1 はじめに
平成22年2月24日から3月30日まで,慶應義塾図書館所蔵の庄内関係資料3点が山形県鶴岡市の致道博物館の「庄内藩酒井家美術資料展」に出品され,特別展示された。山形県庄内地方は,今年開設10周年を迎えた慶應義塾大学鶴岡タウンキャンパスもあり,義塾にとって関係が深い土地柄であるが,その関係は古く明治・大正期にまでさかのぼる。鶴岡市出身で慶應義塾図書館初代監督(館長)田中一貞(1872〜1921)を初めとして,図書館の創設期には多くの庄内出身者が図書館に勤務し,その礎を築いた。近年,教養研究センター主催の「庄内セミナー」でも,義塾と庄内との古くからの関わりが紹介され,広く知られるようになってきた(参考文献1)。そのようななかで資料出展の機会を得,慶應義塾図書館が所蔵する庄内関係資料を再評価することができたことは,非常に意義のあることであった。
2 慶應義塾図書館の庄内関係資料
『慶應義塾図書館年報』(大正五年度)には次のような記述がみえる。「大正五年十二月九日より三日間田中一貞氏は其郷里庄内の史料數百點を本館内に陳列し,教員學生及郷里出身者の縦覧に供したり。(中略)羽柴雄輔氏の郷土史に関する講演あり。小松林蔵氏は其紀念として本館に三百圓を寄附せり(参考文献2)。」短い文章であるが,この文章には慶應義塾図書館と庄内との関係を考える上で欠かせない人物が登場する。田中一貞が初代監督(館長)であったことについてはすでに触れたが,郷土史の講演をしたという館員羽柴雄輔(1851〜1921),寄付をした小松林蔵(1863〜1930)もまた庄内出身者であった。
庄内関係資料を主に収集したのは,明治の終わりから大正・昭和期にかけて図書館に勤務し,郷土史研究にも従事していた庄内出身の羽柴雄輔,国分剛二(1892〜1958)といった館員たちであった。収集資料を見ると,原本だけでなく自ら複製・筆写した資料も散見される。例えば,『鶴岡酒井家御代々様御印章并ニ御花押』(90@112@1)は羽柴が古文書を博捜,筆写して作成した資料と推察されるが,その丹念な筆致からは郷土史に対する愛着を感じさせる。また,羽柴・国分には収集した資料をもとにしたであろう郷土史の著作も多い。
一方,庄内関係資料の収集に充てられたのが小松の寄付金であった。原簿や寄贈票を見るとその寄付金により購入した資料が何点もある。小松は愛郷心が厚く,学生寮・荘内館を提唱したことでも知られる人物である。このような庄内出身者によって草創期の慶應義塾図書館の充実が図られたのであった。
こうして集められた庄内関係資料は絵図,絵巻,古文書,古記録と多岐にわたるが,目に見える形でまとまったコレクションを形成しているわけではない。これは資料を購入や寄贈によって長い時間をかけ,個別に収集した結果であろう。一部準貴重書に指定されたものがあるが,多くは一般的な和装本資料のなかに混配されており,一覧することが難しい。今回の調査をもとに資料の全貌を一覧できるような目録の作成も考えられるが,図書館蔵書検索システムにデータを搭載することも重要である。幸い2010年4月から資料検索システムKOSMOSに一般和装本の書誌データを搭載することができ,一般利用者も庄内に関するキーワードによってかつての図書館員が収集した庄内関係資料の検索が可能となった。しかし,すべてを網羅的にというところまでは達していないので,更にデータの作成と公開を進めていきたいと思う。
庄内関係資料には巻子本も多く含まれ,一部過去の整理作業によって他の巻子本と一括されて山中資料センター(保存書庫,以下山中)へ移管されていたものもあった。日吉保存書庫の開設に伴う資料再配置作業に関連して筆者は2009年から山中にある巻子本を三田に戻して内容確認を行い,その中に羽柴雄輔が収集した庄内地方の旧跡・碑文の拓本や関係資料を確認した。今回出展となった絵巻『荘内酒井侯嗣子江戸登城行列之図』もその一つである。
3 致道博物館への出展
