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ナンバー17、2010年 目次へリンク 2010年11月30日発行
 
書庫問題と資料移動
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1 はじめに
 メディアセンターの書庫狭隘化問題は,いつの時代においても深刻である。現在,全塾の書庫収容能力は約490万冊,これに対して所蔵冊数は約465万冊,年間増加冊数は約8万5千冊である。メディアセンターでは,「メディアセンター中期計画2006-2010」において,「書庫増設の必要性について広く学内の理解と協力を求め,長期にわたって利用できる書庫の建設」をすることを掲げて,メディアセンター所長名で担当常任理事宛に書庫増設の要望書を提出し説明してきた。もちろん実現までは長いいばらの道であろうが,粘り強く訴えていかなければならない。他方で電子化や重複除去等の狭隘化圧力を抑える努力は続けていく。
 2009年9月,日吉キャンパス内に約13万冊収容可能な保存書庫が新設され,運用を開始した。この稼働を機会に,次のように保存書庫の定義をこれまで以上に明確にした。
 山中資料センター
 自然科学系資料(図書と雑誌)の保存書庫
 白楽サテライトライブラリー
 人文・社会科学系資料(図書と雑誌)の保存書庫
 日吉保存書庫
 人文・社会科学系資料(雑誌)の保存書庫
 これに基づき,2009年夏から秋にかけて,日吉保存書庫への資料移動を起点として,全塾規模で順次資料移動を実施した。以下の章で,この資料移動について,それぞれの地区の視点で報告する。
(村上篤太郎)

2 三田メディアセンター
 三田メディアセンター(以下,三田)の蔵書は,2009年度に270万冊を超えた。図書館新館,旧館,南館,研究室棟の三田キャンパスの4つの書庫に加えて,山中資料センター(以下,山中),白楽サテライトライブラリー(以下,白楽)と書庫を増やしながら,蔵書の増加に対応してきたがその都度書庫の大きさに基づく資料再配置をしてきているため,体系的な配置が困難になってきている。
 日吉保存書庫の新設にともない,山中にある三田の大型図書や巻子本といった単行書と洋雑誌の資料移動を検討することとなった。
 特殊形態本である巻子本656点は調査のため一時的に三田に戻し,オリジナル資料を三田に配架,複製資料を白楽に再移管した。しかし,大型図書(旧分類X)約4,500冊は白楽にも充分な書架がなく山中に残すことになった。洋雑誌のバックナンバー(〜1959年)3,258誌50,749冊について調査すると,日吉保存書庫の書架の高さが山中より低いため,大型の洋雑誌126誌は別置せざるをえないことがわかった。また自然科学系の洋雑誌1,340冊も山中に残すことになった。当初,日吉保存書庫内は元の所蔵館に係わらず混配が考えられたが,1959年以前という三田の基準に合わせると日吉の該当冊数が少なく,逆に日吉に合わせて年代を広げると三田の冊数が多すぎて入らず,結局三田と日吉に分けての収蔵となった。
 日吉保存書庫に移動した洋雑誌は,電子化されていないものや国内で唯一の所蔵という資料もあり,年間複写件数は200件,取寄せが300件を超えている。遠方の山中から日吉へ移したことにより,来館利用や取寄せの便が格段によくなったと言える。
 しかし今回の移動は,資料を山中,日吉,白楽相互に移動させただけで,三田の書庫使用率は相変わらず9割を超えている。書架の天板のうえにまで配架されているのはもちろんのこと,場所によってはブックトラックを配置して凌いでいるのが現状である。
 電子資料への移行が進んでいるが,三田は冊子資料の恒久的保存の役割を担っており,斯道文庫など他研究所との協同計画である250万冊規模の新保存書庫建設に期待している。
(佐藤裕子)

