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ナンバー15、2008年 目次へリンク 2008年10月1日発行
 
デジタルで紡ぐ福澤諭吉の法のことば
―権利・権理・通義―
岩谷 十郎(いわたに じゅうろう)
法学部教授・福澤研究センター副所長
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1 はじめに
 まさに圧巻である。福澤の著作55タイトル・全119冊を,自宅でパソコン画面の上に高精細画像で,しかも初版時のイメージのままに復元できるとは…
 2007年にデジタルギャラリーに加わったこの「福澤諭吉著作コレクション」は(参考文献1),2008年1月から全文検索機能が付加され,サービス名も「デジタルで読む福澤諭吉」に変更された(参考文献2)。蔵書資料のウェブ上公開から一歩進んで,それらの著作の全文にキーワード検索がかけられるというのである。まことに研究者冥利に尽きるアイテムではなかろうか。

2 ことばと福澤諭吉

(1)文化の翻訳者として
 西洋の文物を日本に紹介するに際し,福澤は翻訳の問題に頭を悩ませた(参考文献3)。

 「元来文字は観念の符号に過ぎざれば,観念の形なき所に影の文字を求むるは,恰も雪を知らざる印度人に雪の詩を作らしむるが如く到底無用の沙汰なれば,遂に自から古(いにしえ)を為し,新日本の新文字を製造したる其数亦尠なからず」
とは,『福澤全集緒言 全』(明治30年刊・以下数字だけ)の福澤自身のことばである。影となる文字がなければ新文字を鋳造し観念に符号を与えるほかはない。ことばの作出とは,虚実の新たな織りなしの創造である。日本にありながら日本にはなかったものを描き分ける―福澤の著作の底流には,先導なく歩み続けた孤独な道筋を辿ることが出来る。

(2)福澤諭吉と法
 法曹ではなかった福澤は,しかし終生法を語り,また自らも訴訟の当事者として裁判に関与した(参考文献4)。そこに福澤の法思考や法思想などを見いだすことも可能である。そこで本稿では,「権利」という翻訳語をサンプルとしてみよう。極めて基本的な法学上の概念である「権利」を福澤はどのように用いているのか。早速横断検索をかけてみることにしよう。

3 「権利」から「通義」へ

(1)権利
 検索の結果「権利」の語は,『学問ノスゝメ』四編(7)に初出し,次に『文明論之概略』の巻五,六(8)に現れ,その後,『学者安心論』(9),『分権論』(10),『通俗民権論』(11),『通俗国権論』(11),『国会論』(12),『日本婦人論 後編』(18),『品行論』(18),『日本男子論』(21),『尊王論』(21),『福翁百話』(30),『福澤全集緒言』(30),『女大学評論・新女大学』(32),『福翁百余話』(34),『明治十年丁丑公論・瘠我慢之説』(10執筆・34刊)といった数多くの著作に現れる。特に明治10年代では『通俗民権論』『通俗国権論』に,30年代に入っては『福翁百話』と『女大学評論・新女大学』に頻出し,とりわけこの最後者には,妻が夫に請求する「権利」が語られ,福澤は31年に施行された明治民法の親族・相続編規定による妻の権利の保障を期待したのであろう。

(2)権理
 ところで,先の「権利」の検索結果の中に,『通俗民権論』第一章・総論の次の一節が挙げられている。
 「近来の著述書にも飜訳書にも,権利,権限,権力,権理,国権,民権などの文字甚だ多くして,横文字読む人か,又は博く訳書を調べたる学者にはその意味も分ることなれども…」(下線・岩谷)
 ここで福澤は,「権利」のほか「権理」なる語も使い分けていたことが判明する。そこで次にこの「権理」を検索にかけてみると,『学問ノスゝメ』第二,三編(6),『通俗民権論』(11),『民情一新』(12),『品行論』(18),『日本男子論』(21)に使用例がある。しかもこのうち,『学問ノスゝメ』や『通俗民権論』並びに『民情一新』に多く現れ,その一方で『品行論』や『日本男子論』ではそれぞれ一例ずつと少ない。要するに福澤における「権理」の使用は,主に明治10年代前半までの時期がピークで,20年代以降には殆ど見られなくなる。これは前述の「権利」の語が,10年代から30年代に至るまで広範に用いられるのと好対照をなしている。
 要するに,「権利」も「権理」も翻訳語であった。しかし当時この「権理」を使用していたのは,なにも福澤だけではなかった。明治3年の加藤弘之の『真政大意』に既に現れ(参考文献5),また国立国会図書館のサイトから「近代デジタルライブラリー」http://kindai.ndl.go.jp/index.htmlに入り「権理」をキーワードにして検索をかけると,スペンサー著・尾崎行雄訳『権理提綱』(慶應義塾出版社・10)を初めとした書名や目次でこの言葉に引っかかる著作がたちまちに20余例も挙げられる。福澤はこの「権利」と「権理」をどのように使い分けていたのか。

