1 現状
主たる利用者を,矢上キャンパスに属する理工学部の3,4年生・大学院生・教職員とする理工学メディアセンター(以下,当センター)では,その選書基準(2000年作成・2004年改訂)において,図書は専門課程レベルの学術書・テキストブックを中心に選定することとし,NDC分類別の基準も設けている。しかし,実際にはどこまでを専門課程レベルとするのか,また近年関連周辺分野の裾野が広がる理工学分野において,どの範囲までを収集対象とするのか,判断が難しい場合も少なくなかった。
資料購入費の8割を雑誌に費やしている当センターでは,雑誌の値上がり問題を抱えつつも何とか調整して図書購入額をキープしてきている。しかも,古いテキストブックでもよく利用されることが多く,複本購入や劣化本買替の必要があり,新刊書のみに予算を割けるわけではない。
このような状況の下で,予算の範囲内でいかに利用者のニーズに合った図書選定を行っていくかが長年の課題となっていた。
2 選書上の悩み
現在の予算状況では網羅的な図書の収集は困難で,選書基準・利用度を見て選択的に収集している。和書は新刊情報誌と見計いを利用し,洋書は,シリーズの継続購入,利用者からの購入希望,既存図書の改版購入を中心に行っている。
選定作業の際しばしば判断に迷うものとしては,具体的には下記のような資料があげられる。
(1)入門書
ここでの入門書とは,専門課程に進んだ学生が,各科目の基礎的な知識を必要とした時に利用する図書を指し,教養課程の学生を利用対象とする日吉メディアセンター(以下,日吉)で所蔵している。これらは選書基準で言う専門課程レベルには当たらないが,実際は当センターでも所蔵し,頻繁に利用されるものが多く,選書基準が利用者のニーズと必ずしも一致していないと感じるところである。また同じく学術書の範疇に入らない実務的な図書―切削加工の方法など―も,選書基準上では対象図書に入らないが,利用度が高いものもある。専門課程の学生にとって必要な図書は,所謂学術専門書にとどまらず多岐にわたっている。
(2)関連領域・新規分野の理工学図書
管理工学,生命情報,建築分野の図書などについては,主要なものは揃えるものの,他分野との境界にあるような図書については予算との兼ね合いから,他地区メディアセンター所蔵図書を利用の前提として購入しないことが多い。
(3)高度に専門的な図書
主に雑誌記事を利用する大学院生にとっても,知識をまとまった形で得る際に図書が必要とされる。しかし,各専門分野は細分化されており,高額な図書も多いことから,購入希望が出たら購入する,予算のゆとりが出たら選定するといった状況にとどまっている。
(4)洋書
専門資料の種類は数多く,高額なものも多いため,現在の選書体制および予算状況では積極的な選書ができていない。
3 調査法
利用者のニーズが大きく満たされていない部分については,それに対応した蔵書づくりを行う必要がある。また,雑誌が冊子から電子ジャーナルへ移行するに従い,今後当センターに入ってくる冊子体資料の多くは図書となるため,より魅力的な図書コレクションを構築しなくてはならない。これらの問題に対応するため,まず現在の蔵書の状況を把握することとし,それにおいては下記3点を満たすことを条件とした。
・学部3,4年生のニーズに応えられているか
・大学院生のニーズに応えられているか
・適切な洋書の選定が行われているか
調査手法として,チェックリスト法を採用した。これは,自館の蔵書を他の書籍リストと突き合わせる方法である。使用する書籍リストは,網羅性,取得可能な書誌数,作業負荷の点で有効な手段の一つとされている,複数の大学図書館の蔵書リスト(参考文献1)を使うことにした。
蔵書データの提供を依頼したのは,早稲田大学理工学図書館(以下,早大),東京工業大学附属図書館大岡山本館(以下,東工大),トロント大学Gerstein図書館(以下,トロント大)である。これら3図書館は,学生数,蔵書総数,利用対象に学部1,2年生を含むなど当センターとの違いもあるが,早大,トロント大は総合大学の中の理工学系図書館,東工大は理工学図書館の中心的存在である。もともと3館とも交流があり,データ提供の依頼がしやすかった背景がある。