3 日吉メディアセンター(日吉図書館・協生館図書室)
 今回,日吉保存書庫へ移動した日吉メディアセンター(以下,日吉)所蔵資料は以下の通りである。
 (1)日吉図書館所蔵洋雑誌 約2,500
 (旧配置場所:山中)
 (2)日吉図書館所蔵洋雑誌と洋新聞 約32,000
 (旧配置場所:日吉図書館地下書庫)
 (3)協生館図書室(旧経営管理研究科図書館)所蔵和洋・雑誌,政府刊行物,レファレンスブック
 約6,500(旧配置場所:白楽)
 このほか,今回の資料移動を機会に湘南藤沢メディアセンターから移管された洋雑誌(日吉所蔵雑誌の欠号に相当する部分)約100冊がある((4))。これらのうち,(1)・(2)・(4)は日吉保存書庫内で統合し,一つの資料群として配架することとした。
 日吉保存書庫内への移動作業は業者に依頼したため,資料を書庫に搬入しながら資料の大きさに合わせて書架の高さを調整することが困難であった。そこで,一定の大きさ以上の資料はあらかじめ大型資料用の書架を用意し,そちらにまとめて置くこととした。資料の並びは原則としてタイトル順であるが,大型資料については,本来のタイトル順の配置場所に,大型資料用書架に別置してあることを表示した。
 日吉保存書庫の書架スペースにはあまり余裕が無いため,移動中の配架ミスや書架不足が生じないよう,綿密な事前準備を行った。具体的には以下の通りである。
 a. 移動前の資料の書架上の占有スペース(横幅,大型資料に相当する可能性があるものは高さ)をあらかじめセンチメートル単位で計測((1)の資料については山中の担当者に計測をお願いした)。
 b. 移動後の書架上の位置を1段の3分の1単位で指定する短冊状の紙を用意(資料を移動する業者に依頼)。
 c. その紙を移動前の資料に挟み込み,移動後の書架上の位置を指定((1),(3)の資料については現地に赴いて作業)。
 移動の順序は,他地区メディアセンターから山中への移動も行われることから,最初に(1),続いて(2)と(4),最後に(3)とした。
 (1)と同時に山中から日吉図書館地下書庫へ和雑誌約300冊を移動した。これにより,山中に保管してあった日吉図書館所蔵の雑誌はすべて日吉キャンパスに戻った。
 一連の作業により,日吉図書館地下書庫には3万冊分程度の余裕ができたため,そこに日吉図書館の4階から雑誌(2001年以降に刊行されたもの)を移動した。4階はすでに書庫の狭隘化が進展し,新規受入資料を配架できない箇所が多かった。移動後は4階の資料再配置が必要だが,この先数年は,新規受入資料の配架に困らない状況を作ることができた。
(長島敏樹)

4 信濃町メディアセンター
 信濃町メディアセンター(以下,信濃町)の建物内部に所蔵する資料は当センター全蔵書(約41万冊)の約50%強である。蔵書の約半数はキャンパス外の書庫で保存し,複写物のファックス伝送,もしくは宅配便による現物デリバリで利用している。主な資料群である製本雑誌が全蔵書の68%を占める。山中に保存・管理する信濃町の蔵書も,製本雑誌の構成比は同様である。論文単位での利用,つまり複写物のファックス伝送主体の運用であることは,遠隔地にある山中を自然科学系資料の保存書庫として位置づける際の基本条件となっている。
 今回の移動は,下記が対象であった。他地区メディアセンターと調整し,空き書架棚を最大限に活用すべく,計画を立てた。
 (1)信濃町から山中への製本雑誌の移動
 (1986〜1988年出版の雑誌):約18,000
 (2)倉庫預りとなっていたレファレンス資料及び16ミリフィルムほか映像資料(手術映像などの教育用フィルム)の山中への移動:約8,000
 (3)白楽に置いてあった貴重書,稀覯本
 (和綴本,長谷川文庫,大鳥文庫は除く):約800
 実際の移動作業のほぼ全工程を運送会社へ委託した。移動対象資料の棚出しと棚入れの部分で,判断が必要な箇所のみ,メディアセンター職員が立ち会った。2009年9月24日〜30日に地下集密書架から(1)部分を第1次移動した。その後,月を改めて10月13日〜15日に(2)(3)部分の第2次移動を行った。また,資料移動に先だって,若干早めにデータ修正を行うなど,地区を越えた大量なデータ修正を一時に処理する本部システム担当との調整が必要であった。従って,資料移動とデータ修正時期の同期が取れたわけではなかったが,書架への掲示を徹底するなどの対策を講じた成果もあって,そのことによる利用上の混乱は起きなかった。
 以上の移動後,利用が空く時期まで待って,同年12月に信濃町内の資料再配置を実施した。2年分の製本雑誌約16,300冊を書庫2〜4階から地下集密書架へ移動した。この再配置に伴う作業についても運送会社へ依頼した。
 移動の成果としては,信濃町の書庫に今後の増加資料を配架するスペースがいくらか確保できたことと,白楽には,資料管理上,扱いの異なる特殊資料のみを配置するという区分けの目途がついたことがあげられる。
 地区を越えた一連の資料移動終了後に,山中の業務委託先の変更があった。関連して,山中2階部分の672段分は前委託先で使用していたために2010年3月にはその部分の資料を撤退した。また,ブロックごとに移動していったため,ブロック間には若干の空き棚もあり,合計すると970段ほどの空き棚が2階部分にできた。これが山中に残された最後の空き書架スペースである。
 快適な学習及び研究調査スペースの提供というメディアセンターの大切なミッションを達成するためにも,外部書架スペースの有効利用は必須である。信濃町キャンパスにおける学習・研究調査環境の改善,快適空間の創出,アメニティー向上を目指しつつ,限られた空間,資源を最大限に活用することで,場としての図書館の存在をアピールしていきたい。
(舘田鶴子)

