コルク抜きといっても,ワインの話ではない。 ジャン・コクトーの愛猫tire-bouchonだ。犬と猫のどちらがいいと聞かれたら私は犬派である。ただ,シャム猫を気恥ずかしげに胸に抱いたジャン・コクトーの写真は一目で気に入った。その猫ティル・ブションは「コルク抜き」という一風変わった名前のせいで,妙に気になる存在だった。 文系女子なら中高時代あたりに一度はかかるコクトー病から私はいまだに抜けられないらしく,詩人のお墓参りをしたくなった。なんでもコクトーが葬られている小さな礼拝堂の中には,彼の描いたおとぼけ顔の猫がいるらしい。これは見ないと!と思っているうちに,私の中で壁画のおかしな猫と「コルク抜き」が重なってしまい,同一人物ならぬ同一猫と化していたらしい。 コクトーが眠るミィ・ラ・フォレの町はパリから南に2時間ほど郊外電車に乗ったメッスという町からさらに車で7km。電車の乗り継ぎに四苦八苦しつつもやっとの事でメッス到着。公共交通機関がないと聞いていたのでタクシーを拾うつもりだったのだが,タクシーどころか無人駅とその周辺,人っ子一人いない荒地!?都会でさえ深夜なら常識だが,タクシーは予約制。だがタクシー会社までもが夏は長期休業とは予想だにしなかった。さすがヴァカンスが法定されている国,フランス恐るべしである。 幸い駅前の小さな宿?のおじさんがミィまで車で乗せてくれる事になった。(奥さんらしきおばさんによる命令)おじさんと大きな犬が前に乗り,日本人2人が後部座席。普通なら「変な所に連れて行かれて恐喝?うぎゃ――っ!」という恐怖にさいなまれてもおかしくないシチュエーションだが,特に恐ろしい出来事は起こらず,10分ほどで小さな町の広場に着いた。「○×△!☆○!」何を言っているのかさっぱり謎だが,電話番号を書いた紙を渡され,公衆電話と時計を指す仕草で,どうも迎えに来てやると言われているらしいと推察。ありがとう,おじさん(マトモに電話できるか謎だけど)! 実際,この界隈はヴァカンス真っ最中のせいか人通りもほぼゼロ。あの親切な夫婦がいなかったら,コクトーの町にはたどり着くことが出来なかっただろう。旅行しているとよく人の親切に救われる。某国でも到着直後の深夜,さびれた郊外で一人放り出された時は,どうしたものかと時差ぼけしつつ途方に暮れたが,たまたま通った子連れの女性の助けで事なきを得た。こういう経験を重ねるにつれ,情けは人のためならず,そんな事を思う次第である。 12世紀に遡る歴史をもつミィ・ラ・フォレは小さな小さな町だ。その外れに,詩人が眠るサン・ブレーズ・デ・サンプル礼拝堂はひっそりと佇んでいた。装飾も全てコクトーの手になる建物は思いのほか簡素で仄暗い。青い小さなステンドグラス越しに差し込む光の中,低いモノローグが流れている。真っ先にあの猫―私の「コルク抜き」―を探す。コクトーご本尊が後回し状態だがこの際気にしない(?)。その猫は何かもの問いたげな顔で,きょとんと巨大な薬草の絵を見上げていた。なんでもこの猫は悪魔の象徴とも聞くのだが…使い魔にしてはかなりカワイイ。ここはやはり日本人,やっと会えたおとぼけ猫の写真撮影である。 華やかな人生を送ったコクトーだが,晩年はこの小さな町で本物の「コルク抜き」と簡素に暮らしたそうだ。といっても,以前写真で見た玄関だけでも我が住まいと同じくらいの広さ。よく考えるとかなり切ないものが。コクトーの私邸は見学できないと知らされてがっかりするも,とりあえず門扉にはちょっとだけこっそりよじ登るマネを。(捕まるぞ) 広場がやや夕日の色に染まる頃,あのおじさんが車で迎えに来てくれた。また大きな犬と一緒にメッスの駅まで数分間の旅。電話では勿論,対面でもおじさんとのマトモな会話はほとんど成立しなかったが,感謝の念は伝わったと今も信じている。 列車がパリに近づくにつれ,ごみごみと殺伐とした風景が外を走っていく。ただ,さっき見た「私はあなた方と共に」というコクトーの墓碑銘や壁画の愛らしい猫,そしてあの夫婦を思い出し,ふと安らいだ気分になる。
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