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ナンバー16、2009年 目次へリンク 2009年9月30日発行
 
重要文化財の保存と活用
―対馬宗家関係資料の修理事業を中心に―
倉持 隆(くらもち たかし)
三田メディアセンター
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1 はじめに
 平成20年7月10日,慶應義塾図書館所蔵の対馬宗家文書が「対馬宗家関係資料」の名称で重要文化財に指定された。その来歴と指定に至るまでの経緯については,前号において紹介したが(参考文献1),その後同年11月より損傷・劣化した資料の修理事業が実施されることとなった。本稿では,その保存修理事業の内容を中心としながら,重要文化財の保存と活用の問題について検討を加えていくこととしたい。

2 対馬宗家文書の保存状態
 対馬宗家文書は慶應義塾図書館で所蔵する約1,000点のうち,895点が重要文化財に指定され,現在は365日24時間温湿度管理された貴重書庫のなかで保管されている。しかし,慶應に所蔵される前後や年代は特定できないが,保管環境が整っていなかった時代に資料の損傷・劣化が進んだものと思われ,文化庁調査官による指定調査の段階で,全体の約3分の2の資料について,何らかの修理が必要であるとの指摘を受けた。特に,「雑集」に分類されている文書は虫損が著しいものが多く含まれ,板状になって開くこともできない文書も散見された。『朝鮮通信使記録』やその他の記録類については,一見したところ保存状態は良好に見えるが,保存科学が発達していない時期に実施された応急処置的な裏打ち等の補修によって,裏打紙及び虫損部の繕い紙(いわゆる膏薬貼)に用いられた濃い糊による料紙の硬化,ゆがみあるいは茶色への変色といった劣化現象が見られる文書がある。加えて,1冊だけ一部が水濡れによって腐敗した資料も存在した。

3 保存修理計画の策定
 以上のような劣化状況を受けて,文化庁調査官より重要文化財指定を契機に対馬宗家文書の本格的な文化財修理を行うべきであるとの助言があり,保存修理事業計画を策定することとなった。その内容は,平成20年度から22年度までの3ヶ年計画,総額47,600,700円で特に緊急度が高い10点を修理し,合わせて資料を収める中性紙布貼四方帙を製作するというものであった。国から総額の50%,東京都からも同25%の補助金を得,学内においても図書館予算のほかに文学部予算からの助成も受けて,「重文 対馬宗家関係資料 美術工芸品保存修理事業」という名称で事業の実現を見るに至った。実際の修理については,重要文化財修理の実績があり,文化財保護法の選定保存技術保存団体に認定されている国宝修理装こう師連盟に加盟の株式会社半田九清堂に委託することとなり,平成20年11月4日に修理が開始された。
 文化財修理は,世界に二つとない貴重な文化財を解体修理するため,高度に専門的な技術と細部に至るまでの気の遠くなるような繊細な作業,そしてそのための時間・労力を必要とする。必然的に費用も高額となることから,予算的にみて一度に大量の修理を実施することは難しく,今回の計画では優先度が高い10点を選び出す必要があった。
 その選定は,文化庁調査官の助言を得ながら,保存・利用の両面から総合的に検討して行われた。文化財の修理においては,保存と利用の両立が大切であり,明確な修理の理由,一貫した目的意識が欠かせないと指摘されている(参考文献2)。劣化が激しく一日でも早く修理すべき資料,閲覧提供することが劣化の進行につながってしまう資料や,劣化によって閲覧が不可能な資料,また内容的にみて朝鮮通信使関係で利用度が高いと思われる資料といったように,保存と利用という観点から優先度の高い資料を選び,今後の安全な管理と閲覧提供を目指すという目的意識を持って,「雑集」の文書を中心に10点を計画に盛り込むこととなった。
 中性紙布貼四方帙に関しては,当面解体修理を実施せずとも,閲覧に提供することができる資料に対し作成することとした。四方帙は,書庫内温湿度環境の変化をより和らげる緩衝作用,室内の塵埃などからの防御作用をもつとともに,資料を物理的にも安定して保管することを可能とすることから,なかに収める資料群の劣化速度の抑制を期待できる。劣化の程度が激しく今後の修理によって大きさに変更が生じる可能性がある「雑集」を除き,残りすべての重文指定文書639点が対象とされた。

