1 はじめに
2009年1月10日から3月8日まで,東京国立博物館表慶館で,慶應義塾創立150年記念「未来をひらく福澤諭吉展」が開催され,その後,福岡,大阪と巡回展示をした。この展覧会では,福澤の多方面にわたる先導的な活動を捉えなおし,その遺品,遺墨,書簡,自筆草稿,著書,および福澤の門下生が収集した美術コレクションや慶應義塾ゆかりの名品などが紹介されたが,図書館からも6年ぶりに一般公開されたグーテンベルク聖書をはじめ,福澤の自筆原稿,時事新報の創刊号,図書館ステンドグラス原画など貴重な資料を多数出品した。ここでは,展覧会に協力した貴重書室の立場から出品資料とおもなコレクションについて簡単に紹介する。
2 図書館からの出品資料
図書館からの出品資料は福澤関係文書をはじめ合計で108点にのぼり(詳細は展覧会図録(参考文献1)参照),会場(東京)にある音声ガイドの対象になった資料22点のうち,8点が図書館所蔵資料であった。おもな出品資料とコレクションを紹介すると,まず福澤諭吉に関する資料を含む福澤関係文書の中から,福沢百助旧藏上諭條例,散歩用杖床,居合数抜記録,病床記録,自筆原稿,遺墨,三田演説日誌,幕末明治初期の入社帳,慶應義塾紀事,明治初期の慶應義塾時間表,図書館ステンドグラス原画など25点を出品した。福澤関係文書とは,福澤諭吉関係の原稿約70点,遺品・遺墨約40点,書簡約100点および慶應義塾・図書館関係の記録など計約600点のコレクションで,おもな資料はマイクロフィルム版福澤関係文書に収録されている。今回のような大規模な展覧会以外ほとんど公開されない福澤諭吉の遺品や図書館関係資料から,具体的に2点挙げて紹介しよう。
1点は福澤諭吉の遺品の散歩用杖床である(写真1)。散歩用杖床とは福澤が明治31年(1898)の大病以降,散歩の時に持ち歩いた折り畳み式の椅子で,閉じれば杖になり,広げれば椅子になるというものである。畳んだ状態は杖というよりは三脚のような大きさで,散歩の同行者に持たせ,途中で疲れると開いてそこに座ったそうだ。杖を収納する箱には「杖床記」なるものが入っており,それを書いた福澤の三男・三八によると福澤はその後,病気療養中の甥・今泉秀太郎にこの杖床を贈って励ましたそうだ。杖床は昭和2年(1927)に今泉秀太郎の遺族から慶應義塾に寄贈された。
もう1点は明治45年(1912)に竣工した図書館のステンドグラス原画(油彩)(写真2)と習作3枚(水彩)である。オリジナルのステンドグラスは昭和20年(1945)5月の空襲で焼失してしまったが,和田英作によって描かれた原画と習作は今も制作当時とかわらない状態を保っている。通常,原画のみが展示されることが多いが,今回の展覧会では,習作3枚と原画が一緒に並べられ,原画デザインが決定されるまでの試行錯誤の過程がよくわかる展示となっていた。
次に美術コレクションの部門に出品され図書館出品資料の中で最も出品点数が多かったものが,高橋誠一郎浮世絵コレクションである。今回は,約1,500点ある浮世絵の中から,歌川広重「東海道五十三次」保永堂版16点,(写真3)「行書東海道」12点,「隷書東海道」20点,月岡芳年「月百姿」24点など3会場合わせて72点を出品した。浮世絵は,保存上の理由により展示期間を2週間と限定し,3会場すべて違う作品を展示することにした。本コレクションは浮世絵の歴史を通覧できる質量ともに優れたもので,美術館ではなく大学が所蔵する浮世絵コレクションの中では最大規模を誇っている。雑誌,図書への掲載,テレビ放映依頼なども多い。
さらに,慶應義塾ゆかりの文学者として,三田文学ライブラリー・泉鏡花関係からも永井荷風自筆原稿,泉鏡花自筆原稿・遺品等5点を出品した。三田文学ライブラリーとは,慶應義塾に関係ある作家の著作(単行書の原装保存)や自筆原稿,書簡等のコレクションである。泉鏡花に関しては,遺族から戦前に寄贈された自筆原稿約180点,遺品約160点,草双紙約50点を所蔵している。
