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ナンバー17、2010年 目次へリンク 2010年11月30日発行
巻頭言
メディアセンターはどんな場所であるべきか
堀 茂樹(ほり しげき)
湘南藤沢メディアセンター所長
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 クラウド・コンピューティング,グーグル・ライブラリー・プロジェクト,デジタル・ブック・リーダー……,カタカナばかりで頭がくらくらすると言ったら,SFCにいるくせに意気地がないと嗤われるだろうか。いずれにせよ昨今,メディア環境が衝撃的な速さとスケールで変わりつつある。しかも,この変化が不可逆的であることは火を見るよりも明らかだ。
 激動期に求められるのは,眩暈を起こさないこと,正気を保つことにちがいない。古き良き伝統へのノスタルジーに逃げ込む者は早晩,骨董品のような存在と化すだろう。やみくもに未来へ,未来へと走る者は,やがて技術の自己目的化に巻き込まれ,主体性を喪失するだろう。義塾のメディアセンターは,幸いこれまでのところ,見識と判断力を兼ね備えた人びとに導かれ,過去からの継続性を断ち切ることなしに必要なイノベーションを重ねてきているように見える。
 しかし,デジタル化は止まらない。今後ますます加速していく。私の前任者の一人である大江守之教授はすでに2004年に,本誌のこの欄で,メディアセンター全体が究極的には「電子的環境の中にすっぽり収まってしまう」のかもしれないと述べ,「全ての機能が空間を必要としなくなったメディアセンターの空間の意義は何かという問い」を立てていた。その上で,「具体的な空間の中でしか経験しえない時間の記憶,手触りや匂い,光や音,それらの環境を支えてくれている人たちの思いなどが,豊かによみがえるような親密な空間づくり」を推奨しておられた。
 つまり,一方で電子的情報環境整備の道を突き進みつつ,他方では,放っておけば消失してしまいかねない具体的空間を意図的に創り出すことで,記憶や身体性や間主観性に場所を与えるという両面作戦であろう。私は賛同する。時代に適応する必要と,古き良き雰囲気を残したいという願望との間に不承不承妥協点を見出さねばならないからではない。そうではなくて,読むという行為がもともとラディカルに個人的であって,個人的であるからこそ却って人を深い意味で社会性へと向かわせる営みだというパラドックスに立ち帰って考えてみるからにほかならない。
 早い話,家族や仲間との談笑の輪の中で読むことに没頭できる人はいない。「本は独りで隠れて読むのが基本!」といっても過言でないくらいに,読書は個人的な営みだ。それでいて読書は,文字を介する親密なコミュニケ―ションであるがゆえに,人の意識と想像力を他者の方へと開き,ひいては高いレベルの社会的感性を涵養する。この点こそ,メディアセンターのあり方を考えるときの「肝(きも)」ではないだろうか。
 たしかにデジタル化の波は,人びとを限りなく個(モナド)に分断し,最終的には図書館という空間を無効化し,巨大サーバーのようなものに還元してしまいかねない。「メディアセンター」という呼称からしてすでに,どこか技術主義的・効率主義的なものを感じさせるではないか。しかし, 目指すべきは, 伝統的な図書館への回帰ではなく, メディアセンターをまさにメディアセンターらしく先鋭にデジタル化しつつ,同時にそこに新たなタイプの「人間交際」(福澤先生)の場を創出していくという方向だろう。
 そういえば,LibQUAL+®調査の結果,学生たちもまたメディアセンターに対し,独りで机に向かえる個人的な場と,仲間とのグループ学習という間主観的な場の両方を要望していることが分かったと聞く。単なるサービス機関のごとく利用者のニーズに応えるということで満足すべきではないだろう。この際,デジタル化時代における大学メディアセンターのあり方を事の本質から究明し,そこから具体的な答えを出していきたいものである。

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