義塾図書館所蔵の庄内関係資料が出展された財団法人致道博物館は庄内藩酒井家に伝来した資料を保管・展示している博物館である。庄内藩は出羽国鶴岡(現在の山形県鶴岡市)に藩庁を置き,藩主・酒井氏は将軍徳川氏と同祖の家柄で,初代・酒井忠次(1527〜1596)は徳川家康の側近として江戸幕府の創業に大きな功績があり,「徳川四天王」の一人と称された人物であった。その孫・酒井忠勝(1594〜1647)が元和8年(1622),庄内に13万8千石余で入部し,その後加増されて14万石,さらに幕末には17万石となり,明治維新まで庄内を領した(参考文献3)。今回の出展は,現在の酒井家当主で財団法人致道博物館館長の酒井忠久氏と義塾卒業生でもある天美夫人のご提案によって実現を見るに至った。
出展にあたって原簿やカード目録を繰って改めて庄内地方や酒井家関係資料の所蔵調査を行ったところ,予想以上に多くの資料が収蔵されていることがわかり,これまであまり注目されてこなかった貴重な資料も確認することができた。そこで今回は,そのなかから選りすぐりの3点『荘内酒井侯嗣子江戸登城行列之図』,『先賢手翰』,『北役日誌』が出展されることとなった。
今回特に注目されたのは彩色豊かな『荘内酒井侯嗣子江戸登城行列之図』(資料1)(13X@A31@1)である。「若殿様御行列」と題された本資料は庄内藩主酒井家の嫡子が江戸城へ登城する際の行列を描いたもので,調度装身具を収めた一対の「先挾箱」(さきはさみばこ)を持つ従者から始まり,駕籠先並の鎗2本,近習や御徒小姓たちが囲んだ若殿様の駕籠,若殿様の馬をひく「御牽馬」(おひきうま),跡乗の家臣「黒崎与八」,その後にも挾箱,合羽籠をもった従者が続く。鎗が駕籠先に2本並ぶ形や飾鞘の様子から,後に8代庄内藩主となる酒井忠器(ただかた・酒井家10代)の嫡子時代の行列であることがわかった。
続いて『先賢手翰』(せんけんしゅかん,資料2)(7X@D9@3)は「出羽庄内藩先賢手翰ヲ集メタルモノ」という副題が付けられて保管されてきた資料であり,文字どおり藩主酒井家を初めとして,庄内藩家老・家臣による直筆の書状や詩歌を収集して3冊にまとめたものである。内容は時候挨拶や礼状といった書状類のほか,覚書や書付,和歌や漢詩といった作品もあり,多岐にわたっている。一例をあげれば,写真を掲載した資料2は羽黒山の執行(寺の諸務を管掌する役名)から重陽の節句に際して,例年のごとく御守護の御巻数(かんじゅ。僧侶が願主の依頼で読誦した経文等の題目や度数を記した文書や目録。)や扇子,神酒などが贈られたことに対する,酒井家からの礼状である。庄内藩は羽黒権現社の社領と領地が接しており,江戸時代の庄内藩と羽黒山の関係を考えるうえでも興味深い史料といえる。なお,この資料は先述した小松林蔵の寄付金によって,大正7年(1918)に購入されたものである。
3点目は従来から広く知られていた北海道開拓に派遣された庄内士族の記録,堀三義『北役日誌』(資料3)(90@168@1)である。明治4年(1871)の廃藩置県後,職を失った士族に対して農業によって生計を立てさせる士族授産の開墾が全国各地で開始され,庄内藩においても大規模な養蚕製糸事業と開墾による桑園造成が構想された。明治5年に庄内士族約3000人によって鶴岡郊外の荒地であった松ヶ岡の開墾に着手,見事成功を収めるに至った。この成功に注目した北海道・開拓使は,明治8年札幌における桑園開拓の指導を庄内に要請し,230人ほどの庄内士族が札幌に派遣されることとなる。その一員として参加した堀三義が酒田出発から帰着までに残した詳細な記録が本資料である。当時の札幌の様子についても詳しく述べられており,また数多くの詩歌や挿絵も含まれ,明治初期の北海道や開墾作業を知る上で貴重な記録となっている。
この3点は出展後,三田メディアセンター展示委員会主催の館内小展示「鶴岡タウンキャンパス開設10周年記念 庄内藩酒井家関係資料展」(平成22年5月31日〜6月12日)においても展示された。
なお,致道博物館においては2011年夏頃に慶應義塾図書館所蔵資料を中心とした特別展が計画され,さらに多くの資料が展示される予定である。歴史学だけでなく,考古学や人類学にも造詣が深かった羽柴雄輔が鶴岡に創設した「奥羽人類学会」に対して,同じく庄内出身の考古学者・犬塚又兵(1838-1912)が寄付した『土偶及土器模写図』(13X@A30@1)等,今春出展後の調査で詳細が確認された資料が出品予定となっている。
4 おわりに
最後にまとめとして,慶應義塾図書館にとって今回の出展が持つ意味や,出展を通じて明らかとなった課題を検討することとしたい。
