1 はじめに
明治23年の「大学部書館」設置よりおよそ120年の歴史を持つ慶應義塾図書館では,後世に伝えるべき貴重な資料を数多く所蔵している。資料の利用と保存については,多くの図書館員がその理想と実際の業務遂行の困難さの狭間でジレンマを感じているのではないだろうか。本稿では,慶應義塾図書館における資料保存の試みとして新たに設置された「保存庫」と,資料劣化への取り組みとして行われた「脱酸処理」について取り上げたい。
2 新たな書庫「保存庫」の設置
慶應義塾図書館では,長年にわたり収集された250万冊もの資料を所蔵している。図書館では,限られたスペースと予算の中で資料保存に努めており,利用者が気軽に資料を手に取ることが可能な開架書庫とは別に,貴重な資料や現装保存を必要とする資料のための閉架書庫を複数持っている。新館の貴重書室書庫,地下4階特殊書庫,旧館の地下1階準貴重書室書庫,研究室棟の地下2階書庫には,各種資料,特殊コレクションが納められているが,近年これらの書架も狭隘化がすすんでいる。
2009年3月,これまでの書庫に加え新たに新館地下1階に「保存庫」が誕生した。昭和57年の新館設立当初から設置されていたAVホールを改装して完成した書庫である。AV機器の設備を整えた教室が図書館外にも設置されてその使命を終了したと判断し,スペースの有効利用を検討した結果である。107m2の広さの中に,足元から天井近くまでの高さ約3mの9段×6連書架が17列,大型本用に6段×6連の書架が1列配置され,総段数は954段にのぼる。書架間のスペースは3段ステップが入る幅+αを確保した程度に留められており,限られたスペース内を最大限に利用する設計となっている。映写機等が設置されていたバックヤード部分には,一次資料等を収めるためのキャビネットが設置された。
「保存庫」は名称のとおり資料保存を第一に考えた書庫であるため,24時間空調が完備され,温度23度前後・湿度50%前後に保たれた閉架書庫である。国立国会図書館の書庫が温度22度・湿度55%に保たれている事(参考文献1)と比較しても遜色なく,資料保存に適した環境であるといえる。また,既存の閉架書庫は教員の入庫を認めていたが,光や温湿度を一定に保つため,入庫は認めず閲覧スペースを設けない運用となる。
3 「保存庫」に収める資料
「保存庫」は,一般書架に配架することが不適切な,あるいは困難な資料もあわせて収蔵する予定である。一枚もののリーフレット・パンフレット・書簡などは,小さな引き出しが多数収納されたキャビネットへ整理する。
また,配架を検討している資料に,慶應保存資料がある。現在新館3階には,慶應義塾大学の各学部・研究機関で発行された紀要・新聞をはじめとする資料約180タイトルをまとめて配架した「慶應紀要」コーナーがあり,学生から教職員,塾員,外部の研究者まで多くの利用がある。これらは慶應義塾の文化的知的資産であり後世に永く残すために,同じく新館3階の集密書架には「慶應保存用」として複本が配架されている。しかし,閲覧用の「慶應紀要」は欠号があるため「慶應保存用」を閲覧に供しているケースも少なくない。
「慶應保存用」には「慶應紀要」を上回る約330タイトルが配架されている。事務部門や一貫教育校で発行されているタイトルも一部所蔵しており,塾内で唯一保存されている資料も多いため,「慶應保存用」の資料を保存庫へ移動するには,「慶應紀要」の欠号を補充する必要がある。
補充方法については,発行部門への寄贈依頼や,広報を行って個人所蔵のものを寄贈していただくことができないかなどと考えている。
4 脱酸処理と資料劣化への取り組み
2009年6月15日の日本経済新聞に,「映像や文書を1000年保存できる方法の基礎実験に成功し,10年以内に実用化したい」という産学連携の記事が掲載された。この記事を読んで,多くの図書館員が一縷の望みを抱いたのではないだろうか。
図書館には,酸化し消失が心配される「酸性紙」の資料やマイクロ資料を多数所蔵している。1990年代からは資料のために,適切な温湿度に保ち,劣化した紙の資料は中性紙箱に入れ,マイクロ資料は巻き直しては空気をあて,付着した汚れを取り除くことに努力を重ねてきている。
日本でまだ紙の資料の劣化が重大な関心事ではなかった1973年,米国議会図書館(Library of Congress;以下LC)はすでに劣化資料の脱酸処理に取り組んでいた。欧米諸国ではすでに30数年にわたりいろいろな方法で脱酸処理を試みてきた。それというのも1850年から1980年までに刊行された資料のほとんどに酸性紙が使われており,劣化することが判明したからである。脱酸方法には,大きく分類すると気体で脱酸する気相法(DEZ法等)と液体で脱酸する液相法(ブックキーパー法等)がある。LCの初期のころは気相法であったが,その後2度の爆発事故などの紆余曲折を経て液相法が採用され,2000年には,今後30年間で850万冊の資料を脱酸することが議会で承認された。(参考文献2)(参考文献3)
日本は,欧米と比較すると劣化資料が少ないと言われているが,1940年頃から1950年頃までに刊行されたものについては,戦争による物資不足からか,かなり粗悪な紙質のものになっているという固有の事情もある。(参考文献4)
慶應義塾図書館では,学内の資金を得て『慶應義塾大学新聞』『慶應塾生新聞』『三田新聞』『時事新報』の新聞原紙の脱酸処理を行うことにした。新聞を対象にしたのは,新聞の劣化が甚だしいからである。手法については,LCが長く採用している実績からブックキーパー法を選択した。脱酸処理を施した資料は,劣化を止めることはできないが,そのままにしておいた場合に比べて,3〜5倍の寿命になると期待されている。
つまり,劣化がすすんでしまった資料に脱酸処理を施しても,寿命を大きく引き延ばすことはできない。劣化の症状が軽い場合のほうが明らかに寿命を長く延ばすことができるため,LCのように1970年代以降の比較的新しい資料の脱酸処理を行うことがより望ましい。慶應として何を残していくのか学内の合意形成も必要となるし,予算をどう確保するかも考えなくてはならない。
すでに保存のためにマイクロ化したもの,機関リポジトリで電子化しているものなど,代替物での所蔵もすすめてきたが,慶應関係の資料は原紙を残すことに大きな意味があると考えている。
参考文献
1)国立国会図書館.平成19年度国立国会図書館遠隔研修「資料保存の基本的な考え方」資料.
2)深田恭代.“LCとドイツ図書館の新しい大量脱酸技術”.カレントアウェアネス.no.194, 1995. 10, p.3-4.
3)竹内秀樹.“米国議会図書館にみるデジタル時代の国立図書館の資料保存戦略”.情報の科学と技術.vol.57, no.11, 2007. 11, p.526-530.
4)“日本図書館協会.資料保存委員会.リーフレット資料保存”.(オンライン),入手先<http://www.jla.or.jp/hozon/leaflet2a2001.pdf>,(参照2008-07-28).
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