長年にわたり日吉メディアセンター所長・日吉図書館長として活躍された伊藤行雄経済学部教授の後任として就任してから,早くも一年が過ぎた。センターの職員の方々に支えられながら,なお覚束ない足取りで何とか職務をこなしているという,ちょっと情けない有様である。
ところで,7月に義塾出身の劇作家・つかこうへい氏の訃報に接した。一般には原作を提供した映画『蒲田行進曲』がもっとも良く知られているだろう。つか氏の芝居をよく観ていたのはもう四半世紀以上も前のことだ。というか,当時,私は芝居に凝っていて,手当たり次第に芝居の現場に通っていた。時代のせいもあるだろうが,とりわけアングラ芝居というのに惹かれていた。唐十郎,佐藤信,鈴木忠志,蜷川幸雄,寺山修司あたりのアングラ第一世代から金杉忠男,山崎哲,北村想などを経て,急速にアングラ色を失っていった野田秀樹あたりまでを追って,とにかく都内を徘徊していた。
さて,つかこうへい氏であるが,訃報を耳にした直後の授業で「君たちの先輩である」つか氏のことを話題にしたのだが,ショックだったのは,そこに居合わせた二十数名の学生の誰一人としてつか氏の名前を知らなかったことであった。これでは取りつく島がない。やむなくつか氏について若干の紹介・説明を加えたが,学生たちは少しも乗ってこなかった。そこで仕方なく授業に入ったが,何となく釈然としない気持ちが残ったのも事実だった。
しかし,考えてみれば,それも当然のことかもしれないと,授業のあとで思い直した。まず,つか氏は私よりも年上であり,特に最近ではいわゆるマスコミに登場する機会もあまりなかった。良い悪いは別として,学生たちの多くにとって,マスコミに登場しなければ情報もないし,とすれば関心の持ちようもない。それに,そもそも芝居に興味がなければ,年齢や経歴に関係なく,つか氏の存在に目が向くわけもない。逆を考えれば,おそらく私は学生たちを惹きつけている現在進行形の音楽シーンについてほとんど何も知らないし,知ろうという意欲もあまり持っていない。そんな私が学生たちに何かを期待しても迷惑と感じるにちがいない。つまりは,義塾の学生ならば知っているのが当然と考えた私が愚かだったのだと反省した。
だが,身勝手を承知で言えば,どうもスッキリしない。興味がない,情報もない,暇もない,などといって何かを素通りしてしまう。もし,学生がそんなことを考えているとしたら,それで良いのかと思ってしまうのだ。劇作家の別役実氏がかつて「今の若い人たちには近景と遠景はあるが,中景が欠けている」と書いていた。自分の身の回りに目が向かうのは当たり前として,今は簡単に遠くの世界にアクセスしていると錯覚できる環境が整っている。その結果,自分と遠い世界の間をつないでいる部分を無視・軽視することになる。中景の喪失である。
これは知的な営為を本分とするはずの学生にとって決して褒められたことではない。そして,空洞化したこの中景をしっかりと埋め,近景から遠景へとつないでいくための大切な選択肢の一つとして大学があり,図書館があるのではないか。日吉図書館では本に対する学生の関心を喚起するための多様な試みを展開しており,少しずつ効果を発揮しつつあるが,残念ながらまだ不十分な点も多い。学生たちの知的好奇心を刺激し,それを積極的に外に開かれたものとする方策をさらに工夫していきたいと思っているが,恥ずかしながらなかなか適当なアイデアが浮かんでこない。「どなたか良い知恵を」と虫の良いお願いを記してこの駄文の結びとしたい。
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