(3)権理通義・権義
 ここで「権理」の検索結果をよく読むと,『学問ノスゝメ』第三編から引用された次の一文に目が留まる。

 「凡そ人とさえ名あれば,富めるも貧しきも,強きも弱きも,人民も政府も,その権義において異なるなしとのことは,第二編に記せり。二編にある権理通義の四字を略して,ここには唯権義と記したり。何れも英語の『ライト』という字に当る」
 ここに先の「権理」に「通義」なる語が伴って「権理通義」なる四文字熟語が生成し,これを縮めて「権義」とも表記した旨が記される。また双方ともrightに相当することばであることが明言されている。そこで今度はこの「権義」を検索にかけると,この語は明治初年期の『学問ノスゝメ』と,それとほぼ同時期の『文明論之概略』の各編に頻出するものの,その後の長い沈黙期間を経て,最後に明治30年の『福澤全集緒言』に一例だけ現れる。前述のとおり,「権理」の語の単独使用は20年代初頭までは見られたが,その後は見えなくなる。しかし「権義(=権理通義)」の形でならば,30年代に至るまで福澤の思惟からは失われなかったのである。それではこの「通義」とは何か。

(4)通義
 最後はこの「通義」の検索である。すると,『西洋事情』の初編・外編・二編(慶應2〜3年刊)の各編に亘ってこの語が頻出していることが分かる。『学問ノスゝメ』には前述のごとく「権理通義」の形で用いられるが,「通義」の単独使用は『西洋事情』に限られる。念のため「ライト(=right)」もキーワード検索にかけると,「通義」を「ライト」の訳語としたことを説明した『西洋事情』二編・巻之一の次の文に行き着く。

 「『ライト』トハ元来正直ノ義ナリ漢人ノ訳ニモ正ノ字ヲ用ヒ或ハ非ノ字ニ反シテ是非ト対用ヒシモアリ正理ニ従テ人間ノ職分ヲ勤メ邪曲ナキノ趣意ナリ」
 「通義」という漢字には,この「ライト」の持つ「正しさ」のニュアンスが含まれるが,福澤は英語の「ライト」はそれに留まらないというのである。彼はそこから,他人に対してある一定の行為を催促することを当然とする「求ム可キ理」,市中の安寧秩序の維持のために取締を行うといった「事ヲ為ス可キ権」,そして私有物の所持を当然のものとする「私有の通義」といった三つの「通義」を派生させる。そこには「そのことが正しい」という客観的で静的な評価価値だけではなく,むしろ「正しさ=道理」に基づき,あるいはそれを求めての様々な言動を,相手方や社会・国家に向けて主体的に能動的に発信する行動価値も含まれる―これが福澤による「ライト」の翻訳語としての「通義」の定義であった。
 翻訳語は対象となる外国語の原義をそのままに写し取ることはできない。原語―翻訳語の相互性は重なり合う概念の範囲で成立する。その概念の内包する語義のうち,何を訳出するのかの見極めはひとえに翻訳者のセンスに依る。そこで次の4で福澤の翻訳のセンスについて語ろう。そこに福澤の法思想の特徴的な一端が垣間見られる。

