ジャック・サヴァリ(Jacques Savary)(1622年―1690年)の名は,商法,とともに知られる。
かなり大まかに述べれば,明治期に設けられたわが国の商法は主としてドイツの商法を範として作られ,そのドイツの商法はフランスはナポレオンによって制定された商法の影響下に作られ,そのナポレオンの商法はルイ14世の治世は1673年に設けられた商事王令を継承したものとされているが,そうした1673年の商事王令はまた,ときに「商法の嚆矢」と称され,サヴァリはその,嚆矢,の起草者として知られる。
「商人の商業のための規則として役立つフランスおよびナヴァルの王ルイ14世の王令」をもって正式名とするこの法は「1673年商事王令」を通称とするとともに,起草者の名をとった「サヴァリ法典」をも通称とし,かくてサヴァリの名は,商法,とともに知られる。
小間物商として財をなしたのち,大蔵卿ニコラス・フーケによって官職を得たサヴァリはしかし,ジャン-バティスト・コルべールによって汚職を摘発されたフーケが失脚したために官職を失うにいたったが,その後,財務総監となったコルベールによる重商主義政策の一環として企図された商法典の編纂のために招かれ,この法典は大方がサヴァリの意見をもって作られた。
叙上のように,商法の嚆矢,として大きな意義をもつサヴァリ法典にはまた,会計の歴史にあっても劃期的な意義がみとめられ,すなわち,会計史上は,商業帳簿および財産目録にかんする規定の存在,をもって注目されるこの商事王令はとりわけ第3章第8条において,この王令の公布後6か月以内に財産目録を作成し,また,爾後2年ごとにこれを作成しなおすこと,を普通商人に要求し,この要求は,法による定期決算の要求,として実に劃期的なものであった。そのかみのフランスは経済において些か振るわず,そうしたなか,事業の破綻,不正をともなう倒産,詐欺破産が頻発をみ,それゆえに如上の要求がもたらされたのであった。
くわえてまた,この商事王令は第1章第4条において複式簿記に言及し,このことをもって,初めて「複式簿記」という文言をもちいた近代国家の法律,ともされているが,この規定からは,複式簿記がすでにかなり普及をみていた当時のフランスの情況,を窺うことができる。中世イタリアに確立をみた複式簿記はやがてネーデルラントに伝播をみ,ついでフランスにおよぶ。アントウェルペンの商人ジャン・イムピンが著わし,1543年に上木された『新しい手引き』は複式簿記をあつかい,ネーデルラント初の簿記書,とされるばかりか,これも1543年に刊行されたそのフランス語訳は,フランス語による簿記書の嚆矢,としてフランスにおける複式簿記の普及に大きな意味をもった。
閑話休題。如上の1673年商事王令の起草者サヴァリがものしたこの商事王令の註釈書が『完全な商人』(Le parfait négociant)であった。もっともこの書は王令の註釈にとどまることなく,商業実務の解説などにもおよび,その結果,体系性に問題があるのみならず,商業実務の手引きとしてはみるべきものがない,ともされる。しかしながら,サヴァリによるサヴァリ法典の註釈,は蓋し,好評をもって博し,1675年に上木された『完全な商人』は諸国語に訳されるとともに,多くの版を重ね,広く長く読まれて,商学の古典,となった。
なお,1673年商事王令の註釈書としては1678年に刊行されたクロード・イルソン著『複式をもってすべての種類の勘定を適切に設ける方法』も知名である。この商事王令における商業帳簿にかんする規定の実施についてコルベールから諮問を受けた簿記論者イルソンがその答申として著わしたこの書はしたがって,『完全な商人』においては要約的にしか説かれていない簿記を詳細にあつかい,複式簿記をもって薦めている。
(請求番号)[120X@1219@1]
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