000年3月7日.日経テレコン21.(オンライン),入手先<http://database.lib.keio.ac.jp/nikkei/newtelecom
21.html
>,(参照2009-07-01).
9)“Miss Elizabeth Keith Woman Artist In The Orient An old friend”. The Times 13, Apr. 1956. The Times Digital Archive. (online),available from<http://infotrac.galegroup.com/itweb/jpkeio?db=TTDA>,( accessed 2009-06-30).
10)“Mrs. Robertson Scott”.The Times 25, Sep. 1956 The Times Digital Archive.(online),available from<http://infotrac.galegroup.com/itweb/jpkeio?db=TTDA>,(accessed 2009-06-30).

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