4 平成20年度の修理内容
 今回の計画で修理対象となった資料10点は,その損傷の様子により,「本紙が腐敗した資料(1点),「虫損が著しい資料」(8点),「仮綴じした冊をまとめて綴じてある資料」(1点)の3種類に分類できる。3年計画の初年度にあたる平成20年度は,2年継続で修理する2点を含む7点の修理が実施され,「本紙が腐敗した資料」(1点)と「虫損が著しい資料」(4点)の計5点の修理が完了した。ここでそれぞれの修理内容を半田九清堂の修理設計書・報告書等を元に概観してみることとする。
 まず「本紙が腐敗した資料」は,水に濡れて湿った状態のまま長い期間置かれたことによって,カビが発生し,紙が蒸れて腐敗していた。特に冊子の下部は酸化が進み,本来紙が持っている力が弱まり,頁同士が貼り付き,閲覧できない状態となっていた(写真1)。そこで,綴じを解体して頁同士が貼りついて開くことができない頁をすべて開き,今後の劣化をできる限り予防し,取り扱いに耐えうるようにするために,一部分に裏打ちによる補強が行われ,欠損部分には本紙と同質の補修紙が補われた(写真2)。
 続いて,「虫損が著しい資料」は虫損が著しく,虫糞などにより本紙同士が貼りついて,閲覧はもちろんのこと,冊子の開閉さえも難しい資料であった(写真3)。無理に開披すると紙片が離れ落ちたり,隣の頁に貼りついてしまう恐れもある。このため綴じを解体して貼りついた頁同士を開き,同時に剥離して他の頁に貼りついてしまった紙片を本来の位置へ戻す作業が施された。また欠損部分にはひとつひとつに対して,本紙の紙質と同様になるように調整した楮紙を補修紙として用意し,これを虫損部の形状に合わせて成形して繕いを行い,今後の冊子の保存と安全な取り扱いが期された(写真4)。
 いずれの場合にも修理前の綴じ方を維持して綴じ直しを行えるよう,現状の綴じやさらには文書作成当時の綴じ方がどのような形であったのか,といったことまで詳細に調査・記録しながら解体作業が行われた。資料の内容だけでなく,紙質・綴じ方など,あらゆる点で資料的価値を維持することに注意を払った繊細な修理作業が行われた。
 修理作業は予め策定された修理設計書に基づいて進められたが,作業の進展に応じて,文化財調査官,所蔵者(慶應義塾図書館),作業者(半田九清堂)が会して,資料現物を十分に確認しながら,修理内容の確認が行われた。筆者も貴重書室の担当者として,修理過程を見学し,修理方針を決める打ち合わせに参加したが,ひとつの綴じ方,ひとつの素材に細心の注意を払う作業を通じて,重要文化財が持つ資料的価値の高さを再確認し,所蔵者として文化財を保存・管理する責任の大きさを痛感する機会となった。
 なお,3種類目「仮綴じした冊をまとめて綴じてある資料」(1点)は,47冊の冊子が無理に綴じられ,閲覧・保管に支障が生じる恐れがある資料であるが,これは平成21年度に修理が完了する予定である。各冊ごとに虫損等の必要な修理を行った上で,保管上問題が起こらないような綴じ方を十分に検討することになっている。

