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ナンバー10、2003年 目次へリンク 2003年10月31日発行
スタッフルーム
異国での浄化
山崎  薫(さまざき かおり)
メディアセンター本部
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 今でも絶大な人気を誇る歌手グループに12,13歳なんかのメンバーが入る度,「テレビなんて出てないで学校でしっかり勉強しなさいよ!」などと思ってしまう自分に気が付くと,「あぁ,歳とったな」と少し寂しくなる。私も大学までは随分自分勝手に好きなことをやってきた。入試前は学校よりも塾優先だった生意気な中学時代,嫌いな先生の授業は出ないと謳っていた勘違いの高校時代,そして野球にはまって体力が授業に回らなかった小麦色の大学時代。そんな私が今冒頭に書いたような事を思うようになったのには,年齢と社会的身分の変化以外にもそれなりに理由となる経験があった。
 2001年,カンボジアにおいて経済的な理由により就学できない子ども達のための学校を作ることを目的とした基金を友人が設立した。私はその年末の休みを利用し,基金が主催するスタディツアーに参加することになった。個人的な旅行の行き先としてはマイナーだが,日本人にあまり知られていない場所であるからこそ,「こういう機会は逃せないな」と思ったのだ。マレーシアで1泊のトランジットを経て到着した首都プノンペンの国際空港は,日本の地方空港ほどの規模で,まだまだこの国が発展の余地を残していることを感じさせた。
 現地に着いてまず向かったのが,学校に通う子ども達が住む地域。子ども達までもが働くことで生活するために必要な最低限の収入を得ている人々が住む家は,寝るためのスペースすら満足ではない位の広さだった。ツアー参加者の60代の女性は,その光景が戦後の日本にとても似ていると語っていた。一眼レフを首から提げて,肌の色も白い自分を,なんとなく後ろめたく感じた。日頃ぬくぬくと豊かな国で生活していると,こういう場所で,自分は一体どう思われているのだろうと考えてしまうのだ。だが,私たちを歓迎してくれている表情や態度が,心からのものであることがわかって,またなんともいえない気持ちになった。子ども達は驚くほど人懐こく,「私,子ども苦手なんだよなぁ」と感じる間もなく,手をつながれ,どの子も自分が私を引っ張りたくて小競り合いするくらいだった。ふと気が付くと,両手の指1本ずつに子ども達の手がつながっており,10人に取り囲まれていた。人見知りという言葉が,そこにはなかった。
 新しく創った学校では,午前と午後の2回の授業で,約100名の子ども達に,読み書きと算数の基礎を教えていたが,朝7:30から始まる授業に出る子どもは,なんと毎朝6:30には学校に来ていると言う。ずっと行きたくても行けなかった学校に行けることの喜びをかみ締めているからだろう,勉強が楽しくて仕方ないとみんなが言っていた。実際,私が日本語の単語を教えると,次の日も,その次の日も,正しくその言葉を発音する。自分は1週間の滞在で,「オックン(ありがとう)」しか覚えられなかったというのに。これが私には強烈な衝撃だった。現代の日本人とは明らかに意識が違う。まず,学校に行けるということが当たり前ではないことを自然と感じられるようになれば,この物騒な世の中も少しは良くなるのではないかとつい思ってしまう。
 プノンペンを後にする前日には,総勢約130人で遠足に行った。車に乗るのが初めての彼らの興奮ぶりはもう大変なもので,バスの中では歌と笑い声が絶えなかった。街の中心から車で2時間ほどの郊外にある古い寺院跡に行ったのだが,そこで修行僧を見つけると,子ども達は何のためらいもなくポケットからお札を出して僧侶に渡すのだ。その姿が非常に印象的だった。
 カンボジアでの1週間の滞在で,心の中に随分純粋な部分が戻ってきた感じがした。学校で熱心に授業を受ける子ども達を見ているだけでも,そこから学ぶべきことは数多くあった。
 あの旅から早くも1年半。そろそろ一種のカタルシスが必要になってきた感がある。かの地への再訪もそう遠くないかもしれない。
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