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ナンバー15、2008年 目次へリンク 2008年10月1日発行
特集 メディアセンターは今 ―慶應義塾創立150年を迎えて―
本部の成立,課題と使命
平尾 行藏(ひらお こうぞう)
メディアセンター本部事務長
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1 図書館
 今年(2008年)は安政5年の慶應義塾創設から150年の節目の年に当たる。芝新銭座から三田の現在の場所に移転し島原藩邸の一室「月波楼」を図書室に定めたのは明治4年(1871年)のことであり,創立50年を記念して図書館(現図書館旧館)が建設されたのは大正11年(1912年)のことであった。図書館が三田にのみ存在した,1871年からの60年間余の後に,1935年に予科(日吉),1937年に医学部(四谷),そして1949年に工学部(小金井)に図書館・室が整備された。単なる利用規則ではない管理運用規則としての「慶應義塾図書館規程」が制定されたのは1949年である。この図書館規程は本館・分館体制を明記していたが,1962年に改正され,図書館機構の一本化を強化して,三田の本館だけでなく四谷と日吉の分館にも部課制を適用することとなった。(図1

2 情報センター
 1970年に大学図書館の組織運営面で大きな変化があった。三田,日吉,四谷,小金井各キャンパスの図書館と,大学において図書館機能を果していた他の部門,特に三田と日吉の研究室の図書事務部門が統合され,4つの情報センターとそれらの間の調整機能を果す本部事務室とから成る大学研究・教育情報センターが誕生した。これにより従来の本館・分館(室)制度は廃止された。この組織変更の背景には,『研究・教育情報センターの構想』(1968年5月)で述べられているように,研究教育活動を支援するために,
 (1)研究・教育図書・資料の充実
 (2)全塾的な目録体制の完備と,書誌・索引などの文献情報サービスの整備
 (3)近代的な高度の文献と情報サービスの実施
 (4)図書・資料行政と情報活動の効率化
を図らなければならないという認識があった。
 「研究・教育に必要な資料および情報は,従来各キャンパスの図書館,研究室,研究所などによって提供されてきた」が,「一方においては,義塾の研究・教育の体制整備の必要が説かれ,他方においては各専門領域の総合化ならびに分化に伴い,周辺領域の情報に対する要求とともに,より専門化した特殊な情報要求も増加し,このため従来の提供方法ではもはや現状に応ずることが困難となった。この状況を克服し,従来の不備な点を是正し,経済的で効果的な組織的情報提供を行うことが,当センターの任務」となった(『研究・教育情報センター計画』1968年12月)。
 この時点で,組織の名称は,「図書館」「研究室」ないし「…資料室」から「情報センター」となった。「図書センター」や「研究センター」という案もあったが,それらでは「混同され易く感じられたので,イメエジ・チェンジの必要があった。そして人をひきつけるような名称をということで,情報という文字が採られ,研究・教育情報センターとなった。」(『慶應義塾図書館史』p. 293)
 研究・教育情報センター構想により,1970年には三田情報センターと本部事務室(三田)が,1971年には医学情報センターが,1972年には日吉情報センターと理工学情報センター(小金井から矢上へ復帰移転)が設置された(工学部を改組し理工学部が開設されたのは1981年)。(図2
 本部はこの組織改革のときに初めて作られた。
 本部の任務は「情報センター業務に関する全般的管理,企画および研究開発並びに調整に関する業務」を行うことと定められた(『慶応義塾大学研究・教育情報センター規程』1970年4月1日施行)。