なお,福岡,大阪の2会場では,図録には掲載されないが,各会場地域にゆかりのある資料も追加で出品されたため,図書館からは福澤諭吉書幅などを追加出品した。大阪展と後半で会期が重なる「福澤諭吉と神奈川」展にも福澤関係文書から数点を出品する予定である。
3 展覧会への協力と資料保存の取り組み
今回,貴重書室では展覧会事務局や福澤研究センターからの依頼により,出品候補の絞り込みから確定にいたるまで以下のような協力をした。
・出品候補資料の所蔵確認・閲覧準備
・展示図録撮影のための貸出
・展示図録・キャプションのための事項調査
・保険評価額の算定
・展示ケース製作協力,展示設営・撤収の立会い
・観覧者からの調査依頼への回答(東京会場のみ)
また,出品資料には,評価相当額のオールリスク担保付保険をかけ,特殊装備の美術品専用輸送車での輸送を原則とした。特に貴重なグーテンベルク聖書と浮世絵については,それぞれの管理委員会で決められている温湿度(温度20度前後,湿度50%±5%)・照度管理(特に浮世絵は50ルクス程度),展示期間限定(原則2週間)などの条件を遵守するよう手配した。
世界に48部しか現存しないうちの1点であるグーテンベルク聖書の展示に関しては,特に細心の注意を払った。会場である表慶館は明治期の建物のため昼夜の温度差が大きく外気温がケース内の聖書の保存に影響しないように専用展示ケースを新たに製作した。ケースは前面のみガラスで,その他はスチール製のエアタイトタイプとした。ガラスが前面にしかないので,展示された聖書の側面を見やすくするため展示台はアクリルで作製した。製作にあたっては慶應義塾所蔵のグーテンベルク聖書に近い大きさのファクシミリ版聖書を使って採寸し,展示台は聖書を開いた角度が100度程度になるようにサンプルを作成した。サンプルで角度に問題がないか慎重に検証し,両側面と背の3つのパーツに分かれる特別な展示台となった。背の部分は負担を軽くするためにクッション性のある布で作り,開くページが変わっても柔軟に対応できるように幅の異なる2種類を用意した(写真4)。
輸送にあたっては長距離の陸送に耐えられるように緩衝材・断熱材仕様の木箱を作成し,各会場間を移動した。会場への搬入展示時には,三田メディアセンター事務長,貴重書室担当者,展覧会事務局学芸員,会場担当学芸員が立ち会い,聖書の取り扱いや梱包時の注意について確認しつつ,展示作業を行った。会期中には,2回ページ替えを行い,ケースの内外に温湿度自動記録計を設置した。
4 今後の出品予定
今回出品展示した資料のほとんどは,貴重書庫に保管されてはいるが,図書資料以外のものは,担当者でさえ実物を出して確認することが稀な資料である。今回は,図書館の所蔵する貴重なコレクションを学内外の多くの方に見ていただくことができ,担当として嬉しく思っている。また同時に図書館が通常の図書や雑誌以外にもさまざまな資料を所蔵,保管していることを理解していただけたと思う。
最後に,今年は福澤諭吉展以外にも貴重資料を学外へ多数出品するコレクション公開の年になる。まず,9月2日〜8日丸善・日本橋店3Fギャラリーでの「グーテンベルク42行聖書展」にグーテンベルク聖書を出品し,9月19日〜11月23日の三井記念美術館での慶應義塾150年記念「夢と追憶の江戸―高橋誠一郎浮世絵コレクション名品展―」には,浮世絵約300点を出品し,11月1日〜30日に金沢・泉鏡花記念館での「番町の家―慶應義塾図書館所蔵 泉鏡花遺品展―」へは泉鏡花の遺品・原稿約50点を出品する予定である。貴重書室では,これらの展示が充実したものになるよう準備協力している。いずれも次にいつ公開されるかわからない貴重な資料ばかりであり,ぜひ多くの方に足を運んでいただきたい。
参考文献 1)慶應義塾.未来をひらく福澤諭吉展:慶應義塾創立150年記念.東京,慶應義塾,2009, p.431.
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