まず,今回の出展の大きな意味は,潜在的なコレクション資料に光があたったことであろう。義塾図書館は著名なコレクション資料も多数所蔵しており,歴史資料の分野だけでも重要文化財に指定された相良家文書,対馬宗家文書,港区指定文化財の反町文書などがあげられる。これらは全体像が明確となった文書群として保管され,広く認知されている。しかし,今回紹介した庄内関係資料のように,一般資料に混配して保管されてきた資料のなかにも貴重なものは多い。今回の出展は創設期から収集されてきた蔵書に「庄内」という視点から光を当て,これまで分散していた潜在的なコレクションを浮かび上がらせた形となった。庄内関係資料の所蔵はこれまでも認識はされてきたが,はっきりと展示という形で資料の所在を明確化した意味は大きい。このような潜在的なコレクションはまだまだたくさんあり,今後も展示会のようなきっかけに応じて掘り起こしがおきるであろう。次の機会につなげるためにも,まずは今回の庄内関係資料の出展に関する記録を残し,所蔵調査の結果を簡易であっても目録化することが不可欠である。
もうひとつ大きな意味は,慶應義塾図書館と庄内地方との間に地域資料を通じた交流が生まれたことではないだろうか。これまでも鶴岡市・義塾・東北公益文科大学の三者連携で共同運営する致道ライブラリー(鶴岡タウンキャンパス内)に義塾図書館の蔵書を出張展示することはあったが,今回のような形で庄内地方に関する資料をまとめて展示することはなかった。庄内出身の図書館員によって収集された庄内関係資料を庄内地方の方々にご覧いただくことは慶應義塾が庄内から受けた多大な恩恵を少しでも還元することにつながるであろう。
現在は歴史資料の保存に関して現地保存主義の方針が採られているが,その方針が主張されはじめた1960年代以前は学術研究目的や資料散逸を防ぐために,東京をはじめとする大都市に地方史資料が集められることもあった(参考文献4)。慶應義塾図書館の庄内関係資料も中央に集められた資料のひとつといえるが,その資料が持つ豊富な内容をもとの所在地へ還元することの意味は非常に大きい。歴史資料は本来それを生み出した個人や団体で保存されるべきであり,それが叶わない場合はそれぞれの地域で保存,活用していくべきである,というのが現地保存の理念であり,その根底には資料は作成された地域で保存されてこそ,地域の人々に最も有効に活用され,成果が還元されるという考えがある(参考文献5)。慶應義塾と庄内地方の資料を通じた交流は,過去に中央に集められた資料に関し,その資料的価値をいかに地域に還元していくか,その一例を示したものとしても評価できる。
一方,今回の出展を通じて,資料保存面で課題も再認識された。先述したように庄内関係資料には貴重書や準貴重書に指定されていないものも多い。現在,このような和装本の管理体制は貴重書等に比べると必ずしも十分とはいえない。これまで貴重書等の保存が優先的に考えられてきたことはやむを得ないが,こういった隠れた貴重資料の保存と活用も長い目で見れば重要性が高い。今後,所蔵資料の保存や書庫拡充に関する計画を立てるときには貴重書以外の和装本資料についても保管環境の向上を図っていく必要がある。
以上のように今回の出展は慶應義塾図書館にとって多岐にわたる意義を有した得難い機会であったといえよう。
参考文献
1)慶應義塾大学教養研究センター編.「庄内セミナー」報告書.2009年度.横浜,慶應義塾大学教養研究センター,2010, 77p.
2)慶應義塾図書館.慶應義塾図書館年報.大正五年度.p.38参照.
3)庄内藩酒井家に関しては,斎藤正一.庄内藩.東京,吉川弘文館,1990, 277p.(日本歴史叢書/日本歴史学会編;43).致道博物館編.酒井家名宝.財団法人致道博物館.992.他を参照した.
4)現地保存主義については,鈴江英一.“IV 1編1章アーカイブズを残す”.国文学研究資料館史料館編.アーカイブズの科学.下巻.東京,柏書房,2003, p.90-104.越佐歴史資料調査会編.地域と歩む史料保存活動.東京,岩田書院,2003, 148p.(岩田ブックレット9).他を参照した.
5)北海道立文書館.地域史料 保存の手引き.札幌,北海道立文書館,2006, 42p.
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