5 理工学メディアセンター
 理工学メディアセンター(以下,理工)が2009年の夏に実施した資料の移動と再配置について,資料再配置WGのメンバーが議論したことや,現場の職員が考えたことなどを記しておきたい。

(1)1980年以前の製本雑誌を山中へ
 山中の書架が空いたことを受けて,まずは製本雑誌の移動を計画した。理工に割り当てられた書架の棚数に基づいて,可能な限り移管するという方針で計算したところ,1980年までの製本雑誌,26,800冊が移動できることになった。
 移動は,従来通り,年代で移管するという方針で行った。ただし,こうした方針での移管はこれが最後になるかもしれない。今回の移動でも議論になったが,今後はやはり電子化されたものを優先的に移動することになるだろう。
 将来,電子化されていない雑誌だけが並んだ図書館の風景はどのようなものなのだろうか。「図書館には電子化されていない雑誌が置かれています。」

(2)レファレンスコレクションのスリム化
 1年以内に利用のあったものを除いて,1984年以前のレファレンスブックを別館へ,同時に読みもの的な事典類は貸出可能な一般図書に変更した。その結果,残ったレファレンスブックは半分以下になり,現在の利用に見合ったスリムなコレクションになった。
 移動前には1年間をかけて利用度の調査を行っている。結果は,すでに辞書・事典・用語集などの利用は限りなくゼロに近づき,レファレンスブックで利用されているのはWebへの切り替えが済んでいない化学分野のデータ集が主というものであった。これらのデータ集も,現在こそWeb版の使い勝手が良くないために切り替えに踏み切れていないが,時間の問題である。切り替えが済んだとき,そう遠くない将来,図書館内には冊子のレファレンスコーナーはもはや存在しないかもしれない。

(3)資料と機能の再配置:学習支援機能の強化
 製本雑誌を山中に移動したことから,LibQUAL+®のコメントでも課題となっていた2階の図書の並びを分かりやすく再配置することができた。さらに,空いた空間には,これもLibQUAL+®のコメントで要望が高かったグループ学習室を設けることができた。一方,レファレンスブックが並んでいた書架には,新たに,語学学習を支援するためのコーナー,学部1年から大学院までの教科書コーナー,留学のための資料のコーナーなどを設けている。
 コーナーの設置により,NDCで並べることでは不可能だった棚上での編集作業が可能になる。理工学部の学科に関係する専門的な資料については,知識体系の骨格もしっかりしているので,従来通りNDCの体系に従うのが妥当だが,そうした学問領域以外の部分,例えば,論文の書き方,プレゼンテーションの仕方,それらに付随するソフトの使い方,留学とそのために必要な語学試験,あるいは進学や就職と語学試験など,NDCに縛られることなく,むしろ,その資料がどのような場面で利用されるのか,学生の実際の利用に基づいて,これが並んでいると便利というものに,図書館員が意味づけを行い,もっとうまく情報提供できるものは多い。
 コーナー全体の名前は,とりあえず学習支援コーナーになった。しかし,まだ議論は尽くされておらず,コンセプトの煮詰まり具合も不十分で,ふにゃふにゃしたか弱い出来でスタートを切った。今後,図書館は,学生はどのように学習しているのか,学生の何を支援したいのか,だから何をどのように置くのかを,もっと自由に,もっと柔軟に考えていくことで,有益で知的好奇心をくすぐる理工らしい個性的なコーナーになっていくことを期待している。
 図書館からは徐々に学術雑誌もレファレンスブックも姿を消し,もはや残った図書を綺麗に並べて,OPACを引いてもらって,聞かれたら答えるだけではないことは,図書館で働くみなが気づいている。今回の資料の再配置の議論を通じて,理工のメンバーが考えたのは,当面は,学生の学習を促進するという視点に立つこと,そして,ワークショップのファシリテーターが,入念に学習の場の下準備をし,その場では場を取り囲んで自立的な活動を見守り,適切なタイミングで援助するように,私たちも,考え抜かれ,実は極めて念入りに準備された学習のための場と資料や道具を準備して,カウンターから彼らの自立的な活動を見守り,ときに適切な援助を行うことで学習をファシリテートしていこうということである。