3 メディアセンター
 この時からほぼ四半世紀を経て,1993年に2回目の大きな組織改革が行われた。
 当時,集積回路とオーディオ・ビジュアルと光ファイバーという3つの技術の開発革新が行われ,これらの技術に係るメディア関連産業により新しいライフスタイルが作り出されようとしていた。高度情報化が進み社会の基盤をなすメディア・ネットワークのもとでは,文字と活字を中心とする単一モード・単一メディアの世界が,文字だけでなく映像や音像を含めた多元的モード・多元的メディアによる新しい知の世界へと変容しつつあった。
 「新しい学術情報サービスは,単なる計算だけでなく,また単なる情報の貯蔵と提供だけではなく,図像・音響モードによる情報生産を含め,理論計算から芸術の制作に至る幅広い汎用的情報処理を通じて,新しい知の世界を支援しなければならない。」(『慶應義塾報付録塾内ニュース』no. 80, 1993年4月19日号)
 大学においてこの「新しい知の世界を支援」するため,図書館部門と計算機室部門は「総合情報センター」(第一次構想,1990年)へ,第二次構想(1991年)では「メディアセンター」へ統合・再編されることとなった。1993年4月,大学研究・教育情報センターと大学計算センターおよび湘南藤沢メディアセンターは統合されて「メディアネット」が誕生し,各地区には「メディアセンター」が発足した(湘南藤沢メディアセンターは先行して1990年4月に発足)。
 その後1999年2月,大学計算センターに由来する部門がインフォーメーションテクノロジーセンター(以下,ITC)となり,メディアネットという傘の下に図書館業務を遂行するメディアセンターと並立することとなった。その5年後にメディアネットは廃止され,両センターは各々独立した組織となった。分離の理由は,メディアセンターが慶應義塾大学の部門の一という性格を変えなかったのに対し,ITCは初等中等教育も含めた慶應義塾の部門の一となったからである。
 2008年4月時点でメディアセンターは,メディアセンター本部(三田)と,三田,日吉,信濃町,理工学(矢上),湘南藤沢,薬学(芝共立)という6つのメディアセンターから成っている。(図3

4 本部事務室/メディアセンター本部
 今年までの40年近くの間に,各地区と協力しながら本部事務室/メディアセンター本部があるいは本部を中心として情報センター/メディアセンターが,何を目標とし何を実現してきたかについては,本誌の過去の号や,本誌の前身である『八角塔』(1967年〜1970年)と『KULIC』(1970年〜1992年)の記事をお読みいただけば,多くの図書館員の,時間をかけた様々な努力の積み重ねがあったことが見えてくると思われる。ここでは以下にその一端を見出しの形で挙げてみる。
 ・図書館を近代化し利用者本位のサービスを展開
 ・図書館運営の全学的統合と標準化
 ・記録媒体の多様化に対応したサービスの充実(視聴覚資料サービス,マイクロ資料サービス)
 ・レファレンス業務と相互貸借機能の拡充
 ・利用者教育プログラムの展開(ライブラリーインストラクション,情報リテラシー教育)
 ・図書館システム機械化(バッチ処理による個別システムから全塾統合図書館システムKeiO university System for Multimedia Online Services(以下,KOSMOS)への展開)
 ・資料一括整理部門(いわゆる集中処理機構)の設置
 ・コンピュータを基盤とした情報サービスの展開(電子化資料と資料電子化,ヴァーチャルレファレンス,リモートアクセスサービス)
 これらの,多かれ少なかれ理念的裏付けを伴った目標は,各地区メディアセンター(情報センター)における仕事を通じて実現されてきた。
 本部事務室(メディアセンター本部)は「全般的管理,企画および研究開発並びに調整に関する業務」を担当し,1970年に設置された当初は総務担当のみの小さな組織で,利用者への直接サービス機能と蔵書を持たない,ある意味で抽象的な存在であった。それが,いまのように大きな組織になったのは(専任職員2名から23名へ),本部設置後30年近くが経過した1998年以来のことである。
 この年,組織変更と図書館システムのリプレースが相前後して行われた。組織変更の大きな目的は,各地区に分散して遂行されていた資料整理担当の間接サービス部門(テクニカルサービス担当)を統合し効率化して,直接サービス部門(パブリックサービス担当)へ人員を振り向け,利用者への迅速な資料提供と閲覧サービスの拡充を実現することであった。
 また,組織と一対で両輪となる図書館システムについては,1970年代後半からバッチ処理による業務ごとの機械化が先駆的に始まって以来15年が経過した1990年代前半に,統合図書館システムKOSMOS-Iを導入した。KOSMOS-Iは,目録・閲覧・OPACから受発注・予算・雑誌の各管理までのすべての業務を,大型計算機を用いて行う,システム集中・業務分散の考えに基づいて作られていた。これを改めサーバ・クライアント方式の分散処理で,受発注・予算・雑誌の各管理を個別のシステムとして独立させ基幹システムの外に位置付けて,システム分散・業務集中を基本にして作られたのが現在のKOSMOS-IIで,1998年から稼動した。
 近い将来にKOSMOS-IIは次世代の図書館システムへ移行させ,連動して業務見直しを行わなければならないと考えている。
 その後の資料のあり方と情報環境の変化は,図書館業務を変えようとしている。現在本部は,電子化された資料・情報源を一括管理する電子資源担当や,学内生産学術情報や著作権処理済の蔵書・画像情報等を電子化して内外に発信する事業(含機関リポジトリ)の担当を加えた,6つの担当から成っている。
 図書・情報管理担当 雑誌担当
 電子資源担当    電子化事業担当(検討中)
 システム担当    総務担当
 現在の構成は固定的なものではない。今後も変化に対応した新しい部署の設置が求められることがあるし,本部内の業務見直しにより地区との業務分担が変化して縮小されることもありうる。
 本部は,各地区メディアセンターの独自性を尊重し全体の調整を図りながら業務支援を行い,すべての大学構成員がより良い学術情報サービスを受けられるようにするため,以下の業務を担って活動している。
 1)全塾で調整しつつ予算を編成し,専任職員の人事を司る。中長期的視野の下で年度ごとに事業計画を立案実施する。
 2)図書,雑誌など,6メディアセンターで選定された資料の発注受入と予算執行を管理し,資料整理を行う。
 3)電子媒体資料について6メディアセンターと協議の上,経費を分担しあるいは本部で一括して利用契約を結び,情報入手手段への配慮を施し利用者に提供する。
 4)全塾で一元的に利用できる図書館システムの利用者用と業務用の双方の維持管理を担当する。
 5)紙媒体資料の一部が保管されている2ヶ所の保存図書館(所在地:山中湖畔と横浜市神奈川区六角橋)を運営する。
 6)国内外の図書館団体との協力活動等の事務局となる。
 このような基本的業務は,大学の基本方針「慶應義塾21世紀グランドデザイン」を,メディアセンターという一つの部門にブレークダウンした「メディアセンター中期計画2006―2010」によって,短中期的にメリハリを与えられ,「変わってはならない使命」を認識しながら,「変わっていかなければならない将来像」の実現を目指して,その時代に相応しい内容を持つことになる(「中期計画2006―2010」については『MediaNet』no.13, p.4および『MediaNet』no.14, p.32-34を参照)。

