書物の大規模なコレクションが一部の特権階級に限られていた時代に,万人に開かれた図書館という基本理念を掲げた書がある。フランスのガブリエル・ノーデ(1600〜1653)が著した『図書館設立のための助言』(1627年,第二版1644年)であり,2006年には原著からの邦訳も刊行された(参考文献1)。本書は第二版からの英訳本である。外観は17×11.5cmほどの小さく目立たない本であるが,図書館学および科学コミュニケーション史において重要な一冊である。
17世紀のイギリスでは,オックスフォード大学ボードリアン図書館や大聖堂付属図書館が建て直され,紳士階級においては個人コレクションへの関心が高まるなど,図書館が成長を遂げた。また,本書刊行の翌年には出版許可法が制定されて王室図書館への新刊図書の納本が義務付けられている。そうした中での本書の意義は大きい。
原著者ノーデは,パリ大学の医学生時代に高等法院長アンリ・ド・メームの個人文庫の管理を手伝ったことがあった。同書は,その経験から図書館の目的,蔵書の収集と内容,図書館の経営,主題および著者名順という二種類の目録の必要性,建築物としての図書館,学識ある司書の必要性,図書館の利用などについて,抽象的とはいえ論じたもので,近代的な図書館思想の先駆的な存在とされる。Encyclopedia of Library and Information Scienceによれば,同書は17世紀を通じて総合目録を作成する根拠とされ,その後の分類表の発達にも影響を与えることとなった。ノーデは後に宰相リシュリューやマザランの個人文庫の管理を任された。特に,後者の基礎を築き,同書の理想を実践したことで知られている。
本書の翻訳者ジョン・イーブリン(1620〜1706)は17世紀のイギリスを代表する知識人の一人である。彼の活動は幅広く,日記・旅行記作家として,また政治思想家,蔵書家,造園家,さらには王立協会(The Royal Society)の設立メンバーとしても重要な人物である。自筆の日記や,同時代の知識人(日記作家ピープス,建築家レン,化学者ボイルなど)との書簡類などのアーカイブは,1995年に英国図書館に収蔵されている。イーブリンは熱心な王党派であったため,内乱中は国外に難を逃れていた。パリ滞在中にノーデと知り合い,彼の公共図書館思想に共鳴して翻訳を決意することとなったらしい。
イーブリンが翻訳の底本としたのは,その少し前に出版された原著第二版である(120X@574@1)。『三田評論』946号でも紹介されている通り,第二版の標題紙には“改訂訂正増補された”とあるが,実際にはほぼ初版通りで,刊行を任されたジャコブによる当時の大図書館を紹介する論文が補遺としてつけられているのだが,慶應所蔵本には補遺が欠けている(参考文献2)。ただし,イーブリンが翻訳の対象としているのは,元々のノーデによる著作の部分のみである。
本書は小部数しか発行されなかったうえ,印刷ミスの多さなどのため,晩年のイーブリンによって処分されたものも多かったといわれている。現存部数は少なく,WorldCatでの所蔵館も31館のみである。写真複製本も作られているが(B@010.1@N1@1),一般的な英訳本としては,本書に基づき1950年に出されたテイラーによるAdvice on Establishing a Library(B@010.1@N1@2,インターネット上でも全文が公開されている)が使われることが多い。
実際に,イーブリンは本書の内容には誇りを持っていたが,仕上がりには非常に不満だったようである。本収蔵本の巻末に綴じこまれた正誤表からは,多くのスペルミスがあることがわかるが,その他にもインクのにじみやかすれなどが目立つ。
本書の末尾には,彼がオックスフォード大学クイーンズ・コレッジ学寮長兼ボードリアン図書館長のバーロー博士に宛てた手紙が印刷されている。それによれば,自筆原稿をオックスフォードの印刷所に送ったが行方不明になってしまい,結局ロンドンで印刷したという事情があるらしい。また,出版から28年後の1689年頃にイートン校長ゴドルフィンに贈呈した本の遊び紙に記した自筆の手紙の中でも,印刷のひどさへの憤りを表明し,理由を説明して寛恕を乞うと共に,その贈呈本の100箇所以上を自らインクで修正しているほどである(参考文献3)。
なお,今回の収蔵本は,見返しにはられた蔵書票から複数の手を経てきたことがわかるが,残念ながら書き込みの類は見られない。
本書とノーデの原著第二版を比較研究することで,フランスの先駆的な近代的図書館思想が当時のイギリスの知識人にどのように受容されたのかを詳細に検討することが可能になるだろう。
さらに,本書はイギリスの科学アカデミーである王立協会について言及した初の印刷物として,科学コミュニケーション史における意義も大きい。王立協会は自然科学の知識の発展を目指すため,その前年の1660年11月28日にロバート・フックら一流の科学者を中心に設立された。彼らは毎週水曜日に会合を持っていたが,それまでその“philosophical assembly”には名称は付いていなかった。イーブリンはクラレンドン伯爵に宛てた献辞の大部分を使って自分達の組織の目的と意義について論じているが,その中でThe Royal Societyという名称を初めて用いたのである(図2の下から10行目)。この会は翌1662年に初の王室認可を受け,The Royal Society of London for Improving Natural Knowledgeが正式名称となった。本書の献辞からは,初期の王立協会について,また,その設立に尽力したイーブリンの思想をうかがい知ることができる。
(請求記号)[120X@1228@1]
参考文献
1)Naudé, Gabriel.図書館設立のための助言.藤野寛之訳.金沢文圃閣,2006, p.136.
2)田村俊作.秘蔵64):ノーデ『図書館建設のための意見書』.三田評論.vol.946, 1993, p.96-97.
3)The Earl of Crawford and Balcarress, K. T. Gabriel Naudé and John Evelyn:With some notes on the Mazarinades. The Library, vol.12, no.4, 1932, p.383-408 .イーブリンの手紙の写真と翻刻が掲載されている.
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