対象データは,一般図書およびレファレンス図書(電子ブックは含まず)とした。データ量が大量となるため,出版年を2003年から2007年に,かつ慶應義塾大学理工学部・学科と対応度が高いNDC分類に絞った(007,410,420,430,460,500,520,530,540,570番台)。例えば,410番台は数理科学科,420番台は物理学科に対応度が高い。NDCをもたない場合は,相当する分類をこちらで指定して依頼した。書名,著者名,ISBNなどの書誌データのほか,可能な範囲で貸出データも提供していただいた。抽出した各大学のデータ総数は,早大8,900件,東工大2,721件,トロント大6,619件,当センター6,378件となった。
各大学からのデータと当センターのデータをISBNをキーとしてマッチングさせることにより,当センターの所蔵の有無を判断した。各大学でデータの取り方が異なるため,ISBNごとのデータに整えるのに少々苦労した。
4 分析結果
前述の通り,これらの図書館は利用対象などの違いもあり,当センターとの単純な比較はできない。
目的は,あくまで全体の傾向を掴み,具体的なタイトルを見ることで今後の選書に役立てることであり,「評価」とは,単純に評点をつけるのではなく,中身を分析し今後へつなげることに重点を置いているということを述べておきたい。
(1)和書
まず当センター,早大,東工大の蔵書構成の比較をし,次に当センターの過不足を見るために,早大と東工大でのみで所蔵しているもの,また当センターが多く所蔵しているものを抽出し分析を行った。3館のNDC分類構成を比較した結果は特に大きな違いはなく,しいていえば,当センターでは007番,540番台(コンピュータ,ネットワーク関係)がやや多いという程度であった。
a 3館全てにおいて所蔵あり
3館で共通して所蔵しているものは11%である。内容としては『固体物理学入門』(キッテル著)のような基本的なテキスト類,翻訳書が中心となっている(図1)。
b 当センターなし,早大・東工大あり
当センターでは所蔵していないが早大と東工大で所蔵しているもののタイトルを,下記の8パターンに分け分析を行った(図2)。
[1]文系学部生を対象とした入門書
[2]学部1,2年生を対象とした入門書
[3]学部3,4年生を対象とした学習書
[4]境界分野の図書
[5]科学啓蒙のための読み物
[6]コンピュータ系など類書の多い図書
[7]実務・現場を対象としたマニュアル的な図書
[8]理工では雑誌扱いとしているもの,新装版
[1],[7],[8]については選定基準外,または版違いを当センターで所蔵している。[6]はソフトウェア等の図書で,出版点数が多く類書があればよいと判断し,[2],[3],[4],[5]についてさらに内容を分析した。
[2]は当センターの選書基準では積極的に購入していない。当センターと日吉の地理的状況から,必要ならば日吉を利用してもらっているものであるが,初学者向けであっても基本的な図書としてきちんと購入しておいてほしいという意見もある。実際の利用度も高く,たとえば,『なっとくする流体力学』(講談社)は,早大では貸出229回のデータがあり,日吉でも65回と良く利用されている。矢上の学生による日吉での貸出が多い場合は,この入門書レベルの図書は理工でも購入し,積極的に利用してもらうべきと考える。
[3]については,オーム社,共立出版など理工系出版社の図書よりも,大手出版社の理工系図書,技術系の出版社のものが抜けている傾向がある。これは,理工系出版社の出版物は日常使う新刊情報誌以外にもパンフレット等を目にする機会が多く,複数の選定機会に恵まれるのに対し,新刊情報誌だけでは内容の判断が難しい技術系出版社の図書は,その時点で判断ができず保留にしたままのケースが考えられる。また,選書基準では購入する資料のタイプとして学術書,テキスト,参考図書,会議録があげられているため,ややくだけた書き方をしている図書などは選定されなかったものと思われる。より正確な内容の吟味が必要である。
[4]は他地区メディアセンターにあれば良いものと当センターで所蔵すべき内容のものとに分けて考えた。たとえば科学哲学系で哲学の傾向が強い図書については,選書基準には該当するが,利用度は低いため,他地区にあれば良いとした。つまり,今後も積極的には選定しない。一方,購入すべきものとしては,生命情報関係の図書,建築デザイン,経済・金融系のものが多かった。生命情報や建築は理工学部の中では歴史の浅い分野で,基礎となる資料も少なく計画的に資料を購入していく必要がある。また,経済・金融分野の図書は工学的な要素の強いものを中心に購入をしているが,管理工学専攻の学生にとっては十分とは言い難く,選定の幅を広げる必要があると言えよう。