5 図書館の使命
 紙に記録された学術情報が徐々に電子媒体に移行している。出来合いの電子媒体資料もあれば,自主制作のものもある。自主制作といっても紙に記録されたものの媒体変換が主で,図書館自身が学術情報を生産することは少ない。電子出版されたものをそのままあるいは自前で電子化して大学構成員に提供し利用を待つ。電子媒体化することにより永年眠っていた資料が目を覚まし,構成員だけでなく広く国の内外で一般的に利用されることが可能となる。電子媒体は学生だけでなく,社会一般の研究者への所蔵資料・情報の公開と利用を今まで以上に容易な形で可能にする。
 紙媒体と電子媒体を問わず一般的に利用が可能な出版物を学生と教員に提供するだけでなく,大学で生産される学術情報や大学固有の蔵書等を電子化して提供することが重要になる。それを有効にするためには,今後は資料を電子化する技能を備えた職員だけでなく,主題知識を備え一点限りの手書き資料の整理法を身に付けた文書館職員やアーキビスト,また三次元資料の扱いができる学芸員等の諸技能が,従来からの閲覧業務と資料整理目録作業とレファレンス業務といった伝統的図書館員の技能に加えて必要とされている。
 大学の付属機関としての図書館の使命は,研究者に学術情報を提供して研究教育活動を支援するだけでなく,学生の学習活動を支援するところにある。特に学生が高等教育を受けて社会人となるまでの数年間に学術情報利用法を身に付けさせ図書館から付加価値をつけて世に送り出すことは,現代の大学図書館が果たすべき社会的役割ではないだろうか。
 そのことを意識しながら日々の仕事を遂行しているというわけではないが,本学の120人近くの職員と170人以上の図書館スタッフの仕事はそのために捧げられていると私は考えている。すべての図書館業務は,ひとえに学生の学習活動のため,教員の研究教育活動のために営まれている。
 人生をそのために捧げる対象として図書館を選んで悔いはないと思わせる職業でありたい。そう思って仕事ができる環境を整えるのが本部に与えられたもう一つの任務であろう。

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