(上岡真紀子)

6 湘南藤沢メディアセンター
 湘南藤沢メディアセンター(以下,藤沢)が,2009年に移管した資料は,外国語雑誌225タイトル,2,549冊であった。内訳は,洋雑誌(英文,欧文)200タイトル,2,055冊,中国語・朝鮮語雑誌25タイトル,494冊。洋雑誌は,藤沢と白楽から山中へ,中国語・朝鮮語雑誌は藤沢から白楽への移管である。
 湘南藤沢キャンパスは,1990年創設の後発のキャンパスである。開設時期には,総合政策学部,環境情報学部,政策・メディア研究科という新しいコンセプトの学部,大学院の開設申請にふさわしい,自然科学・人文科学分野にまたがる広い分野の資料が準備された。
 その後,インターネットの普及,各種データベースの出現,雑誌の電子化が格段に進んだ。また,このキャンパスでは,カリキュラム改訂が積極的に行われ,外部からの教員招聘や有期教員の任用が多いなど,授業内容や研究領域が年々変化していく傾向があり,利用される資料の分野や年代も流動的である。
 藤沢では,利用状況調査やアンケートを行いながら,購読雑誌タイトルの変更や電子化を進めてきた。また,館内やキャンパス内に保存スペースがないため,役目を終えた購読中止タイトルや古い年代の雑誌について,白楽への移管や他地区との重複部分の除籍などを行ってきた。2007年にも外国雑誌について全専任教員にアンケートを行って購読タイトルを大きく見直し,購読中止や電子化による冊子中止タイトルが多数生じていた。
 藤沢の様に自然科学と人文社会科学が混在する場合に,資料の内容で保存先を分けるか元の所蔵地区で分けるかについては,所蔵地区に従うことになり,藤沢は当初日吉保存書庫へ移管することとなった。藤沢からは,継続中止タイトルで他地区所蔵と重複しない外国雑誌の移管を希望し,近年に中止した2000年以降刊行分も含まれることも了承された。
 日吉保存書庫へ移管すると,他地区への現物取寄せ不可,移管後は日吉所蔵資料として扱うという条件に合わせ,継続中止済の外国雑誌の中から移管タイトルを検討した。藤沢特有の分野,藤沢で冊子や過去分も利用が多い分野(建築,都市,画像,地理,環境,アジア,軍事平和,交通,カルチャー,言語習得,政策など)については藤沢に残すこととした。詳細を詰めていく過程で,自然科学系(コンピュータ関連など)が多いことや2000年以降刊行分が混配されることによる,日吉保存書庫での違和感や書庫内整備の難しさが指摘されていた。移管開始前に各地区,各書庫間の移動について摺り合わせた結果,藤沢からの移管先は山中へと変更になった。
 洋雑誌の移管作業は,まず藤沢からの移管分を塾内便を利用して白楽へ移し,白楽からの移管分とタイトル順に混配作業を行ってから山中へ搬送した。中国語・朝鮮語雑誌は,移管作業の最後に藤沢から白楽へ塾内便を利用して移送した。移管作業に先立ち,購読中止タイトルについて所蔵範囲,他地区所蔵の確認を行い,理工,日吉と所蔵一本化の調整移管作業を行った。
 今回の移管により,藤沢所蔵雑誌資料の保管場所が,藤沢,山中,白楽の3箇所となった。白楽に残した雑誌は,和雑誌60タイトル860冊,洋雑誌113タイトル804冊,年鑑630冊である。これは前出の藤沢特有の分野に該当するもの,継続購入中タイトルの前誌部分,将来データベース化に期待するものなどである。恒久的な書庫ではない白楽がたたまれる際には,これらは藤沢所蔵資料として処遇を検討すべきものである。
(小澤ゆかり)
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