[5]の読み物も,現在の選書基準からは積極的ではないものであり,日吉など他地区の所蔵に依存していた部分である。学生の学習の幅や教養の面を考えると入れておきたいものもあるため,内容や著者などを見極めて選定していく必要があると考える。
c 当センターあり,早大・東工大なしのもの
当センターでのみ所蔵しているものについては,利用度・分野の偏りを見るため,貸出回数および分類別より内容を分析した。
貸出回数が4回以下のものが53%であるが,購入から数ヶ月しかたっていないものの貸出データも含んでいることを考慮に入れる必要がある。10回以上のものが27%あり,ニーズが少ないものばかりではないと思われる(図3)。
NDC分類からみた場合,コンピュータおよびネットワーク関係のものが約半数近くを占める。この分野の図書は早大,東工大ともに類書があればよいと判断していると思われる。また,建築については,出版点数自体が多く,当センターで蔵書構成を意識し重点的購入をしたことが反映しているためと思われる(図4)。
d 日吉所蔵図書の貸出状況
当センターに必要な入門書については,矢上キャンパスに所属する利用者が,日吉の所蔵図書をどの程度利用しているかを知ることにより把握ができると考えた。そこで,日吉の協力を得て,2004年から2008年の貸出データを分析した。その結果,日吉総貸出冊数の約24%を理工学部の利用者(日吉・矢上所属)が占め,矢上所属の利用者だけを見ても約10%を占めている。これは,5年間一貫した傾向であった。また,NDC範囲を3大学比較時と同様に絞り,各年貸出5回以上のタイトル787件を調査した結果は図5のとおりである。この結果より,調査した範囲においては,当センターで新たに所蔵すべきタイトルはそれほど多くなく,むしろ当センターで既に所蔵している図書の複本冊数が足りないのではないかという感触を持っている。基本的な図書の充実が求められていると思われる。
(2)洋書
データを比較するのではなく,トロント大のデータから,どのような図書が購入され利用されているかを見ることにした。北米の学生にとってどのような図書が基本図書であるかを知ることで選書の参考にしたいと考えたからである。現在,調査の途上で貸出回数20回以上の図書348タイトルについて順番に見ている段階であるが,このうち,当センターが冊子で所蔵しているものは27タイトル,電子で利用できるものは18タイトルであった。トロント大の特に貸出の多いものの中には『マクマリー有機化学』『ヴォート生化学』などの原本があがり,翻訳書の出ているものは25タイトルにのぼっている。また,39%の137タイトルが版を重ねているものであった。これらは基本的な図書であると考えられるため,電子の利用状況も踏まえ,選定作業の参考としたい。
5 終わりに
今回,この調査をしたことで,日常選書をするうえで感じていること,たとえば,入門書の選定,選定分野をどこまで広げるか,洋書の購入方法などに対して我々が抱いていた感覚が数字として現れてきたように思う。調査だけにとどまらず,この結果を選定に生かし,実際に未所蔵のものについては,購入を進めているところである。また,高度に専門的な図書の選定方法についての分析や,今回の調査外の分野である管理工学などについての検討はこれから行うこととなる。2008年度に行われたLibQUAL+®の調査では,蔵書に関する要望として,入門書が少ない,読みたい研究分野の図書が他地区にしかない,図書が全体的に古いというような様々な声があがり,今回の調査を裏付ける結果でもあった。
今回の調査結果と共に課題でもある電子資料の取り入れ方にきちんと対応するには,2004年改訂の選書基準をもう一度見直して新たな方向性を出す必要がある。一方,選定レベルや分野の見直しには予算の裏づけも必要となる。2007年8月に“Lecture notes in computer science”の継続購入中止をしたような見直しも積極的に行い,安定した図書購入費の確保をすることも必須だと考える。
今回この調査をするにあたり,小泉公乃氏,早稲田大学理工学図書館,東京工業大学附属図書館大岡山本館,トロント大学Gerstein図書館にご協力いただきました。また,メディアセンター各部署にデータ取得に関してご協力いただきました。ここにお礼申し上げます。
参考文献 1)小泉公乃.“蔵書評価で用いるチェックリストの比較”.日本図書館情報学会春季研究集会発表要綱.2008, p.123-126.
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