5 おわりに―今後の展望―
 以上のように,対馬宗家関係資料の保存修理事業を中心に,重要文化財の保存と活用の問題を見てきたが,最後にまとめとして,今後所蔵者としてどのような管理を行っていくべきか,考察してみたい。
 対馬宗家文書の保管環境・資料状態は,今回の修理事業により,大幅に改善した。これは所蔵者として大変喜ばしいことである。国や東京都の補助金を申請する際には,修理内容に関する書類はもちろんのこと,普段は目にする機会も少ない義塾全体の予算・決算書や財産目録など,たくさんの書類を揃える必要があり,その準備に追われ苦労することも多かったが,きれいに修理が完成し,閲覧が可能となった資料を見た時には,その苦労も報われた思いであった。
 しかし,修理に関しては課題も多く,喜んでばかりもいられない。先述したように,対馬宗家文書は必要な修理が全て終了したわけではない。重要文化財の修理は慎重な作業が必要とされ,予算的に見ても資料保存の観点から見ても,早急に大量の資料を修理することは難しい。
 例えば,予算面で考えてみると,今回のように1点1点を細部に至るまで完璧に修理するには1点にかける費用が高額になり,修理できる点数が限定されてしまう。対馬宗家文書はほかにも修理が必要な文書が多く,いずれの文書にも同等の価値がある。もちろん,資料保存や重要文化財としての価値を考えた時,今回のように1点ずつ完全な修理を実施していくことが理想であるが,所蔵者として多くの資料の劣化を改善し,利用者に供したいと考えるとき,どうしても限られた義塾の予算内でできるだけ多くの資料の状態を改善したいという考えに駆られてしまう。今後予算確保に向けて修理の必要性を主張する時にも,閲覧提供の実現という利用面での効果とともに,たくさんの資料に保存上の効果をもたらすことができるといった費用対効果の高さが求められるのではないだろうか。重要文化財の修理や保存方法としても適正であり,そのうえで多くの資料に効果がもたらされるという保存修理事業でないと予算を確保して継続的に実施することも難しい。今後の修理計画策定においては,文化庁,修理業者とも連携をとりながら,これらの点を検討していく必要があろう。
 目を移せば,貴重書室には対馬宗家文書以外にも,和漢洋の古典籍,古文書など貴重な資料が多数所蔵されている。重要文化財に指定されていなくても,それに匹敵するものも少なくない。図書館としては重要文化財の管理も重要な課題であるが,その他の貴重資料を保存・活用していくこともまた大切な業務である。したがって,対馬宗家文書のみに予算をかけることは難しく,他の所蔵資料も含めた貴重書室全体,さらには図書館全体の資料保存計画のなかでバランスをとりながら,重要文化財の保存・修理も捉えていかなければならない。
 一方,活用という視点に立って考えれば,重要文化財を所蔵している大学図書館として,資料が持つ価値を生かした,より質の高い研究支援が期待されている。今回の修理計画に含まれる文書のなかには,実際に今年に入って閲覧申請があり,損傷が激しいために謝絶せざるを得なかった文書も含まれる。幕末期に作成された『京都御用雑記』という文書であるが,非常に興味深い表題の文書であるにもかかわらず,虫損により開披できないのである。しかし,修理が終了すれば,この資料も閲覧提供できるようになり,当該分野の研究の進展に寄与できるのではないか,との期待が持てる。こういった広い意味での研究支援という点においても,今回の修理事業の意義は非常に大きい。
 今後,慶應義塾図書館が重要文化財を管理していくうえで大切なことは何かと考えるとき,それは慶應にしかない貴重な資料が有している資料的な価値をできる限り引き出し,研究の進展に寄与していくことではないか,と思われる。参考となる例としてあげられるのは,同じく当館が所蔵する重要文化財「相良家文書」のなかの冊子『八代日記』について,文化庁の許可を得て綴じを一旦解体し,その裏側に書かれた紙背文書のデジタル撮影をしたことであろう。紙が貴重な時代にあっては,不要になった文書類を反故とし,その裏面を再利用して別の文書(こちらが表として伝存する)が作られることが多くあった。その最初に書かれた面の文書が紙背文書である。反故とされたものであるが,本来残存しないような貴重な内容が含まれることが多い。16世紀中ごろに作成された『八代日記』の紙背文書も未発表の大変貴重な史料であり,学会発表でも取り上げられ(参考文献3),日本中世史研究者のなかで大きな反響を呼んだ。
 相良家文書の事例にみるとおり,重要文化財が持つ資料的な価値は計り知れない。目録の整備,デジタル化等のさまざまな公開方法が考えられるが,その中心に据えられるべき考えの一つは,慶應義塾図書館が持つ所蔵資料の特性・価値を生かすことを目指し,質の高い研究支援によって,慶應義塾図書館としてのオリジナリティを出していくことではないか,と思われる。そういった意味での活用も念頭におきながら,保存と活用の両立を考えた重要文化財管理を行っていく必要があろう。

参考文献
1)倉持 隆.“対馬宗家文書の重要文化財指定:その来歴と指定まで”.MediaNet.no.15, 2008, p.48-49.
2)池田 寿.“修理とは(理念と哲学)”.日本の美術.第480号.書跡・典籍,古文書の修理.東京,至文堂,2006, p.17-23.
3)丸島和洋.“慶應義塾大学所蔵相良家本『八代日記』の基礎的考察”.古文書研究.no.65号, 2008, p.19-39.

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