4 二つの「ケンリ」
 今日rightの翻訳語として用いられる「権利」の語は,意外にも福澤の「通義」とほぼ同時期に既に現れていた。明治初年に箕作麟祥が『仏蘭西法律書』を訳出する際に,1864年に中国語訳された『万国公法』(H. Wheaton,“Elements of International Law”1836)を参照し,同書の訳例のままに,「ライト」(フランス語ではdroit=ドロワ)と「オブリゲーション」にそれぞれ「権利」と「義務」を充てたというものである。官庁用語としても普及が早く,政府発布の布告や達類にも用いられた(参考文献6)。上述のとおりに福澤も「権利」の語をためらいなく使用したと思われる。この一方で,福澤の「通義」の単独使用は『西洋事情』限りで,その後はかなり早い時期に見られなくなってゆく。双方とも「ライト」の翻訳語であるにも関わらず,福澤はなぜ自らの訳出にかかった「通義」を用いなくなってゆくのか。
 もはや憶測の域を出ないが,「通義」は当時の市井の日本人には確かに「理解し易い」ことばではあったが,3(4)で触れたようにその語義の外延には限界があり,決して「使い易い」ことばではなかったからではないか(むろん他の語に代替された可能性もある)。尤も「権利」の語,すなわち,本来は分銅の意味が転じて軽重を支配する力を意味する「権」と利益の「利」の組み合わせには,「正しさ」のニュアンスは含み得ない。そこからは,利益の主張の「正しさ」がその主張の当否を条件付けるのではなく,「力」の強弱が主張の成否を左右するかの印象が導かれる。ただしその「力」が何に由来するのかを今一度尋ねるのであれば,そこに「法」か「正義」かの別は立てられるのかもしれない。
 その意味で福澤の用いる「権理」は,まさしく「通義」から「権利」への過渡的な様相を帯びた概念であった。それは「通義」にはあり「権利」にはない「理(ことわり)」を有し,また「通義」にはなく「権利」にはある「力」をも有する。そしてこの「理(ことわり)」は,「他(者)の妨げをなさずして達すべきの情を達するは即ち人の権理なり」(『学問ノスゝメ』二編)との定義に示されるように,各人の「達すべきの情」を内在的に制約する「他の妨げをなさない」という格率を含むものであった。ただし福澤はこうした「権理」を江戸時代からの「職分」や「分」といった考え方で説明したために,かえって旧時代的面影の残る曖昧な概念となったとの解釈も為されている(参考文献7)。だがこの問題については,上述のとおり,おそらく明治10年代初頭における「権理」と「権利」の混用例の分析が必須であろう(参考文献8)。むろんデジタル化されていない福澤の他の著述を渉猟し,より細かなフォローを施す必要が出てくることは言うまでもない。

☆  ☆
 デジタル検索は軽やかな知的散歩を可能にしてくれる。ひとつのキーワードをきっかけにまるで次から次へと扉が開いてゆくように情報が開示され,さらにその奥へ奥へと引き込まれてゆく。「権利」から「通義」へ―福澤のことばの源へと遡行する道筋は,今日周知の概念が未知のものとして日本に現れたその時点に立ち戻ることでもあった。福澤諭吉をデジタルで読んだ私なりの感慨がそこにはあった。

参考文献・注
1)倉持隆.“貴重書業務とデジタル化の展開”.MediaNet.No.14(2007.10).p.26-28.
2)長野裕恵.“福澤諭吉をウェブサイトで読もう―いつでもどこからでもアクセスできる図書館を目指して”.三色旗。No.724(2008.7).p.32-36.
3)福澤の翻訳については,柳父章.翻訳語成立事情.岩波新書.1982,丸山真男・加藤周一著.翻訳と日本の近代.岩波新書.1998等を参照。また,2001年から『三田評論』に連載された,西川俊作.“福澤ことば事典”は翻訳語を含めた福澤思想のキーコンセプトを扱う。また,拙稿.“法文化の翻訳者―ことばと法と福澤諭吉”.福澤諭吉年鑑30(2003).もある。
4)さしあたって,安西敏三・岩谷十郎・森征一編著.福澤諭吉の法思想.慶應義塾大学出版会.2002
5)前田正治.“「権理」と「権利」覚え書”.法と政治(関西学院大学).Vol.25.No.3-4(1975).p.1-40.
6)本稿の筆者は国立国会図書館のデータベース,「日本法令索引〔明治前期編〕」(http://dajokan.ndl.go.jp/SearchSys/index.pl)の開発過程に関わり,いわゆる歴史資料のデジタル化につき具体的な作業の中で色々と考えさせられた。その一部は,国立国会図書館月報.No.568(2008.7.)に,「(座談会)インターネットによる法令情報の発信―太政官布告から現行法まで」(http://www.ndl.go.jp/jp/publication/geppo/index.html)として掲載予定である。
7)5)に所掲の前田論文を参照のこと。
8)3)に所掲の拙稿,p.106-108を参照されたい。

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